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怪の五 美怜の疑惑

 三本首のアルティメットになったヒトベロスが、犬みたいにだらりと舌を出しながらわたしたちの後をついてきている。平和な住宅街に似つかわしくない、異形の姿。

 あんなに景気よく塩を振りかけて顔を溶かして怒らせたかと思ったけど、その足取りは軽くご機嫌な様子だ。

 首二つのときにはなかった会話が生まれている。ずっとワシャワシャウシャウシャとノイズみたいな音を発して会話している。


 二人だとちょっと気まずい友だちといたところに、待ち合わせに遅れてきた三人目が到着したかのように会話が弾んでいる。

 気持ちはわかるけど耳触りなことこの上ない。ずっと耳元でそこそこの大きさの羽虫が飛び続けているような不快感。

 これってもしかして、敵に塩を送ってしまった的な状況なのだろうか。文字通り塩を送って、ヒトベロスをパワーアップさせてしまった。

 ああ、だとしたらわたしは救いようのないバカだ。

 

 ヒトベロスたちの軽快なトークは美怜には聞こえていないようで、推しのバンドについて目を輝かせて早口で語っている。視えないと声も聞こえないものらしい。

 この地獄三重奏が聞こえないなんて、心の底から羨ましい。


「それと何より忘れちゃいけないのが、伝説のドーム公演だね。ヴォーカルのルシファーあかつきが『これより悪魔召喚の儀を執り行う!』って叫んで、観客に囲まれた出島で毒霧を吹きながら牛の血を使って魔法陣を描いたの。それでそのド真ん中でブリッジしながら市松人形の屋敷を熱唱。あれはもう音楽の授業で流すべきだね、みんながルシファー暁の生贄になること間違いなしだよ」


 美怜の推しのバンドは福魔伝ふくまでんというサタン系バンドだ。

 ルシファー暁という、たまにテレビでコメンテーターもしているヴォーカル兼ギターがリーダー。年齢はキリストの死後から数えるのをやめたらしい。そういう設定。デビューはわたしたちが生まれる前で、コメントの内容も含蓄深いものが多いからけっこうな年齢のはず。まあ、深く考えるのはやめておこう。

 市松人形の屋敷は福魔伝の代表曲で、カラオケに行ったら美怜が絶対に歌うおはこだ。貴殿も市松人形になるがいい!という決め台詞をかわいくシャウトしてくれる。美怜がボブカット、もとい市松人形カットにこだわるのもこの歌が理由。フランス人形の屋敷にしてくれていたら、ロングヘアーの美怜を見られたのにと恨まずにはいられない。

 生贄というのは福魔伝のファンのこと。なんとも物騒な呼称だが、ファンたちは気に入っているらしい。


「うん、そうだね」


 できるだけ美怜の話は聞いてあげたいけど、今はそんな場合じゃなくて相づちがテキトウになってしまう。

 だってわたしたちがヒトベロスの生贄になってしまうかもしれない状況だし。

 ヒトベロスは一定の距離を保って、おしゃべりしながらひたひたと後をついてきている。つかず離れずの距離を保って。

 今のところ害はないものの、気になって気になってしかたがない。アルティメットになったヒトベロスが、何を目論んでいるのかさっぱりわからない。

 ヒトベロスが牙を剥いてきたら、わたしは美怜を守れるのだろうか。塩は二見さんに返して(ほぼ使い切ったことに驚愕していたけど怒らないでくれた。本当にごめんなさい)手元にない。

 あったとしても、もう使うつもりはないけど。四つ首になっちゃったら目も当てられないし。


「もうちゃんと聞いてるの、ひかり。さっきから生返事ばっかり」


 腰に手をあてて不満げにほっぺをふくらませる美怜に、あたしは慌ててこたえた。


「そんなことないってば。次の音楽の時間に、美怜がブリッジしながら市松人形の屋敷を歌うって話だったよね。任せて、わたしが魔法陣描いてあげるから」


「そんな授業ジャックしないよ!そんなことしたら市川先生泣いちゃうよ!」


 市川先生は新任の音楽の先生で、眼鏡を掛けた内気な雰囲気の女教師。ちょっと内気な感じがして意外とおっちょこちょい。福魔伝とか絶対に聴かなさそうなタイプ。

 市川先生が生贄になることは間違ってもないだろう。


「ねえひかり、お参りしてからずっと変だよ。やけにソワソワして目が泳いでたり、私の話聞いてくれてなかったり、急に変なこと言い出したり。ねえ、何かあったの?」


 白い花の咲いた生け垣の側で、美怜がわたしの前に立ち塞がった。

 真剣な眼差しでわたしの目をじっと見つめてくる。すべてを見透かすような、琥珀の瞳で。

 その足元には、三つの顔でわたしを見上げてくるヒトベロス。目がないくせに視線の圧が強い。三倍強い。


「な、何もないって。お参りしてちょっとテンション上がっちゃっただけだよ」


「違う、そうじゃないでしょ。わかるって、ひかりが何か隠してることくらい。付き合い長いんだし。ねえ、私に言えないようなことなの」


「そ、それは…」


 言えない。

 だってそれを言ったら、自称霊感少女の美怜を否定することになっちゃうし、言えるわけがない。

 わたしは美怜に嫌な思いをさせたくない。

 美怜の目を見つめ返しているのがつらくなって、わたしは目をそらした。


「そっか、私にも言えないことなんだね…」


 美怜はうつむいてグッと手を握りしめ、唇を噛んでいる。

 だけどわたしに言えることはなんにもなくて、同じように手を握りしめた。

 美怜の足元でおすわりしたヒトベロスは明後日の方向を向いている。おしゃべりをやめて、何かに耳をすましているように視える。


 何だよと思ってそっちを見ると、道路を挟んだ先に突っ立っているなんの変哲もない電信柱。よく見ると電信柱の足元にぽつんと段ボール箱が置いてある。

 そこからかすかな鳴き声が聞こえてきた。ちいさく頼りなく、か細い鳴き声が。


「くぅーん…」


 茶色い段ボールから、もふもふとした生き物が顔を覗かせた。

 短い前足をちょこちょこと動かして段ボールの縁にかけて、コテンと横倒しにして出てきた。

 柴っぽい顔立ちをした子犬。

 動作は犬のようだけど断じて犬ではない、形容しがたい生き物をずっと見てきたわたしには眩しいほどにかわいい生物。

 

「あっ…」


 美怜も気がついて、目を見開いて子犬を見ている。

 美怜の家ではつい去年まで犬を飼っていた。明るい茶色の毛並みをした、人懐っこい柴犬を。

 名前はコムギ。美怜が生まれたときから一緒にいて、わたしもたくさん一緒に遊んだ大事な友だち。美怜にとってはかけがえのない家族。

 子犬はコムギの毛色にそっくりだった。


 子犬と美怜の視線が交差し、子犬は引き寄せられるようにこっちに向かって駆け出してきた。

 わたしたちと子犬の間には道路。

 その道路を唸りを上げて走ってくる一台のバイク。

 駆け出した子犬に気がついている様子はなく、速度をまったく緩めていない。

 

「あぶないっ!」


 わたしと美怜が叫ぶと同時に、足元を湿った風がぬるりと吹き抜けた。

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