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第16話:好きな女なのに側室に迎えられないなんて聞いてないんだが!?

 吉乃に会いたい。


 朝起きてから、もう五回は考えている。


 昨日も会ったばかりなのに。


 自分でもどうかしていると思う。


「……でも、俺には嫁がいるんだよな」


 濃姫。


 綺麗で、優しくて、最近はよく笑う。


 ただし、槍が強い。


 ものすごく強い。


 俺なんて三秒で負けた。


 そんな嫁を差し置いて、別の女に会いに行く。


 現代だったら完全に浮気だ。


 離婚されても文句は言えない。


 でも。


「……待てよ?」


 俺は布団から起き上がった。


 そういえば。


 この時代って、側室制度があるんじゃなかったか?


「…………」


 ある。


 絶対ある。


 だって織田信長だぞ。


 歴史の教科書にも側室がいたって書いてあった気がする。


 徳川家康なんて、子供が十人以上いたはずだ。


 つまり。


「……結婚してても、別の女の人と付き合っていいってこと?」


 俺は天井を見上げた。


 なんだ。


 解決じゃないか。


 濃姫は正室。


 吉乃は側室。


 これなら誰も傷つかない。


 ……いや。


 待て。


 だったら昨日、家臣はなんであんなことを言ったんだ?


『奥方様をお忘れなきよう』


 あれじゃまるで、浮気をするなと言っているみたいじゃないか。


 側室が認められているなら、別に問題ないはずだろ?


「……よし」


 聞いてみよう。


 ただし。


 吉乃の名前は絶対に出さない。


     *


「若殿、お呼びでございますか?」


「はい。ちょっと聞きたいことがありまして」


 昼前。


 俺はいつもの家臣を部屋に呼んだ。


 昨日、俺に浮気を疑ってきた男だ。


 こいつなら、側室についても詳しいだろう。


「何なりと」


「ええと……」


 俺は咳払いをした。


「一般論なんですけど」


「はあ」


「武将って、側室を持つことがありますよね?」


「ございますな」


 ほら!


 やっぱり!


「じゃあ、俺も側室を迎えられるんですか?」


「…………」


 家臣が黙った。


 そして。


「……若殿」


「はい」


「やはり、村に女がおるのですな?」


「違います!」


 早い。


 推理が早すぎる。


「一般論だって言ってるでしょう!」


「昨日から井戸ばかり気にしておられますので」


「井戸は大事でしょう!」


「左様でございますな」


 絶対信じてない。


 家臣は小さくため息をついた。


「確かに、若殿もいずれ側室を迎えられることはございましょう」


「ですよね!」


「ですが」


 来た。


 嫌な接続詞。


「側室とは、惚れた腫れたで迎えるものではございませぬぞ」


「……え?」


 俺は首を傾げた。


「好きな人を側室にするんじゃないんですか?」


「必ずしもそうではございませぬ」


「じゃあ、何のために?」


「家のためにございます」


「…………」


 家?


「有力な家との結びつきを強めるため、あるいは子をもうけ、家を絶やさぬために迎えるものでございます」


「……恋愛は?」


「恋愛?」


「好きだから一緒にいたいとか」


 家臣は俺をじっと見た。


「若殿」


「はい」


「側室を迎えることは、遊びではございませぬ」


「…………」


 なんだろう。


 また説教が始まった。


「そもそも、若殿には濃姫様という正室がおられます」


「知ってます」


「斎藤道三殿のご息女にございますぞ」


「それも知ってます」


「その奥方様を差し置いて、勝手に側室を迎えるなど、あってはならぬこと」


「……勝手には駄目なんですか?」


「当然にございます」


 家臣はきっぱりと言った。


「まずは奥方様のお許しを得ねばなりませぬ」


「…………」


 許可制?


