頁。一文字でページと読む。訓読みのページの他、音読みが存在する。
「私のことはアルボラリスでいい。もしどこかで苗字を知ることがあっても苗字では呼ぶな。私を知るものにはみんなそうしてもらっている」
めんどくせぇおっさん、いやじじいだ。
自分の父より若いアルボラリスをタカヒロはじじいだと思うことにした。好々爺ではない。めんどくさい方のじじいだ。
「おいこれどっから入ったらいいんだ?」
「正面にゲートが見えるでしょう? あそこから入って下さいッス」
確かによく見れば建物をぐるりと囲う白い塀に鉄格子のような門がある。下部には車輪がついておりスライドして車が通れるようになるのだろう。一見豪邸の塀と出入口のように見えはするが高さが低い。脚立かもしくは誰かが肩車でもしてくれれば簡単によじ登れてしまいそうだ。塀の上に有刺鉄線はない。はたしてこれで塀としての役割をはたしているのだろうか。監視塔もなく、以前忍び込んだ宗教施設のほうがよほど真面目に警備をしている。
「というか正面入り口しかない」
ウルシの言葉をアルボラリスが補足した。言葉の意味をそのまま信じるのであれば秘密通路などもなさそうだ。こんな場所が造ったのだろうか。こんな場所でQORAが生まれたのだろうか。ここは観測施設であり出生地はあくまで北極。妹から聞いた話はタカヒロの頭からは抜け落ちていた。
「あいあいさー」
口調は軽いがタカヒロのテンションは低い。
門に近づくとアルボラリスが窓を開けて警備員に顔を見せる。顔以外に何かを見せることもなく何かしらの手続きもなく鉄格子がスライドした。
タカヒロは待っている間、後頭部に置いていた手をハンドルに伸ばした。アルボラリスはそんな様子を眺め、ウルシはタカヒロを眺めるアルボラリスを観測していた。
口数が多いッスね。今のなんてわざわざ言う必要もない。僕が正面ゲートだと言ったことで十分。どうもグラン主任はタカヒロさんのことが気に入った様子。可哀想かなタカヒロ君は主任のことを嫌いになっちゃったみたいッスけど。ええ、わかりますよ。彼純粋そうでかわいいですもんね。若者らしい危なっかしさもありながどこか達観している風でもある。半分ぐらいは見た目のせいですかね。多分彼は主任が思っている以上に幼いですよ。声色や肌のぐあいからして20代前半、下手したら10代かも。でもグラン主任はチューナーですからね。勘というか無意識下では彼の若さに反応しているんじゃないですか? 父性がネ。あー気持ち悪い人ですよ全く。
ウルシの目がわずかばかり細くなる。童顔のウルシだが目を細めると目尻に年相応のしわができる。
チューナー? 天才プログラマー? 笑わせる。お前に出来ることなんて亡き妻を想ってシコりたおすか、亡き息子を想って涙を流すことぐらいだ。どこまでも人間ッスよお前は。男で父で人間でしかない。だからお前には何もできない。何も手に入らない。何も見ることが出来ない。
施設内の道幅は広く今通ってきた道の三倍はゆうにある。運送会社のようでもあり、大型商業施設のようでもあった。無駄に広さを持て余した駐車場を有効活用したつもりか旧時代のスポーツカーが白線をまたいで停めてある。乱雑だとタカヒロは思った。エンジンは停止しており、中に人もいない。
「やはり先についていたか。適当に止めてくれ」
アルボラリスの指示に従い。タカヒロは車を止める。スポーツカーの横に車一台分のスペースを開けて停車した。
「ご乗車ありがとうございました。って本来は言うところなんですけどね」
「きたまえ。ゲストが一人増えただけのことだ。それに君の妹さんも中にいる」
アルボラリスは下車し、警備室に立ち寄ると紐のついたカードを持ってきた。
「最初から来るつもりだったのだろう?」
「あれれ? バレました?」
「クロダ博士からメッセージがあった。詳しいことはわからないが君の妹さんも君同様ただ者ではないらしい。なにせ……」
そこで言葉を区切ってアルボラリスは端末の画面をタカヒロに見せる。タカヒロには読めないが画面には日本語でこう書いてある。
