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020 融和していく世界

ハルは、一万円札でできた分厚いブロックを並べ、その上に後頭部を乗せて仰向けに転がっていた。

 

真新しい紙幣のインクの匂いが、呼吸をするたびに鼻腔をくすぐる。

 

「これで一生遊んで暮らせる! もうツルハシなんか振らないぞ!」

 

ハルは手足をバタバタと動かし、岩肌の天井に向かって笑い声を上げた。

 

「それは会社の金で、常識的に考えて社長といえど完全に自由にできるわけではないし、税金を払わなければならないだろう」

 

長机の端でノートパソコンを開いていた矢良内が、画面から視線を外さずに冷や水を浴びせる。

 

「お前は書類上、年収数百万のしがないベンチャー社長だ」

 

「それでもボクのお金ではあるだろう?」

 

ハルが体を起こし、札束の束を指の腹で撫でる。

 

矢良内はキーボードを叩く手を止め、眼鏡のブリッジを中指で押し上げた。

 

「ならそのお金で、ハルは何をするんだ?」

 

ハルは、札束から手を離し、静かに周囲を見渡した。

 

パーティションの向こうからは、牛丼の肉が煮える甘辛い匂いと、行き交う人々の低い話し声が混ざり合って漂ってくる。

 

「このダンジョンを広くすることが今は楽しい。だから、もっともっと最高のダンジョンにする」

 

ハルは立ち上がり、大きく両腕を広げた。

 

「日本の総理大臣も、異世界の王様も、子供も大人も楽しめる最高のダンジョンを創るんだ!」

 

「わたくしたちの国を創るのですね! 素晴らしいですわ!」

 

玉座代わりのパイプ椅子に座っていたリンが飛び起き、そのままハルの首に両腕を回して抱きついた。

 

金色の髪がハルの鼻先をかすめ、甘い花のような香りがふわりと広がる。

 

「お、おい、リンちゃん……」

 

「わたくし、ハルには本当に感謝していますのよ! わたくしのダンジョンがこんなに大きくなるなんて、ハルがいなければ不可能でしたもの!」

 

     ◇

 

数日後。

 

ダンジョンの入り口近くに設けたロビーの長机に、分厚い両刃の剣や、先端に青い宝石のついた木の杖が並べられていた。

 

「これ、全部買い取ってくれるんだよな」

 

戦士の男が、もじもじと指を絡ませながらハルを見る。

 

先日迷宮に突入してきて、あっけなく牛丼と風呂の虜になった四人の冒険者たちだ。

彼らはさらに日本円を手に入れるため、自分たちの商売道具である武器を売ることを決めたのだ。

 

矢良内が、白い手袋をはめた手で慎重に剣を持ち上げる。

 

「この剣の金属組成や魔法の杖の構造は、現代日本にとって全く未知のものだ。素材としてなら、いくらでも買い手がつく」

 

矢良内の言葉通り、これらは政府を通じて、研究機関に数千万円という単位で売却されることがすでに決定していた。

 

だが、ハルが彼らの前に差し出したのは、数十万円の札束だった。

 

「はい、買取価格。査定額の一割ね」

 

「おおっ! こんなに紙幣が! これでまたエステに行けるわ!」

 

エルフの魔法使いが、一万円札を胸に抱きしめて喜ぶ。

 

「よし、牛丼のメガ盛りを五杯食うぞ!」

 

ドワーフの重戦士も腹を叩いて笑っている。

 

だが、彼らの金銭感覚は、現代日本の物価と彼らの欲望の消費スピードにまったく追いついていなかった。

 

     ◇

 

「アンタのところの国民にしてくれ……」

 

「働かせてください……牛丼が食べたいんです……」

 

金を使い果たした四人の冒険者たちは、ハルの足元で土下座をしていた。

 

かくして、ダンジョンに新たな異世界の従業員が加わった。

 

ドワーフの重戦士は、建築現場の監督に配属された。

持ち前の怪力で重い鉄骨を軽々と持ち上げ、異世界の鍛冶スキルで金属のボルトを寸分の狂いもなく叩き込んでいく。

 

「おやっさん、アンタ腕がいいねえ」

 

紫色のニッカポッカを穿いた日本の職人が、タオルで汗を拭いながらドワーフに缶コーヒーを手渡す。

 

「おう。この黒い水、苦いが悪くないな」

 

ドワーフは缶コーヒーを一息に飲み干し、豪快に笑った。

 

一方、エルフの魔法使いはスライムエステのスタッフとして採用された。

 

彼女の圧倒的な美貌と、魔法でスライムを常に心地よい温度に保つ技術は、霞が関のオジサン官僚たちから絶大な支持を得た。

 

「キミ、森の奥に住んでたの? 今度、銀座の美味しいお寿司屋さんに行かない?」

 

ベッドに横たわる官僚が、鼻の下を伸ばして話しかける。

 

