生徒と先生
校庭を走っていく男を彼女が見つめている。
もう間もなくHRが始まる。今日は1限から授業をしなければいけないので、出席を取るためのタブレットの他に、教科書と授業ノートを抱きかかえている。
3階の廊下からは校舎裏の日陰を見ることは出来ない。視えるのは遠くの山々と青空、住宅街と道路、校門と校庭だ。
彼女以外の教員は授業ノートを使わない、昨年定年退職した教員は紙のノートを使っていたが、今はもう彼女だけだ。ここでいう授業ノートとは、学生が授業内容をまとめたものではない。
教員が、スムーズかつ楽しい授業を行うための設計図のようなものだ。
彼女以外の教員もタブレット端末で授業ノートをつけてはいる。彼女だけが特別真面目なわけではない。授業ノートを活用した授業は女学院の伝統だ。形に多少の差異はあれ、どの教員も日々、面白い授業になるように知恵を絞りだしている。
裸の男が校門を出ていく。車にひかれることもなく無事に外に出る。例のリアリティ・グリッチを調査していた研究所の職員さんだろう。なぜ裸なのかはわからないがきっとよくないことが起こったのだろう。彼女はそんな予感を覚える。
私は彼女のそんな予感を知覚する。
私は校庭に出て、3階の彼女を見る。
彼女は背を向けて、自分の担当する教室に入っていくところだ。私を見たら彼女はどう思うだろうか。
予想はできる。でも必要ない。
電話は捨ててきた。
私には必要がない。
私はこの日、授業が終わるまで待つことにした。時間には余裕がある。彼女の時間を無駄にしないほうがいいと思うもの。
7限目が終わり、閉じた校門が開く。大半の生徒はクラブ活動があるので、帰る生徒は多くない。
わずかな帰路の波に逆らいながら私は校舎に入ってゆく。
波に逆らう私の背後で、アクシオンリングの職員が数名、校舎裏に走っていった。校門が開くまでは入れなかったのだ。
私の姿は視界に入っているけれど、今は制服も着ているし、彼らに私と生徒の見分けはつかない。先生方だって「あれ? こんな生徒いたかな?」と疑問に思う程度だ。
たった一人を除いては、私の姿を訝しむ者はいない。
7限目に授業がなかった彼女は職員室にいる。
私は「失礼します」と言って職員室に入る。私の声はもうニーネではない。その声も思考も必要がない。声帯が正しく空気を振るわせる。デスクで事務作業をしている彼女が私の声を聞いて振り返る。カタマル。
彼女は私をみて硬直している。
彼女の名前はミナミ・マサミ。私は彼女に会いたかった。
私は目を見開いて硬直したままのマサミに近づく、さも先生に用事がある学生、という風だ。
「せんせー。ちょっと今日の授業でわからないところがあってぇ。ちょっと聞きたいんですけどぉ」
マサミ2回まばたきをし、ちょくごにツバを飲み込み、更に3回まばたきをした。その動作が再起動の合図であったかのようにぎこちないながらも声をだした。
「え、えぇいいわよ。ちょっと長くなりそうだから外で話しましょうか」
かいわはかみ合っているとは言い難いが、職員室にまばらにいる他の教員は誰も不審がらない。わたしはニコニコしながら言った。
「はい先生」
マサミは机の片づけも早々に逃げるように職員室を出る。私は後ろに続く、早歩きのマサミの後ろを私は一定の距離を空けてついていく。
マサミは北校舎と東校舎を繋ぐ通用口で1回、下駄箱でいっ回、後ろを振り返った。
「はぁ。あなた靴は?」
この場合の靴とは学校指定の外履き靴、ローファーのことだ。私は瞬時に足を化えることもできたが。
「ないわ、上履きのままいく」
と言った。
はじめてそこでマサミとちゃんと目が合った。マジメそうなマサミらしい目だ。学生の頃から変わらない。
「そう」
マサミは言うが早いか、手近な学生用の下駄箱を開けると中のローファーを取り出して地面に置いた。
「これつかって」
「いやいや使っててさ、まずいでしょ」
「大丈夫だから。ほら早く」
私は面白くなって困らせようかと迷う。でもこれ以上マサミを困らせるのは本意ではない。
「それじゃ、お言葉に甘えて」
私は誰のものか知らない靴を履いてマサミについていく。少し迷ったが上履きはローファーの入っていた棚に入れた。
完全に普通の上履きだ。新品同然であること以外何も問題はない。
マサミは外に出ると職員用駐車場まで歩き、国産の軽自動車に乗り込む。
私も自動スライドドアの扉をくぐって車内に入る。ソファーがコの字型に並べられた車内は、外観以上に広々としている。
〈おかえりなさいませ、目的地はご自宅ですか?〉
自動音声がマサミに目的地選択を促す。完全自動運転のこの車は目的地さえ指定しまえばあとは車が勝手に目的地まで運んでいってくれる。サイドソファーを折りたたみ、フロントソファーの背もたれを動かすことで、かつて人が運転していた頃の2列シートを再現できるが、前方の景色が見れるほかはメリットがなく、多くのユーザーはソファーをコの字にしたまま運用している。
リアソファに座ったマサミは、車内に入ったきた私に手の平でフロントソファーに座るように促す。
「あちらにどうぞ」
「自動運転はレベル6じゃないのね」
「レベル6ってあのマギオンのやつ? 無理よ公務員の安月給じゃ」
〈目的地は――〉
「ファミレス! どこでもいい近いところ」
〈かしこまりました。ジョイフル村田店に向かいます〉
