怪の七 ゴスロリちゃん
甘辛いにおいの漂う住宅街。夕方のチャイム。沈みゆく夕陽。
夕陽に照らされた愛しき我が家。回復機能付きのセーブポイントを見つけたような絶対の安心感。
帰り道でも異物を視かけたものの追いかけてきたりするタイプではなく、道ばたに突っ立っているだけの無害なやつだった。ヒトベロスみたいについてくるのは稀なのかもしれない。
念のため家に入る前に路地を見渡してみても異物は何もない。ヒトベロスがひっそりわたしの後をつけていて、送りベロスになっちゃったなんてことはない。
ホッとしながら玄関を開けた。
「ただいまー」
我が家は二階建てで、玄関入ってすぐに階段がある。二階にはパパとママの寝室、それとわたしの部屋とお兄ちゃんの部屋がある。
「おう、おかえりー」
ちょうど階段を下りてきたお兄ちゃんがわたしに微笑んだ。その背中に、全身真っ黒でフリフリな服を着たツインテールの女の子がしがみついている。髪を結ぶゴムについた目玉がキモかわいい。ゴスロリというやつだろうか、こういう格好をした人を初めて生で見た。
本当にこんな服着る人いるんだと、ちょっと感激。
ゴスロリちゃんはお兄ちゃんの首に腕を回して、コアラのおんぶくらいひっつきながらわたしをじっと見つめている。険のある眼差しで。言葉にするなら、この女だれ?って感じの眼差しで圧が強く、咄嗟に目をそらしてしまった。
お兄ちゃんはほどよくチャラくてモテる。大学生になったいまはモテ期の絶頂らしく、夜な夜な女の子と電話する声がわたしの部屋にまで聞こえている。スピーカーモードで甘い言葉を交わすのは恥ずかしくなるからやめてほしい。
だけど女の子を家に連れてくるのは初めてのことで、わたしはプチパニック状態。
えっと、こういうときってなんて挨拶すればいいんだろう。ふつつか者ですがよろしくお願いします?いや、それは変か。嫁ぐんじゃあるまいし。だめだな、ヒトベロスのせいで疲れて、頭が回らない。
「なんだよひかり。変な顔して」
お兄ちゃんは小さく笑い、自然な動作で階段脇の廊下を進んで居間へと入っていった。
あれ、こういうときって普通は紹介とかしてくれるものなんじゃないの。
というか一緒に食卓を囲むこととかになったらちょっとやだなあ。いろいろあって疲れてるから、今日は勘弁してほしい。
「んっ…?」
なんとなく気配を感じて顔を向けると、ゴスロリちゃんがわたしのすぐ横に立っていた。なんの足音もさせずに、まるで最初からそこにいたかのように。
ヤンキーがガンをつけるくらいの距離感まで顔を近づけて、低い声でブツブツとつぶやいている。
「だれこの女だれこの女だれこの女だれこの女だれこの女だれこの女だれこの女だれこの女」
わたしは思わず目をそらした。
ええー、なにこの人。服装はかわいいのにめっちゃ怖い。
お兄ちゃんのバカ。ちゃんと紹介してくれないせいで変な誤解されてるじゃん。彼女を家に呼ぶなら妹がいることくらい言っといてよ。
というかこの人はなんなんだ。格好で人のことを決めつけたり差別したりする気はないけど、ゴスロリ嫌いになりそう。
とにかく誤解をとかなきゃと顔を見ると、その目がヒトベロスと同じように黒く濁っていることに気がついた。普通なら白目がある部分まで、底なし沼みたいに黒く染まって淀んでいる。
ああ、このゴスロリちゃん、視えちゃいけないやつだったのかあ。
確かになあ、ゴスロリちゃん家の中なのにゴリゴリの上げ底ブーツ履いてるなあって思ってたんだよなあ。
そりゃ霊的なものだもんなあ、土足でも問題ないっていうか足あるんだ。へえ、霊的なものにも足ってあるんだあ。うわあ新発見。こんど学会で発表しよう。ってどの学会だよ。
内心でノリツッコミを繰り広げつつ家に上がったものの、手足が震えている。現実逃避失敗。平然を装えていない。ゴスロリちゃんの口から黒い霧みたいなのが出てきていて怖い。
しかもゴキンて骨が折れたような音がして首が直角に曲がった。人間なら折れてる角度。だけどゴスロリちゃんは元気に喋っている。
「おまえ瑛太くんのなんなんだよあたしの瑛太くんに近寄るんじゃねえよコロスぞブスが聞こえてねえのかミジンコ我が物顔で瑛太くんの家に入ってくんじゃねえよ厚かましいんだよビッチおまえ瑛太くんのストーカーか気持ち悪い気色悪い気分が悪い頭に穴開けて脳みそかき出してやろうか」
ゴスロリちゃんと内心で可愛く呼んでみてるけど敵意と悪口がすごい。ラジオパーソナリティの語りくらいのテンポで罵詈雑言を浴びせられている。
どうしよう、超怖い。敵意を具現化したようなドス黒いオーラまで身に纏っちゃってる。黒いのは服だけでじゅうぶんだ。