「濃姫に?」


「左様」


「俺が?」


「左様」


「別の女の人を側室にしたいって?」


「左様にございます」


「…………」


 俺は想像した。


『濃姫、好きな人ができたので側室にしたいんですけど』


『まあ、信長さま』


 にっこり。


『では、まず槍の鍛錬をいたしましょう』


 にっこり。


 ぐさっ。


「……無理です」


「何がでございます?」


「何でもありません」


 無理だ。


 絶対無理だ。


 あの人にそんな話をしたら、俺の首が飛ぶ。


 本能寺まで三十三年もあるのに。


     *


「それと、もう一つ」


「まだあるんですか?」


「ございます」


 家臣が姿勢を正した。


「側室を迎えるとなれば、相手の家柄も重要にございます」


「家柄?」


「はい。しかるべき家の娘であれば、縁組としての意味もございますゆえ」


「……じゃあ、普通の村娘だったら?」


 家臣の眉がぴくりと動いた。


 しまった。


 具体的すぎた。


「村娘、でございますか?」


「一般論です!」


「まだ何も申しておりませぬが」


「…………」


 墓穴を掘った。


 家臣はしばらく俺を見つめたあと、口を開いた。


「ただの村娘となりますと、正式な側室として迎えるのは難しゅうございましょうな」


「……どうして?」


「家柄が釣り合いませぬ」


「でも、好きだったら?」


「若殿」


「はい」


「先ほども申し上げましたが、惚れた腫れたで決めるものではございませぬ」


 またそれか。


 この時代、恋愛に厳しすぎない?


「じゃあ、身分の低い女の人を好きになったら、どうするんですか?」


 家臣が黙った。


 そして。


「……愛妾という形になりましょうな」


「愛妾?」


「はい」


「側室とは違うんですか?」


「正式に家へ迎える側室とは、立場が異なります」


 俺は首を傾げた。


「つまり?」


「屋敷の外に住まわせ、時折お通いになるということです」


「…………」


 通い?


