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マギオン  作者: 雷然
23/24

 冬になると山道は白になる。雪が、道と木々を白く塗りつぶしてゆく。

 風に砕かれた雪が霧の舞い散り、空気も白くしてゆく。

 白い空気は影をつくり、同時に白は、わずかな光を無数に乱反射させる。

 人の目では判別不可能な微細な明度の変化。明るい白とわずかに暗い白、さらに暗い白がまだらとなってたゆたい。ときに吹き荒れる。

 ここには意識がある。QORAの意識が。

 QORAは広がっている。

 研究所を飛び出し、雪のように社会を染め上げていった。

 

 街も山も川も、海とそれを隔てた別の国々もQORAの観測対象。観測範囲内となっている。

 遠く離れた南の島国。そこに住まう人々も。



 南国。

 年間平均気温は28度。常夏ではないが、一年の変化は日本よりは少ない。とは言え、この国にも寒い時期はある。

 もっとも寒い時期の気温は23度。この地に雪の降るぬくもりはない。

 雨季の終わった12月。乾季が始まるこの時期こそ、1年でもっとも涼しく過ごしやすい。


 この年、あるものがこの国の一部地域に降り注いだ。


 

「ねぇお兄ぃ見て! これ、この本お兄の本と同じじゃない? 同じというか似てるというか」


 クロダ・チカ『量子魔力学 iħ (∂Ψ/∂t) = HΨ + M(Eₑ)Ψ』

 

 あどけなさが残る少女プリシア、普段以上に幼い喜び方で兄に同意を求める。食卓ごしに突き出すスマホのディスプレイに映るのは日本語の書籍。

 漢字というアジアの一部で使われる複雑な記号と何やら暗号めいた謎の文字だけが乗っている本の表紙。

「飯は黙って食え」

 こういう時、この家でプリシアを注意をできるのは自分だけだ。兄と姉はもう結婚して家を出て行ったし、弟は一緒に騒ぎ出す。父は夜も仕事で家にいないし、母はプリシアには甘い。騒いでいるのが自分だったらすぐに怒られるというのに。あと、ばあばと犬のポギは話にならない。あいつらは母以上にプリシアの味方だ。下僕、あるいは従者といっていい。

 

 兄の叱責をうけ、おしゃべりをやめたプリシアはスマホにかじりついている。本の価格が日本円で表示されている。高い。が、貯めているおこずかいで買えなくはない金額。表紙の言葉と計算式から察するに、兄が著者になっている自身が執筆した兄の本。『魔力学基礎論』に対する何かだ。

 

 答えか、挑戦状か、侮辱か、どういった種類のものかプリシアにはわからない。

 でも著者の人は知っている。QORAのニュースで何度も見た名前。

 クロダ・チカ、彼女こそ人類史上最初にQORAと初めて会話した人物であり、プリシアは彼女のひそかなファンだった。もしクロダ博士があの本の読んでこの本を書いたのであればいよいよ本格的にファンになってしまう。プリシアはラブレターをもらったような、あるいは果たし状をもらったような、ひょっとしたらもらってしまったんじゃないかという興奮を感じていた。

 ミーハーだという意識はある。全く見当違いのことを空想している可能性もある。でも確かめなければならない。

 確かめるためには買って読むのがいいだろう。

 翻訳をまつ必要はない。祖父の影響で、プリシアは日本語が読めるのだから。

 食事を終えた兄が、後ろからスマホの画面をのぞき込んでくる。兄は難しい本なんか読まない、ましてタイトルに習得困難言語と変形発展したシュレディンガー方程式を載せるような本だ。博士はきっと理解できる者だけが理解できればいいと思って書いているはずだ。

 プリ(わたし)ならば理解でき――。

「あーこれあの時のカワイ子ちゃんか」

「は?」

 何をいっているのかこの兄は。自国の著名人すら知らないボボ(アホ)が遠い日本の科学者を知っている?

 え?

 書影にならんだ著作者。クロダ博士の顔を兄が見ている。

 しかもあの時? どういうこと? 

 会ったことが?