ガチャリとドアロックがかかり、駆動音のつもりなのかブンーというサウンドを再生して車はゆっくりと動き出す。
マサミは無言だ。
「マサミ――」
「まって、今話かけないで、混乱しているのよこれでも」
ソファーに深く腰を下ろしたマサミは、「はぁー」とおじさんのようなため息をついた。あなたまだ20代でしょ。と言いたくなったが私はぐっとこらえた。
マサミは話す。
「あのね、そのローファーだけど先々月、いや3ヶ月前か。ある子の靴が盗まれてさ、んで詳細は面倒だから省くけれど、犯人はちゃんと捕まって靴も返ってきたのよ。でも気持ち悪いでしょ。それに返ってきたときはもう新しい靴を持ってたし。んで、捨てて良かったんだけどね靴。でももったいないし、下駄箱はあまってたから入れておいたのよ」
「ふーん」
「そーいうわけだから靴の心配はいらないわ」
それだけ言うとマサミは、話は終わり! とばかりにスマホを取り出して私を放置した。
〈到着しました〉
ファミレスに入るとサッとメニュー表を見てマサミは注文を決める。
私とマサミはファミリーではない、レストランというには安価な内装、私とマサミは場違いなのか、場に適しているのか。客層を見るにこの場所はレストランというよりもファストフードに近い。ならば適切な客だろう。地球の歴史上、私ほどインスタントな生き物はいない。
「私は決まったわ。あなたは?」
マサミは、真っ直ぐに見つめてきた。
「おごり? 私お金ないわよ」
「やっぱりあなたジュリじゃないのね」
「ええそうよ。容姿が同じなだけ。あー? しゃべり方が違ったかしら?」
「うん。アクセントがね、それにジュリは自分のこと、わたしじゃなくて、あたしって言うから」
「そうなんだ。ちょっと待ってね。せっかくだから色々食べたくて」
「さっき安月給だって言わなかった?」
「ケチくさいわね。わかったわ、マサミと同じのでいい。それならいいでしょ」
私はメニューを閉じ、マサミを見る。
マサミは呼び出しボタンを押して、やってきた店員にハンバーグのセット頼んだ。お米とスープ、サラダがついてくるらしい。
「私ドリンクバーってのやってみたかったわ」
「何も面白くないわよ。あれで喜ぶのは高校生までよ。というかあなた高校生じゃないわよね」
「さぁどうでしょ」
私はイラズラっぽく笑顔をつくる。ジュリアという子がこういう表情をしたのかは知らない。
「それで、私をどうするつもり? 私はどうしたらいいの?」
「マサミ、もしかして自分が殺されると思っているの?」
マサミは私を見たときから不安を抱きつづけている。
「別にそんなこと思ってない」
嘘だ。私にはわかる。
マサミが感じているのは恐怖と、罪悪感。マサミは店員がいないときは終始腕を組んでいる。
私のようなチカラをもっていない人でも、多少の観察眼があれば彼女が防御姿勢をとっていることが見受けられる。
わかったとして、不安の理由がまさか殺されるかもしれない恐怖だとは他人にはわかるまい。私はわかるのだけど。
彼女が必要もないその不安を抱くには彼女なりの理由がある。
「そう? 逆に聞くけど私に質問はないの?」
マサミはたっぷり6秒間をとって。
「聞いたら答えてくれるの?」と言った。だから私は。
「ええ、私に答えられることなら、なんでも。どんなことでも」
「わかった」
マサミは沈黙した。だから私も何も言わなかった。
やがて。マサミと私に同じメニューがきた。
ライス・スープ・サラダ・ペッパーハンバーグ。
あの頃の友人の姿をした人とマサミは食事をとる。
ハンバーグは鉄板に乗せられて提供されている。鉄板のはじに乗ったコーンをフォークで刺しながらマサミが口を開く。
「何しにきたの?」
質問だった。私は答える。
「名前がほしいの」
「誰の?」
私の。私は親指で自分を刺す。右の口角をニィっとつりあげる。
「なんで私が」
「イインチョならいい名前つけてくれそうじゃない?」
マサミはコーンが刺さったままのフォークをプレートにもたれかけるようにして置いた。
「ジュリアはね。発情期って呼ばれてたのよ、ほんとひどい名前よね。最初に言い出したのは私なの」
マサミは頬杖をついてナイフでハンバーグを切ろうとする。フォークで支えていないせいか、ナイフの切れ味が悪いのか、ハンバーグは部分的につぶされて肉汁を散らしながら分割される。切断というより引きちぎっている。引きちぎっているというよりナイフとプレートから逃げるために否応なく肉の塊が裂けている。小さな汁と肉片が跳ね飛ばされている。
「わたし、ジュリのこと大事な友人だと思っていた。彼女のこと嫌いじゃなかった。それは本当なの。憧れというか、妬ましさはあったわ。でも仕方のないことだし人間そんなの当たり前でしょ。ジュリが死んで、ショックだったけど。死んで肩の荷が軽くなったような気もしたわ。何故だが私のせいな気もして……ショックを受けたわ。友達が死んだことよりも。それで自分の中に起きたことにこそショックを覚えたの」
今度はナイフを置き、フォークを口に入れてコーンを食べる。次にライス次にハンバーグ。
私はナイフとフォークで大きめのサイコロのようにハンバーグを切り分ける。食べる。
水を飲み、スープを飲む。スープはお替りできるそうだ。スープバーとお店では言うらしい。ドリンクバーのほうがいいな。やっぱり。
「そんな私に名前をつけろですって?」
「そうよ」
「変なの」
「そうよ」
マサミは薄く笑った。口角を上げて。




