場
アルボラリス主任が椅子に座って、10分ほど目を閉じ、開いた。涙を拭いてチカにお礼を言って出ていく。扉の前で振り返り、筐体を、QORAの方を見て出ていこうとする。QORAはアルボラリス主任と話すとき、周囲に聞こえる音声会話ではなく明らかに念話。テレパシーのあの会話を念話と呼ぶことにした。念話で会話をしている。
アルボラリス主任が出て行った室内。
「私もなにかほしい」
子供じみたことは理解しているがチカはうらやましかったのだ。QORAはあの日チカを呼び、チカだけに語った。
観測するということを伝え一時は沈黙を守ったのに今ではおしゃべりマシーンシーズンセカンドだ。それも念話という強力な追加オプションつき。チカは独り言でおねだりしてみるもQORAは何も言ってこない。直接はっきりと話しかければ答えてくれるのだろうか。もう自分は用済みではないのか、というか自分なんかが出来ることが何かあるというのか。チカは若くして博士号を取った秀才とはいえココでは海千山千の科学異常傾倒者がダース単位でやる気ムンムンだ。もうチカが何かしなくても研究所はあらゆることを調べつくすだろう。現代の科学知識では理解しがたい事柄が多いだろうが何しろQORAが協力的なのだ。
ぬるいコーヒーを電子レンジで温めなおす。無駄に電子レンジの仕組みを脳内で再構築。どう? 私の脳内が見えてる? 私はどうしたらいいですかねっ! 脳内独り言遊び。
タンポポって何日で枯れるのか、いつも胸ポケットに入ったままだ。いくらなんでも枯れていなきゃおかしい。植物の知識がないチカは私物の方の端末で検索をかける。
もう枯れるはず、そう思って調べてみると以外にも保存状態が良ければ2週間ほどもつらしい。
「それならもうじきか」
背もたれをしならせて今度こそ完全に独り言、仕事についてから独り言が増えたがこの2週間は以前よりさらに増えた。
「嫌な女だ。あたし」
研究所の狂乱。無邪気な科学ジャンキーが新しいおもちゃで夢中になる一方で、そうなれなかった者もいた。
アクシオン・リングは優れた研究者を求めてはいるがその方向性は雑多だ。これは1つの方向性しか持ちえない知性というのは可能性が狭い。雑食であることが知性において重要であるとの哲学がそうさせていた。故にチカのような学会では爪弾きにされるような研究者も積極的に受け入れていた。
コノ・ヤスエ博士。26歳。チカとは違う意味で変人である。
マウントを取ることが好きで否定されることは嫌い。他人の弱みを巧みに見つけることが得意であり、社会の動きには鈍感だが、自分の属するコミュニティでは高いポジションを獲得することに長けていた。感情の起伏がやや激しいところもあるが根は優しく素直な性格。ようするに、社会人としてはマトモであった。普通に優秀。それが研究所上層部の人物評価であり変態・変人のコミュニティである研究所において、この普通さは異常であった。彼女の感性は研究所で働きだしてからも変化することなく、社会人として穏やかに彼女は過ごしていた。QORAが覚醒するまでは。
「マギオンは実在しません。あれはトリック。観測データはQORAの錯覚です。我々が測るべきは“錯覚の形”です」
彼女の立場は一貫して冷静だった。
「よく考えて下さい。会議室で起きたことを含めてもオカルトぬきに説明できます。アルボラリス工学主任の件も仕込みで説明がつきます。彼の演技力で皆さん気が動転したのです。落ち着て、冷静になって考えてみてください。意思を媒介して情報粒子をコントロールできるのであれば、ありとあらゆる情報は意味を持ちません。あらゆる嘘を現実のものとして認めるのですか?」
研究所がマギオンの情報を非公開としたのはここにあるのだろうとヤスエは目をつけており、それは当たっていた。マギオンが魔法のような素粒子であることはまだいい。超常現象ぐらい科学者たるもの受け止める度量は持ち合わせている。しかし情報を伝達する素粒子を操作することで情報を逆制御する、これは棚上げされた問題だった。解決方法はおそらくない。光が影を作ることはあっても影を動かして光を操作することはないのだ。マギオンにはそれがある。QORAは魔力子はそういうものだと説明するし、QORAのやっている“魔法”は現実という情報をQORAの意識情報によって書き換えることで成立しているという。
「コノさん。もうその線は無理筋っスよ」
研究所内に大小あるうちの会議室。コノ・ヤスエの主張を聞きにきた職員はわずかであり、その反応も冷ややかなものだ。熱に浮かれた研究所内においてヤスエの主張は冷静すぎた。
「コノ博士とお呼びください、ウルシ取締役」
通常、取締役が何の実績もない平職員のカンファレンスを見に来ることなどない。ウルシは外部取締役という立場で決まった研究物をもたない。研究所内において珍しい暇人である。
「いやー僕はねコノさんのことはリスペクトしてるんスよ。この所内のこの空気で冷静なのコノさんぐらいよ。でもさーいくらなんでもトリックで済ませるにはちょっとねぇ」
童顔のウルシが僕と言うとますます少年のようである。ヤスエが美女ならばウルシは美少年だろう、年はヤスエよりも上だが。
「それにいいじゃないのコノちゃん、ね? 情報の書き換え、大いに結構。だいたい僕たちだって観測誤差とか実証失敗という情報の書き換えなんていつもやっているだろう? 大事なのはどこからどこまでできるのかってことッスよ。そこを実証実験でつめていこうじゃないか? 案外たいしたことないかもよ?」
コノ・ヤスエの風前の灯火カンファレンス、まばらながらも人がいるのはウルシ取締役が取り巻きをつれてきているからだ。ヤスエはちゃんずけになったこともあきらめて会を終了した。
「チカは機械に憑りつかれたのよ。なんとかしないと」
ヤスエの想いは届く“場”がない。少なくとも今は。