 兄は勝手に納得したように続ける。

「そうかーけっこう年いってるんだな」とか。

「まぎおん関係の人だったのか」とか。

 訳の分からないことを言っている。

 理解ができない。


 プリシアはスマホを置いた。画面を伏せて。「ん?」とか言っている兄の肩をつかむ。

「お兄ぃ。ちょーっと詳しく話を聞きたいんだけど!」

「いや、お前まだ食べ終わって――」

「それどころじゃないからぁぁ!」

「わふぅーおぉぉーん」

 プリシアの大声に反応して外のポギが吠える。


 その瞬間だった。

 突然。轟音。

 頭蓋骨が割れんばかりの音と振動。ポギの声はあえなくかき消され、壁も屋根も揺れた。音は鳴り響いてあちこちに反射して拡散してゆく。

 まるで津波のような音だった。

「うるさいな」

 ボヤいたのはタカヒロの弟でプリシアの兄、ロドリゴ。

「そうだな」

 タカヒロも同調する。この音にタカヒロは心底うんざりしていた。

 鳴り響いた轟音は最近近所にできた教会の鐘の音だ。

 鐘の音の大きさはそのサイズと質量に比例する。ロドリゴが縦に3人分、それが鐘の大きさだった。

「兄ちゃんまた誘われたんだって? いっちょ黙らせてやってくんね?」

「いや入る気はないよやっぱ」

「まーそうだよな」

 ロドリゴはタカヒロやプリシアと比べると落ち着いていた。

 タカヒロからしたらもっとガキらしく元気を出せといった心持だが、最近の若い子達がみんなそうなので世代差かね、と納得もしていた。


 聖恩波動(せいおんはどう)教会。

 通称、マギオン教。

 マギオンを信奉し、NOÛS(ヌース)を通じて神の恩寵を得ようとする宗教団体。孤独は罪であり、共感こそが救済という教義を掲げている。

 元々町の一角にあったリゾートホテルがいつの間にか改修され、気づけばマギオン教の聖堂と化していた。

 

「なぁあそこってやっぱりヤってると思う?」

 ロドリゴがタカヒロに聞く。

「ヤってるって何さ」

 プリシアがロドリゴに聞く。

 

「間違いないね。羽振りが良すぎるし……」

「良すぎるし、何? つながった?」

「だから何ぃー? お兄ぃ! ロドぉー」

「プリ、洗脳だよ。ロド、繋がってないし、繋がりたくないんだよ。断ちたい、断っていたんだよ」

 共感とか、他者とのつながりはタカヒロも良いことなんだろうとは思う。思うが、どうも最近考えが変わってきた。変わってきたのか、元々そうなのか、元々じゃないのか。ともかく相いれない。彼らとは分断された関係なのが望ましい。

 ただし。

「洗脳? それってお兄みたいな人がやってるの?」

「多分、チューナーはいない。あそこにあるのは共感と増幅。幸福と金だよ」

「つながってなくても、タカ兄はわかっちゃうんだよな」

 関心するように、悼むようにロドリゴがいう。それだけ言って。

「ごうちそうさま」

 ロドリゴは部屋に戻る。ごちそうさまは日本語だ。死んだ祖父が日本人だった。この国にごちそうさまという言葉はない。

 でも言える。繋がっている。

 繋がっているとタカヒロは思う。

「洗脳って何よ。宗教なんて大なり小なりそういうものでしょ。別にいいんじゃないの? 鐘の音はうるさいけど」

「あそこの教義知ってるだろ? ヌースは強力な洗脳の道具にも成りえるのさ、不安や罪悪感を共有し、執着を手放せと煽る。その手の集まりを繰り返しているはずだ」

 繋がりが悪いことだとは思わない。でもあそことは繋がっていない。

 決定的に。

 探し物があそこには存在しないという確信。

 タカヒロ・ベガ・サロマは何かを探していた。何かを探している気がする。

 もしかしたら自分ではなく、自分のマギオンが、あるいは血が、宿命が何かを探しているのではとも思う。

「こーいうのなんつったけな、チューニビョーだっけか。日本語にそんな言葉があったな」

 ニヤリと笑うタカヒロ。

「お兄きもちわるー」

 プリシアは顔をしかめた。

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