続・ある日の記録
おどろくぐらいに普段どおりだった。
面会室で見る顔には、笑顔がいつもどおり張り付いている。
「ウルシ長官、あなた死刑だそうですよ」
ヤスエは淡々と、事実を告げるかのように嘘をついた。透明なアクリル板の向こう側で、カルルの笑みが一段と深くなる。
「おやおやコノさん、迎えに来てくれたんですか。おおきに」
ヤスエは小さく「はぁ」とため息をついた。ヤスエが怒っていないのを見て、カルルは自分の予想が外れたことを勝手に悟ったらしい。
「クロダ博士は無事だったみたいですね。ルミナちゃんは死にました?」
「これから死ぬ人には関係ないことです」
「嘘。ですね」
嘘だった。ウルシ・カルルは銃刀法違反により逮捕されはしたが、クロダ・チカやアルボラリス・グランらの主張する殺人罪で起訴されることはなかった。ルミナの遺体には銃創があり、調べればウルシ・カルルの所持していた銃から放たれたものだとわかるだろう。証拠は十分だった。
だが、カルルの「リアリティ・グリッチって知ってます? この遺体、人間ですらないんですよ」という一言で、すべての捜査は凍結した。
警察は遺体を引き取ることも、検死することもなく、ただカルルだけを連行した。三日前のことだ。
ヤスエにとっては些細な話だった。ウルシが死のうが、ルミナというQORAの近親者が死のうが、どうでもいいことだった。どちらかといえば、ルミナが排除されたことは喜ばしいとすら言えた。
「嘘つきはどっちよ。何もしないとか言って、こんな事件おこしたりさ。なによ銃って。似合わないわよ」
「なーに、ちょっとした余興ですよ。それで? 僕はもうすぐ出られるんですか?」
ヤスエは再び、小さく息を吐き出す。
「当面の間は自宅療養。長官職は停職よ。それでOKなら出してあげる」
「おやおや、お上はカンカンで?」
「イギリスがね、どうせなら拉致して連れてこいってさ」
「あー、言いそうッスね」
二人は声を出して笑った。軽口をたたくその姿は、傍目にはいかにも仲のよさそうな同僚同士に見えただろう。
チカの身に危険が及んだのだ。だから、殺す。
ヤスエはカルルの行動を許してはおらず、どころか明確な殺意さえ抱いていた。ただ、今回は不問にすると判断を下しただけだ。
棚から牡丹餅、怪我の功名、勿怪の幸い。
思いがけない出来事がヤスエの機嫌を良くしていた。そして、そのきっかけを作った功労者は、皮肉にもこのウルシだ。
――伝える必要はない。そこまでの義理は、この男にはない。
釈放の手続きを終えた後、二人は別々の飛行機で帰路についた。
目的地は、ジュネーブ国際空港。
タラップを降り、踏み締めた地は驚くほど清潔で、一瞬だけ日本に帰ってきたかのような錯覚を覚える。
山々に囲まれた街並み、整然とした空気感。むしろ、乗り換えのために立ち寄った東京の雑踏よりも、よほど空気は澄んでいて、どこか生まれ故郷に似た静けさがあった。
だが、ここが日本でないことは、ヤスエ自身が一番よく知っている。
ヤスエはそのまま、欧州量子研究省へと戻った。
研究省の奥深く、厳重に管理されたマギオントラップ。その中に、チカは囚われている。トラップの内部で、まるで時間が止まったかのように佇むチカの姿を、ヤスエだけが見つめていた。
この光景は、ヤスエだけの秘密だ。カルルにも、他の誰にも言うつもりはない。
ヤスエの目的は、最初から一つだけだった。
手段はどうでもいい。世界がどうなろうと知ったことではない。
「待ってて、チカ」
アクリル板の向こうのカルルに見せた偽りの微笑とは違う、本物の静かな決意を瞳に宿し、ヤスエは呟く。
――あなたを、必ず元の姿に戻す。
そのために必要なピースは、どれほど歪な形をしていようとも、すべて利用し尽くしてやるつもりだった。




