021 地下カジノ帝国ハルダンジョンビル
「ヤラさん! カジノだ! ルーレットとスロットマシンをズラッと並べた、ド派手なカジノを作るぞ!」
ハルは、ノートの切れ端にマジックで描いた雑な見取り図を、長机の上にバンッと叩きつけた。
「却下だ」
矢良内が、ノートパソコンの画面から目を離さずに即答する。
「なんでさ! 金も場所もたっぷりあるんだぜ!?」
「常識的に考えて、日本国内で賭博場を開帳すれば一発で刑法に触れる。警察が踏み込んできて、お前も俺も、そのへんで牛丼を食っている官僚たちも全員一網打尽だ」
矢良内はキーボードを叩く手を止め、冷ややかに眼鏡のブリッジを押し上げた。
「いくらこのダンジョンが特区扱いだとしても、法治国家のシステムの真ん中でカジノの営業許可など下りるはずがない」
「……ヤラさん、ここは『雑居ビルの104号室』だろ?」
ハルが、ニチャァと口角を吊り上げる。
そして、洞窟の入り口の向こう側──異世界へと通じる広大な暗がりを指差した。
「あのゲートの向こう側に作ればいい。あそこは、日本の法律なんて届かない『異世界』だぜ?」
矢良内の目が、眼鏡の奥で見開かれた。
「……なるほど。治外法権か」
矢良内がノートパソコンをパタンと閉じる。
「入り口は日本だが、ギャンブルが行われているのは異世界の迷宮の奥底。日本の警察には、異世界の土地に踏み込んで捜査する権限も、適用する法律もない」
「だろ? 完全に合法だ! 日本の金持ちも、あっちの貴族も、国境を越えてウチの帝国で思いっきり遊べるんだよ!」
ハルは両腕を広げ、岩肌の天井を仰ぎ見て高笑いした。
◇
ガキン、ガキン
数日後。異世界側のゲートを抜けた先の広大な空間。
「オーライ! そこの大理石の柱、もっと右だ!」
ドワーフの重戦士が、図面を片手に声を張り上げている。
彼の指示に従い、アース・ゴーレムたちが滑らかに磨き上げられた巨大な石柱を運び込み、寸分の狂いもなく床に立てていく。
天井には、ガラスの筒に火の魔石と雷の魔石を密閉した、疑似的なネオン管が何百本も這わされていた。
赤、青、黄色。
原色の光が、真っ黒な岩壁を毒々しく、そして暴力的に照らし出している。
床には毛足の長い真っ赤な絨毯が敷き詰められ、その上に、マホガニーの木材で組まれた巨大なルーレット台や、カードゲーム用の半円形のテーブルが次々と設置されていく。
「……素晴らしい。ゲンダイの娯楽施設というものは、これほどまでに魔力を帯びた光を放つのですね」
リンが、完成していくカジノフロアを見渡し、うっとりとした吐息を漏らした。
「あとは、この店を回す従業員だけど」
ハルが、赤い絨毯の端で腕を組む。
「接客のプロがいますわよ」
リンがパチンと指を鳴らした。
「お呼びでしょうか、マスター」
暗がりから滑るように現れたのは、漆黒のイブニングドレスを纏ったスキュラだった。
彼女は六本のタコの触手を器用にうねらせ、その先端で未開封のトランプの束を弄っている。
シャララララッ
スキュラの触手が目にも止まらぬ速さで動き、五十二枚のカードが空中で美しい弧を描いてシャッフルされた。
さらに、ルーレット台の横には、ボロボロのローブをタキシードに着替えた骸骨の魔術師、リッチーが立っている。
彼は青白い炎が宿る眼窩をハルに向け、肉のない骨だけの長い指で、ルーレットの小さな銀の球をつまみ上げた。
「イカサマのしようがない骨の指に、六本の手を持つスキュラのディーラーか。……完璧だな」
矢良内が、感心したように頷く。
カシャッ、カシャッ
フロアの奥からは、フリルのついたエプロンドレスを着た数十体のアイアンゴーレム(メイドロボ娘)たちが、銀色のトレイを片手に一列に並んで歩み出てきた。
「バニーガールの衣装も発注してありますけれど、まずはメイド服でお給仕させますわ」
リンが誇らしげに胸を張る。
「よし。株式会社ダンジョン・カジノ部門、オープンだ!」
ハルが、赤と黒のルーレット盤に手を置き、満面の営業スマイルを浮かべた。
◇
カラン、カラカラカラ……コトン。
「赤の7、でございます」
リッチーの顎の骨がカタカタと動き、低い声がカジノフロアに響く。
「あああっ……! また外れた……!」
ルーレット台にしがみついているのは、シワだらけのスーツを着た日本の官僚だった。
彼は血走った目で盤面を睨みつけ、ネクタイを乱暴に引き緩める。
「もう一回だ! さっきの倍賭ける! 日本の口座から追加で十万下ろしてこい!」
彼は、メイドロボが差し出したトレイの上のグラスから、琥珀色の酒を一息に飲み干し、空のグラスを叩きつけた。
その隣のカードテーブルでは。
「我が領地の税収の半分を賭けよう! カードを引け!」
異世界の豪華なマントを羽織った貴族が、額から滝のような汗を流し、テーブルの上に金貨の詰まった革袋をドンッと積み上げている。
スキュラが優雅に微笑み、六本の触手で滑らかにカードを配る。
「お客様の負け、でございます」
「なっ……馬鹿な……! 私兵の武具を売った金まで……!」
貴族が両手で頭を抱え、赤い絨毯の上に崩れ落ちた。
日本円は、エントランスでハルたちが作った『ダンジョンチップ』に換金される。
異世界の金貨もまた、同じチップに換算されてテーブルの上を行き交っていた。
勝てば、最高級のスライムエステと、A5ランク和牛の霜降り牛丼が無料で提供されるVIPルームへ直行できる。
人間たちはその至高の快楽を求め、あるいは失った金を取り戻すために、狂ったようにチップをテーブルに投げ出し続けていた。
ピコン、ピコン、ピコン、ピコン、ピコン!