「ありがとうございます。でも私、今は牛丼のメガ盛りの方が好きなんです」

 

エルフは営業スマイルを崩さず、手元の青スライムを的確に客の顔面に這わせた。

 

そして、戦士と盗賊の男は。

 

「いらっしゃいませ。武器はお預かりいたします」

 

彼らはビシッとした黒のタキシードを着せられ、ミノタウロスと一緒にエントランスのドアボーイとして立っていた。

 

新しく異世界から迷い込んでくる冒険者たちに、ダンジョンのシステムを説明し、安全に武装解除させるのが彼らの仕事だ。

 

     ◇

 

バックヤードの片隅。

 

パイプ椅子と長机だけの簡易医務室で、白衣を着た黒目妹紅が、自分の手のひらをじっと見つめていた。

 

「魔力を練って、傷口に集めるイメージ……」

 

黒目の手が、淡い緑色の光を帯びる。

その光が、かすり傷を作ったアルバイト作業員の腕を包み込んだ。

 

シュワァ……

 

光が収まると、そこにあったはずの赤黒い傷跡は、かさぶたすら残さず綺麗に消え去っていた。

 

「おおっ! すげえ先生! 一瞬で痛みが消えた!」

 

作業員が腕を振り回して喜ぶ。

 

「よかったです……。次の人、どうぞ」

 

黒目は目の下の隈を指でなぞりながら、無表情で次の患者を呼ぶ。

 

「クロさん、今のって魔法!?」

 

ハルが目を見開いて医務室に駆け込んできた。

 

「ええ。エステで働いているエルフさんに、お昼休みに少し教わったんです。麻酔も糸もないし、この方が早いかなって」

 

黒目は、アルコール消毒液のボトルを片付けながらボソリと答える。

 

「モコウ、あなたレベルが上がっていますわね」

 

ハルの後ろから、リンが顔を出した。

 

「レベル?」

 

「ええ。ダンジョンシステムの表示では、現在のあなたのレベルは3ですわ」

 

リンが指を鳴らすと、空中に半透明のパネルが浮かび上がった。

 

「外科医の経験と、過酷な野戦病院の環境が、彼女を未知の領域へ押し上げたか」

 

矢良内が歩み寄り、眼鏡の奥で目を細める。

 

「……レベルとかよくわかりませんけど。早く帰って寝たいです……」

 

黒目はため息をつき、次の患者の腕に緑色の光を当てた。

 

     ◇

 

大浴場の一角。

 

アース・ゴーレムとドワーフの力によって、岩壁をくり抜いたサウナ室が完成していた。

 

炎の魔法で石を加熱して水をかける方式で、蒸気が室内に立ち込めている。

 

木のベンチに並んで腰掛けているのは、仕事終わりのドワーフと、矢良内の後輩である若い官僚だった。

 

二人とも、肌から玉のような汗を噴き出させている。

 

「あんたの背中の丸み、ワイバーンから逃げ続けたような哀愁があるな」

 

ドワーフが、首に巻いたタオルで汗を拭いながら低い声で言った。

 

「本省の予算委員会で、野党の追及から逃げ回った精神的な傷だよ……」

 

官僚は膝に肘をつき、深くため息を吐く。

 

「そうか。戦場は違えど、生き残るのは大変だな」

 

「ああ。毎日が命がけだ」

 

サウナを出た後、二人は腰にタオルを巻いたまま、脱衣所の冷蔵庫から取り出したフルーツ牛乳の瓶を合わせた。

 

カチン。

 

互いに「過酷な戦場で生きる戦士」としてのシンパシーを感じているのだろう。

 

ハルは、バックヤードのマジックミラー越しにその光景を眺め、腕を組んだ。

 

「よしよし、異世界人も日本人も平等にボクの養分になってるな」

 

ハルの口角が、ゆっくりと吊り上がった。

 

     ◇

 

それからしばらくして、ダンジョンに住み着く異世界人が増えてきた頃のことだ。

 

異世界側のゲートから、重々しい金属の足音が多数響いてきた。

 

エントランスのロビーに姿を現したのは、金や銀の装飾が施された豪華な鎧を着た私兵の集団だった。

 

その後ろから、毛皮のマントを羽織り、腹の突き出た初老の男が歩み出てくる。

 

帰ってこない冒険者たちの噂を聞きつけ、自ら兵を率いてやってきた異世界の大貴族だ。

 

「我が領地の民をたぶらかす悪魔の迷宮め! ボスを討ち取り、このダンジョンを我が領地とする!」

 

貴族が太い指で奥の店舗区画を指さす。

 

十人以上の私兵たちが、一斉に腰の剣を引き抜いた。

 

だが、彼らが一歩を踏み出す前に。

 

カシャッ。

 

エントランスを警備していた数体のアイアンゴーレム──メイドロボたちが、静かに彼らの前に立ちはだかった。

 