『拾った小娘が二人になりました。中に入れるのでお兄さんも是非お願いします。追伸。油断しないように』
「油断するな。だそうだ」
――10分前。アクシオンリング研究所、ゲート前。
タカヒロの妹、プリシア・ベガ・サロマはゲート前の道路に突っ立っていた。かれこれ2時間になるだろうか。ゲート横の警備室から警備員が怪訝そうな、否、あきらかに疑いのまなざしをもって見つめてきている。立っている場所は敷地の外、公共の土地である道路。歩行者用に整備された道はわるくないのだが、空港や駅の近場、観光地の道と比べて数段見劣りした。風景は言うに及ばず場の空気感や足の裏に伝わる感触が弱いのだ。平たく言えばドキドキしない。愛すべき故郷の生活道路となんら変わりのないただの道。ただの時間のように感じていた。制服姿の成人男性二人にじっと見られながらずっと会って話したいと思っていた人物を待っている14歳の女の子、プリシア・ベガ・サロマの嘘偽り誇張イキリなしの気持ちだった。あーこれが街中だったら見られている私は被害者で、ジロジロみてきている男二人は変質者なのに。などという正当性のよくわからない妄想をしながらプリシアは待っている。兄の話に乗っかって初めての海外旅行。あこがれの地、あこがれの人物に会うため来た。兄の話と能力を鵜呑みにするとして邂逅することは確定。兄は自力でなんとかするらしい。兄の話では二人一緒に会うと後の展開がよくないらしい。段取りは聞いた。兄の話にしては珍しく筋も通っている。故に、あとはやることをやるだけだ。
平常心のまま時を待ち、到着予定時刻よりわずかに早く音が聞こえた。空気の色を塗り替えるような音。色に例えるなら灰色のような音なのにプリシアは胸の高鳴りを覚えた。足元が揺れている。ふわふわとぷにぷにと。
車の音を聞いた警備員はゲートを開けている。チカは普段なら一時停止もそこそこに車を中に入れてしまうが今日はそれができない。ゆっくりと車の鼻先を少女の膝頭に近づけた。
「お嬢ちゃん、どいてくれない?」
窓をあけて優しく呼びかける。ゲートが全開であれば横を無理やり通り過ぎることもできた。危なくてしないだろうけど現実としてゲートは車一台が通れるぶんだけしか開けられていない。警備員も面倒なのだ。ぎぃぎぃと音を立てる金属製のゲート。開け閉めするにも少々時間がかかる。半分だけ開けて車を通したら閉める。これが彼らの業務の通常。事態は通常と異なりを見せた。警備員はマイクで呼びかけるかそれともゲートを全開にするか悩んだ、わずかの時間で事態は進む。転がり落ちるように。カタパルトからはじき出されるように。
「先生。ここの数式が違います」
フロントを踏みつけプリシアが本を開く。サスペンションが軋み、一人分の重量に従いフロントノーズがさがる。二歩進み、広げたページをフロントガラスに押し付ける。本はチカの書いた『量子魔力学 iħ (∂Ψ/∂t) = HΨ + M(Eₑ)Ψ』
開かれたページは魔力反応式の頁。そこに付箋が張られてある。書かれてあるのは数式だ。付箋に書いてある文字は小さく、何より影になっていてチカにはうまく読み取れない。
「証明は?」
チカの声はつぶやきであり、少女に声が聞こえたとは思えない。ただ付箋に書かれている数式が短すぎる。いくら小さく書いたとはいえこれだけで“違う”と証明することは無理が過ぎる。それゆえのつぶやきであったが、会話が成立しているかのようにプリシアが動く。鞄からノートを取り出し、開いたページをバンッとこれまたフロントガラスに押し付けた。付箋の文字とは違い乱暴に書きなぐられた筆跡。これがあっているかは分からない。自分の数式が破綻していたとも思いたくはない。ただひとつ浮かび上がるものがある。お尻のあたりがむずがゆい。
「『魔力学基礎論』」
助手席のLUMINAが言う。そうそれだ。そこにあったいくつかの数式のクセが残っている。
シートベルトを外し、精いっぱい身体を窓から出す。セミバケットのシートは名残惜しそうにチカの臀部に引力をかける。
「どかして降りて」
続けて警備室に向かって大声で叫ぶ。
「ゲストパスふたつお願いします!」




