024 ダンジョンモンスターそれぞれ
ダンジョンの岩壁に直接埋め込まれた、緑色のロゴが光るカフェチェーン店。
ハルは、プラスチックのカップに入ったアイスコーヒーのストローを噛みながら、岩肌の天井を見上げた。
「そういえばさ、リンちゃん」
「なんですの?」
向かいの席で、リンがショートケーキのイチゴをフォークでつついている。
「今でこそ発電所で電気を作ってネオンとか点けてるけど。ここ、電気がなかった最初から、結構明るかったよね。普通に周りが見えてたし。あれなんで?」
ハルの疑問に、リンはフォークを置き、不思議そうに目をパチクリとさせた。
「まっくらだったら、人間がダンジョンにこないではありませんか」
リンが、呆れたようにため息をつく。
まるで『空はなぜ青いのか』という子供の質問に答えるような、当たり前を諭す態度だった。
「……そういうものなの?」
「ええ、そういうものです。迷宮の主が獲物を迎え入れる空間なのですから、松明がなくても歩ける程度の明るさが保たれるのは、ダンジョンの基本仕様ですわ」
ハルはストローから口を離し、アイスコーヒーの氷をカラカラと鳴らした。
ダンジョンだから、という絶対的なルール。
物理法則すらねじ伏せるそのご都合主義にも、ハルはすっかり慣れきっていた。
「そっか。まあ、便利だからいいか」
ハルは立ち上がり、飲み終えたカップをゴミ箱に放り込んだ。
◇
カフェを出たハルは、店舗区画を抜けて、ダンジョンの奥へと足を向けた。
いつもならハル自身もツルハシを振るうか、札束の計算に追われている時間だが、今日は魔石発電所が安定稼働したおかげで、珍しく手が空いている。
ガコン、ガコン
拡張工事の現場では、アース・ゴーレムたちが黙々と重い鉄骨を運び続けている。
疲労も睡眠も必要としない彼らは、ただひたすらに単純作業をこなす最強の重機だ。
その現場の隅。
ブルーシートが敷かれた休憩スペースに、人だかりができていた。
「ゴブ監督ぅ、今日もお疲れ様ですぅ!」
「ヘルメット取った頭、まん丸でかわいいー!」
黄色い安全第一ヘルメットを脇に置き、パイプ椅子に座るゴブ。
その周囲を、ピンク色の作業着を着た人間の女性アルバイトたちが取り囲んでいた。
彼女たちは、キャピキャピとした声を上げながら、ゴブの緑色の頭を撫で回したり、短い腕をぷにぷにと突っついたりしている。
「ゴブゥ! メロンパン、ウマイ、ゴブ!」
ゴブは鼻の下を伸ばすこともなく、ただ純朴な笑顔を浮かべ、差し入れのメロンパンを大きな口で頬張っている。
彼が日本の建築基準法を学び、現場監督として的確な指示を出す有能さと、この愛嬌。
一部の女性作業員や官僚たちの間で、彼の頭を撫でる『アニマルセラピー』は、今や大人気の裏メニューになっていた。
ハルは、ゴブの首にかけられたポシェットに、百円玉がチャリンチャリンと投げ込まれていくのを見て、満足げに頷いた。
◇
さらに奥へ進むと、大浴場のバックヤードに出る。
そこには、折りたたみ式の長机を挟んで向かい合う、二つの異様な影があった。
「本日の第三区画のコンクリートですが、水分の配合を〇.一パーセント減らすべきだと提案します」
頭にタオルを巻き、汚れたワイシャツの袖を肘までまくった吸血鬼のパイだ。
彼女は、透明なパックに入った赤い液体──病院から回ってきた古い輸血パック──にストローを刺し、チューチューと吸いながら真剣な顔で言った。
「ほう。その理由は?」
対面に座るオークが、箸を止めて尋ねる。
グリーンのスリーピーススーツをビシッと着こなした彼は、目の前に特大の牛丼メガ盛りを三つ並べ、紅生姜の山を崩しながらかき込んでいる最中だった。
