怪の八 電話にもご用心
もう間もなく日曜日の午後五時。夕焼けが眩しい時間。
明日から始まる一週間にシジミさん症候群になっている美怜とスマホでメッセージをしつつ、わたしは居間のテレビの前に正座待機していた。
そう、日曜日の午後五時、待ちに待った狼藉侍の放送時刻が迫っていたから。
狼藉侍は時代劇。舞台は尾張徳川家の領地。今で言う名古屋あたり。
主人公は農村に住むやたらと彫りの深い顔立ちをした青年、名を宗秋と言う。村の外れに母子二人で暮らしている。薄幸の美女の母は決して宗秋の父親のことを黙して語らず、宗秋も生まれたときから見も知らずの父親のことなんてどうでもよかった。
宗秋は農民の子でありながらめっぽう剣の腕が立ち、町の剣術道場では免許皆伝に最も近い男と目されていた。
しかしこの宗秋、剣の腕は立つものの性格は自由奔放。気分屋で気に食わないことがあるとすぐに腕に頼る悪癖がある。生来の正義感の強さも相まって、そのせいで喧嘩沙汰を起こすことしばしば。要するにトラブルメーカー。
ある日、趣味の魚釣りの帰り道に数人の身なりの良い男たちにかどわかされそうになっている村娘を発見。その日はボウズで機嫌の悪かった宗秋は悪漢どもを鉄拳でボッコボコにする。宗秋は素手でも超強い。後日、家に町奉行がやってきて宗秋は奉行所へと引っ立てられてしまう。
運の悪いことに悪漢の中に町の有力者の子が混じっており、あらぬ罪を着せられ宗秋は大ピンチ。
そこに偶然居合わせたのは尾張徳川家七代目将軍、徳川宗春。名古屋を繁栄させた立役者にして、なんと宗秋の実の父親。宗秋の宗の字は、父である宗春から授かったものだったのだ。
宗春のおかげで窮地を脱した宗秋。
宗春は我が子の性質を見抜き世直しの旅に出ることを命じる。役人や代官の専横がはびこり、何かあっても泣き寝入りするしかない町民や村人が後を絶たず、手を打たねばと思っていたところに宗秋が現れた。彼ほどの腕前と正義感があれば任せられると踏んだのだ。危なっかしいところはあるが旅の途中で出会う人々に揉まれて鍛えられれば、一廉の男になるだろうと信じた。
さすが名古屋を繁栄させた将軍。一目で息子の性根を見切り、それにふさわしい役を与えた。
宗秋は二つ返事で引き受け、腰の大小と徳川の家紋入りの短刀を授けられる。実の父からの物騒な贈り物。
「よお、親父殿。どんな奴が相手でも、狼藉働いていいんだよなあ」
「よい。それがお前の目から見て悪漢ならば構わぬ。徳川の名の下に切り捨てよ」
などという無茶苦茶な会話を経て、宗秋は、いや狼藉侍は世直しの旅へと出立したのであった。
決め台詞はひと暴れする前の「ちょいと狼藉、働くぜ」と、家紋入りの短刀を見せつける時の「このご家紋、見覚えがないとは言わせねえ。
ああ、狼藉侍さま。今週はいったいどんな狼藉を働くんだろう。手作りの狼藉うちわを両手に持ち、推しを応援する準備は万端。
狼藉侍さま、ひかりの準備はできております。いつでも狼藉を働いておくんなまし。
「んっ?」
もう間もなく放送というところで美怜からの着信。おのれ何たる狼藉。別に見逃してもレコーダーで録画してあるから問題はないけど、リアタイで視聴したい。推しはリアタイに限る。
そんなファンの気持ちを、この幼なじみはわからぬと申すのか。
まあしょうがないから出るけどさ。
「はい、もしもし」
「………………」
んっ、なんだこれ。ザアザアとノイズが聞こえてくる。電波の調子が悪い、ってことはないか。
ノイズの向こうからヒューヒューと苦しげな息遣いが聞こえてきて、ハッとする。
「もしもし美怜、大丈夫?何かあったの?」
返事はなく、苦しげな呼吸がさらに激しさを増してふいごのような音を立てている。その向こうからは、パチパチと何かが爆ぜるような音。まるで盛大にキャンプファイヤーをしているみたいな。
「…アツイ……クルシイ……タスケテ……」