「ああっ……! 凄いですわ! 数字の回る勢いが、これまでの比ではありませんの!」
カジノの最上階。
マジックミラー張りの支配人室で、リンが空中のパネルを見上げて両手を組み合わせ、震えていた。
「ギャンブルによる極限の興奮と、すべてを失った時の深い喪失感。人間の感情の振れ幅が、そのまま莫大なDPとなって流れ込んできますの!」
リンの碧い瞳に、凄まじい勢いで桁を増やしていくDPの数字が反射している。
「ヤラさん、今日の売り上げは?」
革張りのソファに深く腰掛けたハルが、グラスのコーラを揺らしながら尋ねる。
「日本円換算で、ざっと三億円といったところだな。異世界の貴族たちが持ち込んだ宝石や魔石の価値を合わせれば、さらに跳ね上がる」
矢良内が、ノートパソコンのキーボードを叩きながら淡々と報告する。
「チョロいなぁ。みんな、自分から喜んでお金とDPを落としていってくれる」
ハルはコーラを飲み干し、口角を限界まで吊り上げた。
「さて。そろそろ、『お金がなくなっちゃったお客様』のアフターケアに行きますか」
ハルはソファから立ち上がり、ジャケットのポケットに分厚い紙の束をねじ込んだ。
◇
「頼む……もう一度だけ、もう一度だけ勝負させてくれ……!」
カジノの裏路地。
赤い絨毯が途切れ、冷たい岩肌が剥き出しになった通路で、日本の官僚と異世界の貴族が、ハルの足元にすがりついていた。
彼らの手元には、もう一枚のチップも残っていない。
「お客様。当カジノは、手持ちのチップが尽きた時点でゲームオーバーとなっております。追加の現金か、金貨はお持ちですか?」
ハルが、冷酷なまでに完璧な営業スマイルを見下ろす。
「ない……もう、日本の家も担保に入れた……」
「私の領地も、借金だらけだ……」
二人の男が、絶望に顔を歪めて岩の床に額をこすりつける。
「おや、それはお困りですね」
ハルはポケットから、分厚い紙の束──契約書を取り出し、彼らの目の前に突きつけた。
「お金がないなら、ウチで働きませんか? ダンジョンローン、ありますよ!」
「……働く?」
「ええ。このダンジョン、まだまだ下に向かって広くしていく予定なんです。ツルハシを振って岩を砕いていただければ、その労働力に応じて借金を減額いたします。三食牛丼付き、週に一度はスライムエステの無料サービス付きの、超優良な労働環境ですよ」
ハルの背後から、ミノタウロスが音もなく歩み寄り、それぞれの男の前に木柄の真新しいツルハシを落とした。
カァン。
硬い金属音が、岩の通路に響く。
官僚と貴族は、目の前のツルハシと、ハルの笑顔を交互に見つめ。
震える手で、契約書のサイン欄にペンを走らせた。
◇
カキン、カキン。
カキン、カキン。
ダンジョンの最下層。
土埃が舞う暗がりの中で、シワだらけのスーツを着た日本のエリート官僚と、泥だらけのシルクのシャツを着た異世界の貴族が、並んで岩壁にツルハシを振り下ろしていた。
「腰が入ってないぞ、新入り! もっと深く掘れ!」
ドワーフの現場監督が、彼らの背中に怒声を浴びせる。
「ひぃっ! はいっ!」
「くそっ、なぜ私がこんな土くれを……!」
二人は豆の潰れた手から血を流しながら、泣きべそをかいて岩を砕き続ける。
カジノで金を巻き上げ、借金を背負わせ、強制労働でダンジョンをさらに拡張させる。
労働の疲労はエステで回復させ、またカジノへと向かわせる。
日本人も異世界人も関係ない。
誰もこの完璧な無限ループから抜け出すことはできない。
「あーはっはっは! 掘れ掘れー! もっとダンジョンをでっかくするぞー!」
上の階層から響いてくるハルの高笑いが、ツルハシの音に混じって、いつまでも地下空間に木霊していた。




