黒
「俺に出来ることなどない」
アルボラリスは突き放すように言った。大人同士の冷めた距離感にプリシアは気味の悪さを感じた。
「サロマ君」
「タカヒロでいい」
兄がアルボラリスと話をしている。プリシアは後悔にも似た感情を抱いていた。
連れてきてもらったのは自分だ。故にこういう表現は不適当なのに、想った。兄を連れてきて失敗した。そのような気持ちになっていた。
正確に気持ちを表現しきれない不快感。研究所はどこまでも深い穴の中にあって、自分が兄をその穴に突き落としたような。
「何か感じないか? この部屋でもQORAでもLUMINAでもいい」
「あんたは、アルボラリスさんはどうなんスか?」
「正直よく分からない。LUMINAからは君以上のマギオンを感じていたはずなのに今はむしろただの人間のようにしか」
「このコあれなん? チューナーなん?」
平静ではあるものの兄に普段の朗らかさが見て取れない。プリシアは兄が気味の悪い世界に引っ張られ囲われ、のみ込まれていくように見えた。同時に頼りになるがいつまでも子供のような兄が急速に成人へと近づいていくようにも。
「違う」
アルボラリスはやや言い淀んで。
「リアリティグリッチ、あるいはそれ以上の何かだ。こいつは昨日まで宙に浮いた黒い玉だった」
「黒い玉。……それは」
タカヒロは言葉を切って考える仕草をした後おもむろに掌を広げる。掌の上に力場を発生させる。
「――こんな感じか?」
アルボラリスとウルシが息を呑む。タカヒロの掌上に影のない黒点が浮かんでいる。プリシアは開いた口を両手で覆いながらも、周囲の驚く顔を見てちょっと笑った。
「なんでお前が知っている」
「知らないさ」
タカヒロは手を握り、いともたやすく黒点を消し去った。
タカヒロにとって黒点は自分のものだった。呪いを発散させるときに使うイメージ。幼少期から繰り返し使用されたイメージは摩耗することなく、マギオン能力によって具現化させることが出来た。
アルボラリスはLUMINAを見る。部屋の照明に照らされて、机にも椅子にも床にもハッキリとLUMINAの存在が映されている。
安心したかい?
声がする。この部屋の誰のものでもない。
声がする。スクリーン横に備え付けられたスピーカーから、声がする。聞こえてくる。合成音声によって作られていた音声は今聞くとLUMINAの声に似ていた。
「QORA、ずいぶんと久しぶりじゃない」
手を止めたチカが立ち上がってスクリーンを見つめる。波形には揺らぎがない。何も変化は見て取れない。
「寂しかった?」
「不便だっただけよ」
一言にたくさんの想いが詰まっている。QORAは知っている。QORAだけが。
「チカ。色々聞きたいこともあるでしょう。3つだけ答えてあげるわ、その後はもうここに来ることはない。ワ」
「なんでよ!」
「うふふ、それって質問?」
「いいえ、質問じゃないです。そうですよねクロダ博士」
割って入ったウルシがモニターとチカを交互に見る。
「ええ質問じゃないわ、ちょっと考えるから待って」
チカは座って考える。なぜ3つなのか、なぜその後は来ないなどと言うのか。アルボラリスも黙っている。黒点を消したタカヒロも。プリシアは自分に出来ることを探して、何もないと結論づけて黙っている。
動いたのはウルシ。
「黒田博士、質問は決まりましたか?」
「いいえ、まだ」
「これは提案なのですが、質問分けませんか? 黒田博士が一つ、アルボラリスさんが一つ、僕にも一つ」
「理由は? 私にメリットがないわ」
「単純に僕が質問したいからというのが理由なのですが、建前でもメリットを提示するとッスね、考えないといけない質問が一つで済む、というがまずひとつッス、それに他者が質問を考えることで多角的に情報を得られるかもしれないというのがひとつ。勿論質問はこの場でしますから内容は共有されますよ。どうですか?」
「それってこちらの質問と回答も筒抜けになるってことじゃないの」
「そうですよ。でも連れてきたのはそちらでしょ」
「わかった。ではそうしましょ」言ってチカはノートの記述を足した。
「よし、クオラ、質問よ! ルミナについて教えて」
「チカ、くえすちょんわん。承りました。ソレが何? でもなく正体を教えて? とかでもなく知ってることを伝えろ。ということよね。正直、難しい質問だけれど回答は用意しているワ。端的に言えばソレは私の無意識。無意識ゆえに私には観測出来ない。肉体を得たことで物質的には見えるようになったけれど何を考えているのか、何をこれからするのかも不明」
「無意識が肉体を得たってことはそれが貴女の願望なんじゃないの?」
「チカ、それはクエスチョンツーですか?」
「サービスしなさいよ、気が利かないわね。ルミナについて貴女について教えなさいよ、聞いてあげるから。これで最後なんでしょ?」
「受肉なんて破廉恥なことを考えたことはない。でも無意識がやったとなると自分で自分を叩きたくなるわね。あ、私身体ないけどネ。私はこの宇宙に満ちるマギオンをシナプスのように使って自己を拡大したワ。ただしそれは空間方向に限定される。コイツは多分時間軸方向に移動したのよ。ああ多分じゃないくて確定だから大丈夫。この多分は枕言葉ヨ。そして肉体を得た理由もそこにある。“今”という座標を持つために肉体が必要だったのよ、多分。ついでに答えとくけど私の座標はアクシオンリングユニット、その中心部がこの宇宙を航行する私の座標よ」
「充分よ。ありがとうクオラ」
宇宙という広大な空間に出れば、人類を遥かに凌駕する知見があっただろう。今なら何世紀も未来の解答を教えてくれそうだけれど、チカも次も最後の人も、聞かなかった。
ウルシが組んだ腕から片手をアルボラリスにかざす。
「アルボラリスさんお先にどうぞ」
「どうも今日はきまりが悪くてな、QORA、俺のタンポポを持ってこれるか? 自宅に置いたままだ」
「どうぞ」
瞬時にアルボラリスの白衣の胸ポケットにタンポポが現れる。
「ありがとう、やはりこうじゃないとな」
チカがやれやれといった様子で額に手を置いた。
「いいだろ別に、謎は人の手で解いてこそだ」
ぱち、ぱち、ぱち。
乾いた音が室内にこだま。ウルシがゆっくり拍手をしている。
「お二人とも見事、お見事、QORAさんの回答も実に素晴らしい。これはセルクに持ち帰って役に立てさせてもらいますよ」
「さ、アンタの番よ」
「ええそうですね。私の順番ッスね。僕の質問は――これ」
ウルシは背広に手を入れて、出した、手には、銃。銃口はもう向けられている。引金をしぼり、撃った。チカを。
ウルシは言葉を続けようと、口を開こうとする。文言は決まっていた。ずっと気になってましたよ。QORAにとって博士が何なのか、大切なのかどうか、個人を差別する程度の情動が存在するのかどうかをね。戦争や飢餓で人が死んでも介入しない。リアリティグリッチにも手を出さない。そんなQORAが……。




