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怪の十一 トイレの蘆屋さん

 トイレに入り一番手前の個室に入ろうとすると中に先客がいた。

 フラミンゴみたいに片足を上げて、スカートからパンツを引き抜いたあられもない状態の生徒会長。なんだろうあのパンツ。おしりをすっぽり包めそうな大きめサイズで色は黒っぽい灰色。生地は見るからにゴワゴワして分厚い。

 おばさんパンツともまた違った種類の、世にもかわいくないパンツ。なんてことだ、会長ってもっと大人っぽくてセクシーな、レースのパンツとか履いてると思ってたのに。

 目が合うと会長は静かに微笑んで、落ち着いた口調で言った。


「やあ御子柴くん。奇遇だな」


 言いながら閉じた便座の上に乗せたバッグから黒い袋を取り出して、脱いだパンツを入れて丁寧にチャックを閉めている。そして流れるような手つきでバッグからさっきまで履いていたのと同じ、黒灰色のゴワゴワパンツを取り出して履いている。

 その動作はなめらかで、なんとなく慣れた手つきな感じがした。そしてただパンツを履いているだけなのに優雅だ。片足立ちでも体幹がまったくブレていない。

 

「あっ、どうも」


 わたしは動じないふりをしながら隣の個室に入った。トイレの奥の換気用のすりガラスの窓に黒い影がへばりつき、窓に手を押し付けているのが視えた。

 でもそれ以上に変なものを見てしまったせいで頭が混乱し、深く気に留めずに個室に入った。あのサイズの窓から入ってこられるわけもないし。

 

 今見たものはいったいなんだったんだ。どうして会長はパンツを履き替えてたの。しかもドアを開け放したまま。

 しかもなに、あの可愛さのかけらもないパンツ。あっ、もしかしてあの日用のやつだったのかな。それならあの無味簡素なデザインも納得だけど、換えも持ってきて履き替えるって大変だな、会長。

 潔癖症とかいうやつなのかもしれない。ドアを開けっ放しだったのは油断していたのだろう。それか超速で履き替えようとしていたところに、運悪くわたしが来てしまったか。

 と考えているとコンコンと個室のドアをノックされ、会長のよく通る声が聞こえた。 


「御子柴くん、先に生徒会室に行っているぞ」


「あっ、はーい」


 と返事をした矢先に猛烈な勢いでドアをノックされた。なに、なんなの。


「御子柴くん、やっぱり一緒に行こう。私は一刻も早く君と話がしたい」


 えっ、急にどうしたんだろう、会長。声のトーンが一段上がっている。まるで焦っているみたいに。


「な、なんですか急に。わたしまだ入ったばかりなんですけど」


「そんなの漏らしていい。私がなんとかするから早く行こう。さあ、早くそのかわいい顔を見せておくれ」


「ええー…」


 急に何を言い出しているんだろう、このひとは。ひょっとして女たらしってやつ。でも漏れそうなわけでもなかったので、わたしは言われるがままにドアを開けた。そんな風に言われたら、わたしも悪い気はしないし。

 開けるやいなや会長がわたしの手をむんずと掴んで、個室から引っ張り出した。これはまさか、愛の逃避行ってやつ。

 ふと気配を感じて目だけで窓側を見ると、トイレの中に侵入していた。

 わたしについてきてた、白装束の人が。窓越しではわからなかったけど、大きい。老人のように背筋を折り曲げてもなお天井に頭がぶつかりそうなくらいに大きく、手足が異様に長い。まるでタカアシガニみたいに長い手足が人間の体についてて、背筋がゾワッとする。

 ふしくれだった裸足でぬちゃぬちゃと音を立てて歩き、すぐ隣の個室の前まで迫っていた。


「待ッテ待ッテ」


 くぐもった声を発し、長い両手を伸ばしてパンパンと叩いている。その指はデタラメな方向に折れ曲がり、手首の細さに対して異様に大きな手のひらにはドス黒い血のようなものがこびりついている。

 氷袋を入れられたかのように冷たくなる背筋。漏れ出そうになる悲鳴をぐっと飲み込んで、喉を絞るように平坦な声を出した。


「あー、なんだかわたしも急に会長とお話したくなってきましたー。早く生徒会室に行きましょー」


「そうだろそうだろー。よーし、生徒会室まで競争だー」


「わー待ってー会長ー」


 棒読みで言いながらわたしたちは脱兎の勢いで駆け出した。火事場の馬鹿力というやつだろうか、平均的な運動神経のわたしが校内一の俊足を誇る会長と並走している。どちらも決して後ろは振り向かず、ほぼ同時に生徒会室に飛び込んでピシャリとドアを閉めた。

 ドアを挟んでぬちゃぬちゃとした足音が聞こえて息を呑んだ。頼む、頼むから入ってこないでと祈っていると、「ドコ?ドコ?」とつぶやきながら遠ざかっていった。

 ひと安心すると腰が抜けて、壁に背中をつけながら床にヘナヘナと座り込んでしまった。心臓は口から飛び出しそうなくらいにバクバク鳴ってる。

 よかった、助かった。もしもあのまま個室に入っていたら、どうなっていたのだろう。あの白装束に何をされていたのだろう。あの手が迫って、パンって潰されて…。

 ああ、だめだ、考えただけでも怖すぎる。歯がガチガチと鳴って、手足がブルブルと震えてくる。


「間一髪だったな」


 生徒会長は淡々と言って、わたしに手を差し伸べた。


「立てるか御子柴くん」


「あっ、ありがとうございます、会長…」


 会長の手はなめらかでほんのりあたたかい。力強くぐいっと引っ張り、わたしを立ち上がらせてくれた。あんな化け物に追いかけられてもまるで動じていない。なんて頼もしいひとだろう。


「会長なんて、そんな他人行儀な呼び方はやめてくれ。私の名前は蘆屋朔夜あしやさくやだ」


 静かに微笑む生徒会長、いや、蘆屋先輩の顔が、月の光の下に咲いた一輪の花のように綺麗で見惚れてしまった。

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