オーケー、とにかく落ち着くんだわたし。
ゴスロリちゃんは瑛太くん、お兄ちゃんのことが取り憑いちゃうくらい大好きなんだ。それでわたしをひとりの女として認識して、たぶん嫉妬している。
それならわたしが愛する瑛太くんの妹だとわかれば、敵意を剥き出しにすることはなくなるはず。
よし、これでいこう。
居間に入るとお兄ちゃんはテレビの前のソファにだらしなく寝そべり、携帯機にもなるゲーム機で遊んでいた。妹のピンチも知らずになんてのんきな。
居間と繋がったダイニングキッチンではお母さんが料理をしてて、わたしに気がついて振り向いた。
「おかえり」
お母さんとわたしの間には黒くて陰気な、この世ならざる物体が立っているのに気がついている様子はまったくない。いつものようにそっけなく迎えられた。
「ただいま、お母さん」
わたしはあえて強調してお母さんと呼んだ。
こうすればゴスロリちゃんにもわたしがこの家の一員、家族だと伝わるはずだ。わたしって冴えてる。
「オカア…オカア…オ義母サン…?」
あれ、なんか強調しすぎて響きが変になっちゃったのかな、あらぬ誤解を受けている気がする。
なんとなくゴスロリちゃんの言うおかあさんが、義母的なニュアンスを含んでいる気がする。
うん、気のせいじゃない。だってさっきよりわたしに向けられる眼光が鋭くなっている。殺気みたいなものをヒシヒシと感じる。
えっ、ちょっと待って、ゴスロリちゃんの髪が怒りを現すかのようにヘビのようにうねり、手がゆっくりとわたしの首に伸びてきてる。
ヤバい。何をするつもりかわからないけど、あれに掴まれたらたぶんヤバい。わたしの第六感が激しく警鐘を鳴らしている。
「お腹空いたー。ママー、今日のご飯なにー?」
わたしは無邪気を装ってゴスロリちゃんの腕を避けて、揚げ物をしているお母さんに甘えるようにくっついた。
わかるでしょ。これでさすがにわかるでしょ。嫁姑の関係じゃなくて、母娘なんだってことが。
期待を込めて後ろをちらりと振り向くと、ゴスロリちゃんはなおも鋭い眼光でわたしに腕を伸ばしていた。襲いかかってくるゾンビみたいな感じで迫ってきていた。
「ちょっと、ひかり。コロッケ揚げてるから危ないわよ。離れなさい」
いやだ、離れたくない。だってむちゃくちゃ怖いんだもん。くっつくどころかもう、震える手で背中に抱きついた。
「えへへ。やったあ、コロッケだあ。ひかり、ママの作ったコロッケ好きー」
今このときの母の顔を、わたしは一生忘れることはないだろう。
眉がキツく寄せられておでこや眉間にはシワがより、視線は極寒の冷たさ。口は半開きになって、今まで聞いたことのない低い声で「えっ…」って言ってる。
甘えて抱きつく娘にドン引きで、さり気なく引き剥がされた。
うん、わかるよその気持ち。最近ちょっと反抗期で素っ気なかったり、言い争いが増えていたのが、いきなりこれだから。
甘えきった声でママと呼んで、さらに子どもに戻ったみたいに自分のことを名前で呼ぶ。
それはドン引きするのも無理ないけど、ちょっと傷つくものがあるのはなんでだろう。お母さんって、どんなわたしでも受け止めてくれるものなんじゃないの。
うん、いいんだけどね。うん。
「あっ、なんだ、家族か」
ゴスロリちゃんがようやく理解してくれたのがせめてもの救い。わたしに伸ばしていた手を引っ込め、ソファでゲームをしているお兄ちゃんの背後にぬるりと忍び寄って首に腕を巻き付けた。プレゼントのリボンくらいグルグル巻きにしている。
お兄ちゃんは首を左右に傾け、肩を動かしてぼやいた。
「んー、なんだろ。最近やけに肩こるんだよなあ」
そりゃあんなのが憑いてたら肩もこる。
ヘヴィ級な怨念がありそうだもの。
「ひかり、あんた大丈夫。熱でもあるの?」
お母さんの声に振り向くとひんやりした手がおでこに当てられてホッとして、じわじわと瞳が潤んできた。
よく知っているやわらかくてひんやりした手に安心して、これまで無理しっぱなしで張り詰めていたものが一気にほどけたようにブワッと溢れ出てきた。
「うわあああぁぁん!お母さん!お母さああぁぁん!」
「えっ、やだ、どうしたのひかり。何かあったの?」
わたしと同じで薄い胸に顔を埋めて、子どもみたいにすがりついて盛大に泣いた。
揚げ物のいい匂いが漂うキッチンで号泣すると、お腹がググーと大きく鳴った。
その後の食卓で、お兄ちゃんに取り憑いているゴスロリちゃんがわたしに気遣わしげな視線を送ってくるのが不気味で、だけどちょっとだけおかしかった。




