第17話:好きな女の家にお茶飲みにいってたら、嫁に勘づかれたんだが!?
側室は駄目。
愛妾なら可能。
ただし、嫁には内緒。
「……いや、無理だろ」
俺は朝から頭を抱えていた。
昨日、家臣に教えてもらった側室制度について、何度考えても納得がいかない。
そもそも、俺は吉乃とこっそり付き合いたいわけじゃない。
好きな人と堂々と会いたいだけだ。
できれば手を繋ぎたい。
いつかは抱きしめたりもしたい。
……いや、待て。
いきなり抱きしめるのは早い。
まずは手を繋ぐところからだ。
前世で女の子と手を繋いだ経験なんて、小学校の運動会くらいしかない。
あれも男女混合のフォークダンスだった。
しかも相手の女子に、終わった瞬間、手を制服で拭かれた。
「…………」
思い出したくなかった。
俺は布団から起き上がった。
よし。
今日は吉乃に会いに行こう。
側室とか愛妾とか、難しいことは後で考えればいい。
まずは、本人の気持ちを聞かないと。
*
「若殿、本日も井戸でございますか?」
「……はい」
家臣が呆れた顔をした。
「若殿」
「何ですか?」
「井戸は逃げませぬぞ」
「知ってます!」
「では、なぜ毎日のように?」
「……水が大事だからです」
「左様でございますか」
絶対に信じていない。
もういい。
俺は馬に乗った。
最近、ようやく馬にも慣れてきた。
最初は落馬して死ぬんじゃないかと思っていたけど、意外と何とかなるものだ。
ただし、走らせるのはまだ怖い。
馬って、思っている以上に高い。
落ちたら普通に骨が折れる。
戦国武将って、みんなよくこんなものに乗って戦えるな。
*
村に着くと、吉乃は家の前で洗濯物を干していた。
「あっ、信長さま!」
俺に気づくと、ぱっと表情を明るくした。
その笑顔を見ただけで、来てよかったと思った。
「こんにちは」
「今日もお越しくださったのですね」
「……迷惑じゃなければ」
「迷惑だなんて」
吉乃が笑った。
「ちょうど、お茶を淹れようと思っていたところです」
「本当ですか?」
「はい」
なんて素晴らしい偶然なんだ。
いや、もしかして。
俺が来ると思って、用意してくれていた?
……まさか。
自意識過剰はやめよう。
*
吉乃の家に上がると、いつものように茶が出された。
今日は干し柿もある。
「美味しい!」
「ふふっ。信長さまは甘いものがお好きなのですね」
「大好きです」
「では、今度はもう少し用意しておきますね」
「……今度?」
「はい」
吉乃が首を傾げた。
「また、お越しになるのでしょう?」
「…………」
俺は干し柿を落としかけた。
何それ。
また来ていいってこと?
いや、むしろ来てほしいってこと?
「……来てもいいんですか?」
「もちろんです」
吉乃が微笑んだ。
心臓がうるさい。
俺は茶を飲んで誤魔化した。
熱い。
舌を火傷した。
「熱っ!」
「信長さま!?」
「だ、大丈夫です!」
全然大丈夫じゃない。
恋愛って、身体に悪い。
*
しばらく他愛のない話をした。
村のこと。
季節のこと。
今年は雨が多かったこと。
吉乃の家では、母親がよく菓子を作ること。
俺は聞いているだけで楽しかった。
濃姫と話すときは、どうしても緊張してしまう。
でも、吉乃とは自然に話せる。
沈黙さえ気まずくない。
こんな経験、前世でもなかった。
「信長さま」
「はい?」
「一つ、伺ってもよろしいでしょうか」
「何ですか?」
吉乃が少し恥ずかしそうに目を伏せた。
「……奥方様とは、仲がよろしいのですか?」
「…………」
来た。
また来た。
この質問。
「ええと……」
俺は考えた。
仲が悪いわけじゃない。
むしろ、濃姫は俺にとても優しくしてくれる。
ただ、俺が一方的に怖がっているだけだ。
「……悪くはないと思います」
「そうなのですね」
吉乃が小さく頷いた。
そして。
「お綺麗な方だと伺っております」
「はい。ものすごく綺麗です」
「まあ」
「槍も強いです」
「……槍?」
「はい。俺、三秒で負けました」
吉乃が目を丸くした。
それから、声を立てて笑った。
「ふふっ! 信長さまったら!」
「本当なんですよ!」
「奥方様は、お強いのですね」
「強いなんてもんじゃないです」
俺は真剣に頷いた。
「あの人には絶対に勝てません」
吉乃はしばらく笑っていた。
俺もつられて笑った。
こんな話で笑ってくれるなんて。
やっぱり、この人が好きだ。
*
「……吉乃さん」
「はい?」
俺は茶碗を置いた。
そろそろ聞いてみよう。
このまま曖昧な関係を続けるのも、よくない気がする。
「吉乃さんは、結婚したいと思ったことはありますか?」
「…………」
吉乃が固まった。
あ。
しまった。
いきなりすぎた。
「いや、別に変な意味じゃなくて!」
「…………」
「一般論です!」
また一般論。
俺、こればっかり言ってるな。
吉乃は頬を赤くした。
「……ございます」
「え?」
「いつかは、と思っております」
「……そうですか」
胸が少し痛んだ。
そうだよな。
吉乃だって、普通に結婚したいよな。
誰かの妻になって。
子供を産んで。
家族と暮らして。
そういう幸せを望んでいるのかもしれない。
俺は既婚者だ。
吉乃に、そんな未来を与えられるのか?