「結婚は?」


「いたしませぬ」


「一緒に住まない?」


「基本的には」


「……それって、ただの浮気じゃないですか?」


「…………」


 家臣が微妙な顔をした。


「若殿。そのような言い方は」


「いや、だって」


 俺は指を折った。


「嫁がいる」


「はい」


「別の女の人を好きになる」


「はい」


「こっそり会いに行く」


「……はい」


「浮気ですよね?」


 家臣が咳払いをした。


「そこは、あくまで家の秩序を乱さぬことが肝要にございます」


「秩序?」


「正室のお立場を第一に考え、家の務めを疎かになさらぬことです」


「…………」


「特に、濃姫様は斎藤家との大切な縁を結ぶお方」


「はい」


「そのお立場を損なうようなことは、決してなさってはなりませぬ」


「……つまり?」


 家臣は少し声を落とした。


「愛妾を持たれるのであれば、奥方様のお耳に入らぬよう、慎重になさることです」


「…………」


 俺は家臣を見た。


「バレなきゃいいってことですか?」


「そのような軽々しい話ではございませぬ!」


「でも今、そう言いましたよね?」


「家を第一に考えよと申し上げております!」


「…………」


 なるほど。


 分かった。


 全然分からない。


 正式に側室を迎えるには嫁の許可が必要。


 でも身分の低い女の人なら、側室にはしにくい。


 その場合は愛妾にする。


 ただし嫁には秘密。


 そして屋敷を最優先。


 ……何この制度。


 ややこしすぎるだろ。


     *


「若殿」


「はい」


「一つ、申し上げてもよろしいでしょうか」


「どうぞ」


 家臣が真剣な顔になった。


「若殿はまだ、濃姫様をお迎えになられたばかりにございます」


「……はい」


「まずは奥方様との仲を深められるべきかと」


「…………」


 それは分かっている。


 濃姫は悪い人じゃない。


 むしろ、俺にはもったいないくらいの嫁だ。


 綺麗だし。


 優しいし。


 戦から帰ったときも、本気で心配してくれた。


 でも。


 好きかと聞かれたら、分からない。


 吉乃とは違う。


「……側室って、好きじゃなくても迎えるんですね」


「家のためであれば」


「愛妾は、好きだから?」


「そういう場合もございましょう」


「…………」


 俺は考えた。


 吉乃を側室にはできない。


 でも、愛妾にはできる。


 そうすれば、これからも会える。


 好きだと言うこともできる。


 だけど。


 吉乃は、それで幸せなんだろうか。


 俺が帰ったあと、一人で待っているだけの暮らし。


 しかも、濃姫には秘密。


 俺は吉乃と普通に話したいだけなのに。


 どうしてこんなに難しいんだ。


「……ありがとうございました」


「お役に立てましたなら」


 家臣が頭を下げる。


 そして、立ち上がりかけたところで止まった。


「ところで若殿」


「はい?」


「その村娘というのは、どちらの村の者で?」


「…………」


 俺は目を逸らした。


「一般論です」


「左様でございますか」


「はい」


「では、明日も井戸の視察に?」


「…………」


 こいつ。


 絶対楽しんでるだろ。


     *


 その日の夕方。


 俺は縁側でぼんやりしていた。


 側室。


 愛妾。


 正室。


 家柄。


 許可。


 秘密。


 考えれば考えるほど、頭が痛くなる。


 現代だったら、好きな人に告白するだけでも大変なのに。


 戦国時代では、告白する前に家の事情まで考えなきゃいけないらしい。


「……恋愛って面倒くさいな」


「何が面倒なのでございます?」


「うわあっ!」


 振り返る。


 濃姫だった。


 いつの間に。


「信長さま?」


「な、何でもありません!」


 濃姫が俺の隣に座った。


「何やら難しいお顔をなさっておられましたので」


「ちょっと考え事を」


「まあ」


 濃姫が微笑んだ。


「私にもお聞かせくださいませ」


「…………」


 無理。


 絶対無理。


「……濃姫」


「はい?」


「もしもの話なんですけど」


「はい」


 俺は慎重に言葉を選んだ。


「誰かが、ものすごく困ったことを相談してきたら、どうします?」


「困ったこと?」


「はい」


「内容によりますね」


「……例えば」


 俺は唾を飲んだ。


「その人が、奥さんに言いにくい秘密を持っていたら」


 濃姫が首を傾げた。


「まあ」


「…………」


「それは、奥方様にお話しするべきことなのでは?」


「……ですよね」


 終わった。


 相談する相手を間違えた。


 濃姫は少し考え込んだあと、俺を見た。


「信長さま」


「はい」


「私には、隠し事などなさらないでくださいませね」


「…………」


 笑顔だった。


 ものすごく綺麗な笑顔だった。


 俺は背筋を伸ばした。


「……善処します」


「信長さま?」


「はい! 隠しません!」


 即答した。


 濃姫が嬉しそうに笑う。


 俺も笑った。


 引きつっていたと思う。


     *


 その夜。


 俺は布団の中で天井を見つめていた。


 側室制度があると知ったときは、全部解決したと思った。


 でも。


 現実はそう簡単じゃなかった。


 濃姫には、正室としての立場がある。


 吉乃には、吉乃の人生がある。


 俺が好きだからといって、勝手に決めていいことじゃない。


「…………」


 分かってる。


 分かってるけど。


 やっぱり会いたい。


 吉乃の笑顔が浮かぶ。


 俺が織田信長だと知らずに、普通に話してくれた女の子。


 水をかけてしまった俺に、笑いかけてくれた女の子。


 俺が初めて、自分から会いたいと思った女の子。


「……どうしよう」


 俺は寝返りを打った。


 隣の布団では、濃姫が静かに眠っている。


 この人を傷つけたくない。


 でも。


 吉乃のことも諦めたくない。


 俺は目を閉じた。


 本能寺の変まで、あと三十三年。


 歴史を変える方法は、まだ分からない。


 それなのに。


 俺は今、天下統一よりも難しい問題を抱えている気がする。


 ……というか。


 織田信長って、女関係までこんなに面倒くさいのかよ!?

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