ウルシ・カルル①
痛いのは嫌いだった。だったというと過去形なので、嫌いだ。が正確なところではある。ただ、久しく殴られていなかったので、心情を表す言葉としては嫌いだった。というほうが合っているような気がしていた。口の中で血の味がした。歓喜の味だった。
父の帰宅時間はまちまちだった。朝帰ることも、昼帰ることもあった。夜もあった。深夜もあった。母の帰宅時間はおおむね決まっていて、夕方には帰って料理を作っていた。
夕食はジャガイモが毎日出ていた。
父は母を殴った。理由は様々だった。今日は一段とブスだ。料理の味が気に入らない。日本語なんか使うな。塩気が違う、風味が違う。金が少ないもっと寄越せ。何度言ったらわかるんだこのザウ。父は日本語ではない言語を頻繁に使っていた。母が話す日本語にも苛立っているようだった。理由なんてなかった。あるとすればそれは父の側に存在した。父の内面に存在していた。いたぶられる母を可哀想だとは思うが同情はしなかった。理由は2つある。
「このクソガキ」
ひとつは自分が殴られても母が自分をかばったことなど一度もなかったから。ただの一度もだ。物心つく前はあったのもしれない。いや違う、そうじゃない。そういうことではない前提が違う。赤ん坊の頃にこんな強い暴力を受けていれば生きてはいなかっただろう。だからきっとこんな家庭にも平和な時期があったのだろう。そうでないと結婚した理由が説明つかない。
ふたつめは母も、父同様に自分に暴力を振るうからだ。夕食を作る前、あるいは作り終わって父の帰宅を待つ間。母の暴力時間は決まっていた。
だから、学校が終わると真っ直ぐ家に帰った。
母の暴力には理由があった。
自分が父に似ず、母に似たからだ。
黒い髪、彫りの浅い顔、柔らかな丸みのある輪郭。母そっくりのヘーゼルブラウンの瞳、碧くない瞳。薄い唇。年齢も相まって可愛らしい印象の顔。
いつも傷があった。
「大丈夫か?」
学校で、教師が心配して声をかけてきたのは一度や二度じゃない。誰が呼んだのか児童相談所の職員が家まで来たこともあった。いつも笑顔で追い返した。「大丈夫です」
日本語というのは実に不便だった。相手を不快にさせないため、尊敬を表すためにですます調を使う。されど、ですます調では距離が遠い、あるいは丁寧が過ぎた。ですます調は父を怒らせた。日本語が怪しいと思われる父がですます調に不快感をしめすことは意外だが、友達に話すような口は当然きけなかった。存外、父は日本語がわかるのかもしれない。それはそうか、いつからこの国にいるのか知らないが、少なくとも自分が生きた年月はこっちにいるのだから。
意外なことは他にもあった。運動会に父と母はきた。他の家族と同様に自分の子供を応援し、昼は青いシートで母の手作り弁当を三人で食べた。不思議だった。もしかしたら余所の家でも母は父に殴られ、子は母に殴られているのかもしれなかった。これが当たり前なのかも。そんなはず、あるわけないだろ。
小学5年生。先輩に対しては語尾に「ッス」をつけるのが流行った。そういうものなのかもしれない。教師にはですます調だった。6年生から下級生である自分たち側に「ッス」を使うことはなかった。そういうものなのだ。いつしか愛想笑いがうまくなっていた。教師が心配してくることが減ってきていた。父に殴られることが減った。自分だけは。
母は下手だった。言い訳ばかりをしていた。あるいは完全に黙っていて、されるがままだった。
父はマフィアなんだと言っていた。この国にマフィアなんていない。どのような経緯があって日本でゴロツキをやっているのか興味もなかった。
興味はないが母が話す断片的な情報でおおよその当たりはつけていた。父は敗者だった。
まともになれず、更生することもなく、裏切り、あるいは見捨てられて流れてきた。母が漏らした秘密。帰ったら殺されるのだそうだ。最初から言わないでほしい。母が笑って僕を殴った。
「せめて髪色だけでも違えばね」
意味がわからなかった。どうでもいい。
小学6年生の運動会、今年も家族3人で弁当を食べた。父が夢を語った。いつか故郷に帰ってお前をマフィアのボスにすると。流暢な日本語だった。その晩。母が父を刺した。
父は死ねなかった。腹部を15針縫う大手術だったらしい。かなり早い退院の後、母が離婚届を持ってきた。父はサインをしなかった。汗を顔いっぱいに浮かべて見たこともない顔をしていた。僕はどうしていいか分からず、笑顔を作っていると頬をぶたれた。父の前で母にぶたれた。父は動かなかった。母は刑務所に入ることもなく起訴されることなかった。それまでと同じ、生命保険の会社で働き続けた。
父は帰化というのをしていなかった。日本人じゃなかった。外国籍のまま『日本人の配偶者等』という在留資格で日本に滞在する外国人だった。
帰化の要件を満たしていなかった。満たせるわけがない。
父は殴らなくなった。母も僕も。母だけが僕を殴るようになった。「死ね」彼女は僕に呪詛の言葉を吐き続けた。僕は笑顔をつくりつづけた。
父は母のそばで眠らなくなった。起きるときも怯えたように飛び上がり、付近をを警戒していた。
最後まで更生することはなかった。
家に帰ってこない日が増え。
ある日を境に姿を見なくなった。
そういえば最後に夕食でジャガイモ料理が出たのはいつだっただろう。