「カジノ側に多数の人間が密集している影響で、フロア全体の湿度が微量に上がっています。強度を完全に保つためには、現場での微調整が不可欠です」
パイが、輸血パックを握りつぶして最後の一滴まで吸い尽くす。
「承知いたしました、パイ殿。そのようにアース・ゴーレムたちへ指示を出しておきましょう」
オークはグラスの冷水を一息に飲み干し、口元をナプキンで拭った。
夜会服の吸血鬼と、巨漢のオーク。
本来なら、迷宮の奥深くで血肉を求めて人間を襲うはずの恐ろしい魔物たちだ。
それが今や、コンビニのストローを咥え、牛丼を飲み込みながら、日本の建設現場の品質管理について熱く語り合っている。
ハルは、彼らの極めて真面目なミーティングの邪魔をしないよう、足音を忍ばせてその場を離れた。
◇
ぽよん、ぽよん
通路の隅で、ゼリー状の魔物たちが群れていた。
青やピンク、黄色のスライムたちが、互いの体をぶつけ合いながらブルブルと震えている。
「お前ら、休憩中か?」
ハルがしゃがみ込むと、青スライムがハルの膝によじ登ってきた。
スライムの体内には、どこかで拾ってきたポテトチップスの欠片が浮かんでいる。
彼らは人間の老廃物を主食とするが、最近はこうしてスナック菓子の味も覚えたらしい。
隣では、ピンク色のスライムが、床でいびきをかいている日本の官僚の顔に覆い被さっていた。
息ができるように鼻と口だけを器用に避け、顔面の毛穴に詰まった皮脂と、日々の激務のストレスを吸い出している。
男は苦しむどころか、スライムの冷たい感触に顔を緩め、さらに深い眠りへと落ちていった。
「しっかり養分吸い取ってこいよ」
ハルは、膝の上の青スライムを指先で突っつき、立ち上がった。
◇
カジノフロアの裏手、従業員用のスタッフルーム。
ハルがドアの隙間から覗き込むと、そこには異世界カジノの顔とも言えるディーラーたちが集まっていた。
「ふう……」
最も巨大なミノタウロスが、壁際の長椅子に深く腰掛けている。
彼は丸太のような二本の指で、小さな白いティーカップの取っ手を器用につまみ、上品に紅茶をすすっていた。
漆黒のタキシードの襟元を少しだけ緩め、静かに目を閉じている。
その横では、数体のアイアンゴーレム──メイドロボ娘たちが、お互いの関節部分にスプレー式の潤滑油を差し合っていた。
プシュッ、プシュッ
「あたくし、右の肩のサーボモーターが少し鳴りますの」
「あら、暴れる冒険者を制圧しすぎですわよ」
メイドロボたちが、可愛らしい声で物騒な会話を交わしながら、金属の体を磨き上げている。
さらに奥のソファでは、美しい漆黒のドレスを着たスキュラが、六本のタコの触手を忙しく動かしていた。
触手の先端には、それぞれスマートフォンやタブレット端末が握られている。
「このブランドの新作ドレス、とても素敵ですわ。お急ぎ便でポチりましょう」
彼女は、カジノのチップを日本円に換金した自分の給料で、ネット通販の買い物を楽しんでいた。
魔法の杖を振るうこともなく、鋭い爪で人間を引き裂くこともない。
彼らは皆、与えられた仕事をこなし、休憩時間にはそれぞれのリラックス方法で疲れを癒やしている。
「平和だなあ」
ハルは、ドアの隙間からそっと離れた。
誰も血を流さず、誰も命の奪い合いをしない。
ただひたすらに、労働と消費のループを回し続ける平和なダンジョン。
ハルはズボンのポケットに手を突っ込み、分厚い札束の感触を指の腹で確かめる。
「さあて。みんながしっかり働いてくれるおかげで、もっともっとデカいことができるぞ」
ハルは、光り輝くカジノのネオンと、チェーン店の看板を見渡し。
誰も傷つかない、しかし誰も逃れられない地下帝国の次なる野望を思い描き、ニヤリと笑った。




