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四十三話

 明子の体を抱きかかえながら、貴広は言った。

「明子が起きたらまずいので、すみませんがもう出て行きますね。本当にお世話になりました」

 貴広の言葉に千歳は愕然とした。本当に……本当に貴広さんは……

「……本当なんですか……?本当に……帰っちゃうんですか……」

 千歳が震える声で聞くと、貴広は悲しげな顔をした。

「うん。寂しいけど、明子をここに置いていけないから」

「そ……そんな……」

 千歳は必死に明子だけ東京に帰る方法を探そうとした。しかし頭の中はぐるぐるとたくさんの想いが飛び交っていて冷静になれない。もし冷静になっても明子だけを東京に戻す方法はないだろう。

「明子は起きたらまた千歳ちゃんのことを傷つけると思う。だから……」

 もうどうすることもできなかった。あまりの現実のひどさに愕然とすることもできなくなっていた。涙も出なかった。魂が消えたような感じがした。

「せっかく仲良くなったのに、またちいちゃんが独りぼっちになっちゃう……」

 横で早苗が呟いたが千歳には意味がわからなかった。ショックが大きすぎて日本語さえわからない頭になってしまった。

「この恩は絶対に忘れません。本当にありがとうございました。それから、明子がいろいろと失礼なことをして迷惑をかけてすみませんでした」

 そう言って貴広は深く深く頭を下げた。千歳と早苗はそれを呆然と見つめながら立ち尽くしていた。早苗も千歳と同じように魂が抜けたようだった。

「それでは」

 貴広はゆっくりと後ろを向き、正面玄関に向かって歩いて行った。しかし千歳も早苗も体が動けず凍りついたままだった。

 そうして呆然としながら、千歳はあることを思い出した。


 小さい時、千歳は自分の名前について早苗に聞いたことがある。

「千歳って誰がつけたの?」

 早苗はにっこりと笑い、「おばあちゃんだよ」と言った。

「どうして千歳って名前にしたの?」

 早苗はそっと千歳の体を抱きしめると、穏やかな声で話した。

「ちいちゃんがずっと幸せに生きていってほしいからよ。千歳っていうのは千年って意味なの。ちいちゃんの幸せが千年続きますようにって思ったの」

「あたし千年も生きないよ?」

 笑いながら言うと、早苗もにっこりと笑った。

「とにかくちいちゃんがずっとずっとずっとずっと幸せになれるようにって思ったの。ちいちゃんは千歳っていう名前嫌だった?」

 千歳はすぐに首を振った。

「嫌じゃないよ。友だちにはどうしてちとせって読むのとか聞かれるけど、なんかそれも変わってていいなって思ってるんだ」

「そう。よかった」

 早苗は嬉しそうに頷いた。千歳はそれを見て嬉しくなった。

「ねえ、あたしだけじゃなくて、おばあちゃんもおじいちゃんもずっとずっと幸せに生きていけたらいいね」

 そう言うと早苗は千歳の頭を撫でた。

「そうね。みんなで幸せになろうね」

 千歳は早苗に抱きつき、「約束だよ」と言った。


 それなのに……。ずっとずっと幸せに生きていけるはずだったのに……。

 千歳は今までのことを全て思い出した。娘を愛せない両親に突然の都会への引越し、都会に慣れずずっと透明人間扱い、ようやく出来た梨紗たちには裏切られたうえに金を奪われて、両親にはいじめに気づいてもらえず不登校生活、ついに頭までおかしくなり田舎に帰ったはいいものの、同い年の子は都会に行ってしまったため友人は一人もいない、さらに廃業寸前の桜の舞で早苗たちとその日暮らしの日々、そして明子に悪口やあら探しをされ殺されかけ、初めての恋は告白も出来ずに失恋、大好きな貴広とのあまりにも早すぎる別れ、二度と再会もできない……。

 

 突然体がものすごく重く感じた。ずっしりとなにか重いものが落ちてきたようだ。

 

 ……あたしはいつ幸せを感じた……?

 幸せなんか一つもない。不幸だらけだ。これからだって不幸続きの人生を送るに違いない。

 どうして……どうして……?