「……どんな人がいいんですか?」
聞いてしまった。
吉乃は少し考えた。
「そうですね……」
そして、微笑んだ。
「優しい方がよろしいです」
「優しい人?」
「はい」
「強い人じゃなくて?」
「強さも大切かもしれませんが」
吉乃は俺を見た。
「私は、人の痛みが分かる方が好きです」
「…………」
心臓が跳ねた。
いや。
落ち着け。
これは一般論だ。
俺のこととは限らない。
「……そういう人、見つかるといいですね」
言ってから、後悔した。
何を応援してるんだ、俺。
吉乃が別の男と結婚したらどうするんだ。
吉乃は少し寂しそうに笑った。
「……はい」
*
帰る時間になった。
俺は立ち上がった。
「今日もありがとうございました」
「こちらこそ」
吉乃が玄関まで見送ってくれた。
外には家臣たちが待っている。
そろそろ戻らないと、また小言を言われる。
「……吉乃さん」
「はい?」
俺は振り返った。
言おう。
今日こそ。
好きですって。
いや、待て。
俺は結婚している。
それなのに告白するなんて、吉乃を困らせるだけじゃないか?
でも。
このまま帰るのは嫌だ。
「……俺」
「はい」
「吉乃さんと話していると、すごく楽しいです」
言った。
言ってしまった。
吉乃が目を見開いた。
「…………」
沈黙。
終わった。
気持ち悪いと思われたかもしれない。
俺は慌てて言い訳しようとした。
「いや、変な意味じゃなくて!」
「……私もです」
「え?」
吉乃が微笑んだ。
「私も、信長さまとお話しするのが楽しゅうございます」
「…………」
俺は固まった。
今。
何て?
「また、お越しくださいませ」
吉乃が小さく頭を下げた。
俺は何とか頷いた。
「……はい!」
声が裏返った。
*
帰り道。
俺はずっとにやけていた。
「若殿」
「はい?」
「何かよいことでも?」
「別に」
「……そうでございますか」
家臣が俺の顔を見た。
「ずいぶんと嬉しそうでございますが」
「気のせいです」
「左様でございますか」
俺は前を向いた。
嬉しい。
ものすごく嬉しい。
吉乃も、俺と話すのが楽しいと言ってくれた。
これって。
もしかして。
脈あり?
「……ふふっ」
「若殿?」
「何でもありません!」
危ない。
声に出ていた。
*
屋敷に戻ると、濃姫が出迎えてくれた。
「お帰りなさいませ、信長さま」
「……ただいま」
濃姫が微笑んだ。
「本日も村へ?」
「はい」
「そうでございますか」
濃姫は俺の顔を見た。
そして。
「……楽しそうでいらっしゃいますね」
「…………」
俺の笑顔が固まった。
「そ、そうですか?」
「はい」
濃姫が少し首を傾げた。
「私とお過ごしになるときよりも、ずっと」
「…………」
胸が痛んだ。
濃姫は笑っていた。
でも。
その笑顔は、いつもより少しだけ寂しそうだった。
「……濃姫」
「はい?」
「その……」
何か言わなきゃ。
そう思った。
でも、言葉が出てこない。
濃姫は小さく笑った。
「お疲れでしょう。お食事の支度をさせますね」
そう言って、俺の前から離れていった。
俺はその背中を見つめた。
……まずい。
ものすごくまずい。
俺は今、吉乃のことで頭がいっぱいだ。
でも。
濃姫は、俺のことをちゃんと見ている。
そして、たぶん。
俺が誰を見ているのかまで、気づき始めている。