「えっ…?」
金属をこすり合わせたような悲痛な声。その後ろから折り重なるような悲鳴が聞こえてきて、弾かれたように耳からスマホを離した。
ヤバいヤバいヤバい。これ絶対なんか変なのと繋がっちゃってる。
画面を見ると表示がバグっていて、火とか熱とか炎とか煙とか痛とか爛とか苦とか焼死とか、そういう火事を連想させる不吉な文字が躍っている。
とにかく電話を切ろう。今すぐ切ろう。
なのに画面には通話終了のボタンが表示されていない。えっ、どうすればいいの、これ。
「アアアァァァ…!ギャアアアァァァ…!」
スピーカーモードにしていないのにスマホからは悲鳴の大合唱と燃え盛る炎の音が聞こえてくる。よかった、家族が出かけているときで。
いやそんな変な安心をしている場合ではない。えーと、どうしよう。どうすればいいんだ。
なんかまずい感じがする。パチパチと火が爆ぜる音が電話の向こうではなく間近から聞こえてきてて、部屋の温度がサウナみたいになって汗が額を伝っている。おまけに鼻を突く焦げ臭いにおいまで漂っている。
「あ、熱い…苦しい…!」
息が苦しい。熱気を吸い込んだみたいに喉の奥がヒリヒリする。カラカラに乾いている。水、水が欲しい。身体中が熱くて熱くてたまらず、このままじゃ焼け死んでしまう。嫌だ、そんなの嫌だ。
なんとかキッチンまでたどり着き、蛇口をひねって水を出した。蛇口の下に頭を突っ込み、髪が濡れて流し台に垂れるのも、顔にザアザアと水がかかるのにもかまわず、貪るようにごくごくと水を飲んだ。
飲んでも飲んでも渇きは収まらず、なのに口から逆流してきてゴボゴボと吐き出した。
「げほっ…げほっ…」
それでも少しは落ち着いて、水に濡れて頭が冷えたおかげかひとつの考えが浮かんだ。
スマホを水浸しにすれば壊れて通話が切れたりしないかな。
もったいないけど背に腹は代えられない。触ると火傷しそうなほどの熱を持ち、怨念のように悲鳴と火が燃える音を発し続けるスマホをドボドボと流れる水の中に突っ込んだ。
すると悲鳴も火が燃える音も止んで、部屋に漂っていた異常な熱気と焦げ臭いにおいもウソみたいに収まった。
水を止めてスマホを見ると、画面は元に戻っている。壊れた様子もない。
「よかった…」
腰から力が抜けて、台所の床にヘナヘナと崩れ落ちた。
よく考えたらこのスマホは防水仕様だ。それなのにどうして通話が切れて、火事の怪異が収まったのだろう。まあ、なんでもいいや。きっと水が邪悪な炎を鎮火してくれたんだ。そういうことにしておこう。
スマホは美怜とメッセージを交わしていた画面になっている。そこに美怜からの着信の履歴は、なかった。
わたしのスマホはいったい、何と繋がっていたんだろう。
あのまま何もせずにいたら、わたしはどうなっていたんだろう。
やだ、考えたら急に怖くなってきた。
「ただいまー、うわっ!ちょっとなにこれ!?ひかり、なんであんた台所でびしょ濡れになってんの!?」
買い物から帰ってきたお母さんに盛大に驚かれ、言い訳を考えたけど何も浮かばず投げやりに答えた。
「ちょいと狼藉、働いちまったぜ」
「バカ!とにかく髪拭いて、っていうかもうお風呂入っちゃいなさい!お母さん床拭いとくから!」
「はい、ごめんなさい…」
温かいシャワーを浴びて、あたたいかいお湯に浸かるとようやく気持ちが落ち着いてきた。
はあ、視えるっていきなり変なことに巻き込まれたりして、全然いいことないんだなあ。
しかも説明したところでどうせ信じてもらえないから呑み込むしかなくて、誰にも話せないし。美怜ではちょっと心もとないし、心配もかけちゃうから話せない。
ああ、どこかにわたしと同じように視えたり、同じような目に遭ってるひといないかなあ。いたらぜひお友だちになりたい。
なんてそんなひと、いるわけないかあ。
と思っていたら、いた。思ってたよりも身近なところに、いた。