 無意識に千歳は走り出していた。涙も止まっていた。正面玄関に向かい、ドアに手をかけている貴広の背中に思い切り飛びついた。

「わっ」

 驚いた顔で貴広が振り向いた。目を丸くしている。その貴広に千歳は全身全霊の力をこめてきっぱりと言い切った。

「あたし、貴広さんのことが好きですっ。結婚したいくらいっ」

 もうどうなってもいいと思った。明子が起きてまたパレットナイフを振りかざしてもいいと思った。ここで告白をしなくては、貴広に自分の想いを伝えなくては、きっと自分は一生後悔する。幸せを逃してしまう。

 貴広は少し驚いた顔をしたが、すぐに笑顔になった。

「やっぱり僕と千歳ちゃんは似てる」

「えっ?」

 千歳が目を見開くと、貴広は明子の体を下ろし千歳の体をぎゅっと抱きしめた。

「僕も千歳ちゃんのこと好きだよ」

 千歳は全身に雷が落ちたような衝撃を受けた。

「……えっ……」

 もう一度声を出すと、貴広はじっと顔を見つめてきた。

「明子がいなかったら、結婚できたかもね……」

 千歳は涙を流した。嬉しい気持ちと悲しい気持ちが混ざった涙だ。

「あたしと……結婚……」

「うん」

 貴広はじっと千歳の顔を見つめ、大きく頷いた。

 

 どうして……どうして……あたしは幸せになれないの……?

 あたしはずっとずっと幸せに生きていけるんじゃないの……?

 千歳なのに……千年……幸せに生きていくのに……。

 そうおばあちゃんは言ってたのに……。


 貴広はゆっくりと千歳の体を放し、寂しげに言った。

「この旅館も、金城さんも、この田舎も大好きだ。ここから離れたくないよ」

 ぼろぼろと涙が流れる。こんなことなら貴広に会わなければよかった。ずっと独りきりで暮らしていけばよかった。そうすれば初恋も失恋も知らないまま心に深い傷を負わないですんだ。貴広もきっと同じだろう。

 

 ……どうしてあたしは幸せになれないの……?

 おばあちゃんもおじいちゃんも、一緒に幸せになるんじゃないの……?

 ずっとずっとずっとずっと、みんなで幸せになろうって約束したのに……。


「千歳ちゃん」

 貴広は千歳の頭を優しく撫でた。貴広の優しさが逆に千歳を辛くさせる。

「あの絵、捨てないでとっておいてくれないかな」

 千歳は貴広の顔を見た。なぜそんなことを言うのか。

「……どうして……」

 貴広は真剣な目で千歳を見つめた。声もしっかりとしている。

「だって完成させなきゃいけないだろう。続きを描きたいから、持っていてくれないかな」

「続きって……貴広さんはもうここにはこれないのに、続きを描くことなんて……」

 貴広は顔を厳しくさせた。千歳の肩に手を置き、力強く言い切った。

「絶対にまたここにくるから。また千歳ちゃんの絵を描くから。だから待っていてほしい。何年経つかはわからない。だけど絶対に会いに行くから」

「絶対に……?」

「絶対に会いに行く。だからもう泣かないでいいよ」

 千歳は指で涙を拭き取った。そして震える声で聞いた。

「……千年経っても……会いに来てくれる……?」

 貴広はすぐに頷いた。また千歳の体を抱きしめた。先程よりも力強かった。

「千年経っても会いに行くよ。千歳ちゃんのことが好きだから」

 千歳は貴広の胸の中で涙を流した。貴広と両想いだったこと、そしていつか必ず会いに来てくれるということが嬉しかった。

「わかりました。絶対に捨てません」

 誓うように千歳が言うと、「よかった」と言って貴広は笑った。


 貴広がドアを開けると、千歳はもう一度聞いた。

「絶対に、絶対に会いに来てくれますか……」

 貴広は強く頷き、「会いに行くよ」と言った。

「もし会えなかったら……どうするんですか」

 千歳の声を聞き、貴広はじっと見つめた。

「千年経っても会いに行くって言っただろう。心配しないで。ずっと待っていてほしい」

 そう言うと貴広は背中を向け、ドアから出て行った。

 

 千歳は何度も心の中で繰り返した。  

 あたしは貴広さんを待ち続ける。

 千年経っても貴広さんは会いに来てくれるのだ。

 あたしは千歳だから……。

 貴広さんと、ずっとずっとずっとずっと幸せに生きていくんだから……。

 

読了ありがとうございました。読んでくださった方に感謝します。

ハツコイというよりシツレンになってしまいました。まさかこんなことになるとは……。恋愛だからハッピーエンドで二人が幸せになるという話にしたかったんですがなぜかバッドエンドで二人が不幸になってしまいました。

次はハッピーエンドな恋愛小説を書きたいと思います。

ちなみに私は都会も田舎も好きです。みんなが仲良くできたらいいなと思います。

ではでは読んでくださって本当にありがとうございました。

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