彼女たちはフリルのついたスカートの裾をつまみ、優雅なカーテシー(お辞儀)をする。

 

「なんだこの女どもは! どけ!」

 

先頭の私兵が、メイドロボの肩を乱暴に突き飛ばそうとした。

 

スッ。

 

メイドロボは柔らかな笑顔を浮かべたまま、伸びてきた私兵の腕を掴み、その手にある剣の刃を二本の指で挟み込んだ。

 

パキン。

 

乾いた音が鳴り、分厚い鋼の剣が、まるでビスケットのようにあっけなくへし折られた。

 

「……え?」

 

私兵が、折れた剣の根元を見て間の抜けた声を漏らす。

 

メイドロボはそのまま私兵の胸当てを軽く小突いた。

 

ドゴォッ!

 

「ぐはぁっ!」

 

私兵の体が宙を舞い、数メートル後ろの岩壁に激突してずり落ちる。

 

残りの私兵たちも、メイドロボたちの鋼鉄の腕力の前になす術もなく制圧され、床に這いつくばらされた。

 

「ひぃっ……!」

 

大貴族は腰を抜かし、マントを踏みつけて尻餅をついた。

 

そこへ、ミノタウロスがゆっくりと歩み寄っていく。

 

「まあまあ、お客様。武器はお預かりしますよ。当帝国へようこそ。ああ、お帰りの際には武器をお返しいたしますので、ご安心ください。壊してしまったお客様の件につきましては、賠償いたしますとも」

 

ミノタウロスは怯える貴族を見下ろし、柔らかな営業スマイルを向けた。

 

     ◇

 

数十分後。

 

ハルは、ガタガタと震える貴族を、新設したばかりの『最上級VIPルーム』へと案内した。

 

ふかふかの絨毯が敷かれ、奥には個室サウナと専用のスライムベッドが備え付けられている。

 

まずはスライムエステで全身の汗と強張りをほぐし、サウナで汗を流させる。

 

そして、バスタオル一枚になった貴族の前のテーブルに、漆塗りの大きなどんぶりが置かれた。

 

フタを開けると、立ち昇る湯気とともに、甘辛い醤油の匂いが部屋中に広がる。

 

矢良内が特別ルートで手配した、A5ランク和牛の霜降りを贅沢に使った特製牛丼だ。

 

「さあ、どうぞ」

 

貴族は恐る恐る箸を持ち、肉を口に運んだ。

 

「……っ!」

 

貴族の目が、限界まで見開かれた。

 

「なんだこの極上の癒やしは……! このとろける肉は……我が城のフルコースがゴミのようだ……!」

 

貴族は涙をポロポロと流しながら、箸を使う手ももどかしく、どんぶりを抱え込んでご飯と肉を口に放り込んでいく。

 

一瞬にして、大貴族の誇りも野心も、牛丼とサウナの前に骨抜きにされたのだ。

 

食後。

 

貴族はマッサージチェアに深く沈み込み、ハルに向かって手を合わせた。

 

「頼む……この国の永住権をくれ! 私はもう、あのパサパサの肉と冷たい城には戻りたくない!」

 

貴族は腰のポーチを外し、中に入っていた金貨や宝石の詰まった袋を、ハルの前に差し出した。

 

     ◇

 

ハルは、ずっしりと重い金貨の袋を受け取った。

 

ジャラリ。

 

金貨がこすれ合う音がする。

 

これだけの量があれば、異世界の他の領主や商人たちとの交渉用の資産として十分に機能するだろう。

 

ピコン、ピコン。

 

ダンジョンのパネルの数字が、凄まじい勢いで跳ね上がっていく。

 

「DPのケタがまた増えましたわ!」

 

リンが両手を合わせて飛び跳ね、その場でくるくると歓喜の舞を踊っている。

 

「高レベルの人間は、DP産出量も高いのですわ」

 

リンが、パネルの数字を見つめながら呟く。

 

「レベルとかあるんだ、この世界」

 

ハルが不思議そうに言うと、リンもまた不思議そうに振り返った。

 

「そういえばニホンにはございませんのね?」

 

ハルは、玉座の隣に置かれた自分用のパイプ椅子に深く腰掛けた。

 

そして、ガラス張りのパーティション越しに、ダンジョン内の景色を眺める。

 

日本の官僚が牛丼をかき込み、異世界の戦士がエステの順番を待っている。

 

「日本の官僚も、異世界の貴族も、ボクの作った風呂で裸になってる。金もDPも無限に湧いてくるぞ!」

 

ハルは口角を吊り上げ、不敵に笑った。

 

「次は歓楽街とカジノだ! このダンジョン地下帝国を、両方の世界を飲み込む最高の娯楽都市にするぞー!」

 

誰も傷つかない。

 

しかし、誰もが欲望に抗えない。

 

金と魔力と欲望が入り混じる、ダンジョン地下帝国の建国が、ここに高らかに宣言された。

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