第1章 物語の始まり【3】
朝食を終えると、ラゼルはアラベルとともに一階の端に向かった。キールストラ公爵邸には書籍室の他に書庫とそれぞれの書斎がある。書庫は古い本や資料を保管しておく場所で、それぞれの書斎は仕事に使われているらしい。ラゼルとアラベルには書斎はないようだ。
アラベルの案内で書籍室に足を踏み入れたラゼルは、あまりの広さに絶句してしまう。想像していた書籍室の三倍は広く、整然と立ち並んだ本棚には端から端まで本が詰め込まれている。図書館のようにインデックスになっていればよかったのだが、公爵邸とは言え個人の所有する書籍室。そんな親切設計にはなっていないようだ。
「この中から探さなくちゃならないのか……」
溜め息とともに呟いたラゼルに、アラベルが遠慮がちに口を開く。
「えっと、何を探してるの……?」
「魔法学の参考書を読みたいんだ。そうだ、よかったらアラベルのおすすめを教えてもらえない?」
我ながら良い案だとラゼルは思う。オタクは推しを問われると活き活きと語り始めるものである。アラベルも魔法学を熟知しているのなら、きっと良い一冊を選び出してくれるはずだ。
「わかった……ちょっと待ってて」
アラベルは足早に書籍室の奥に入って行く。魔法学の参考書がある場所を把握しているようだ。
そこでふと、僅かに残ったラゼル・キールストラの記憶から、ある魔法が思い浮かんだ。この世界には「報せ鳥」という、魔力を消費せずに使用できる伝達魔法がある。伝書鳩のようなもので、離れた場所から言付けを出すことができるのだ。
(アラベルがジークハイドに助けを求めるのは簡単なことなんだよな……)
ジークハイドは、ラゼル・キールストラの狂気性に気付いている。アラベルからの救助要請を受け取れば、きっと飛んで来ることだろう。
微かに感じていた不安は、数分で消え去った。数冊の本を抱えたアラベルが、ほんの少しだけ頬を紅潮して戻って来る。三冊の参考書が机に並べられた。
「これが基礎の参考書で、これが通説の参考書。こっちが新説の参考書だよ」
アラベルはこの短時間で渾身の三冊を選んだらしい。どれも分厚く、ラゼルの好奇心を充分に満たしてくれそうだ。
「通説と新説があるんだね。魔法学研究も日々進展してるってことか……」
「研究に使う機材が進化していってるから……。魔法学の進歩は、ほとんど計測器の進歩に付随するかな……」
「なるほど。空気中のマナを正確に計測できれば、マナが何にどんな影響を及ぼすかも正確にわかるってことか」
彼が居た世界には物質「マナ」のことは、妹から聞きかじった知識だ。魔法学という特殊な学問の作りが精巧で、いちから学んでみたいと思っていた。
「あとは……研究員が感知系のスキルや魔法を研磨することでも魔法学の発展に繋がったりするんだ」
「時代の変化とともに魔法学研究も進歩しているんだね」
科学についてはどの世界でも共通のはずだ。その内訳は世界によって変わるかもしれないが、進展の仕組みはどんな学問でも同じ。人材や機材が進歩することで発展するのは、どの世界でも通ずることだろう。
「魔法学研究を進めることで、魔道具にも活用することができそうだね。便利な魔道具が増えるのかな」
「そうだね……。この国は魔法大国だから、魔法学の進展は他の国より早いかもしれないね……」
こうして和やかに会話しているように思えても、アラベルは気を張っているように見える。おそらくラゼル・キールストラは、アラベルが気を抜いた瞬間を狙って嫌がらせをしていたのだろう。いつ攻撃を仕掛けて来るかと怯えているのだ。もうその警戒は必要ないということを、時間をかけて伝えていければいいとラゼルは考えていた。




