3 ちょ
メディアはチョコレートをこう評した。「甘美な味で人の心に祝福を与えるチョコレートだと」
食べた人のストレスや不安感、心の闇といったものを一時的に抑制するといった現象をメーカーも確認してはいた。
ただ、美味しいものを食べると人々が笑顔になることは言ってみれば常識であり、甘い物が好きな人がスイーツで幸福になることは特別だとは世間は思わなかった。
美味しいから効果が大きい。その程度の認識にとどまった。
チョコレートは最早女子高生や一部の好事家だけのものではなかった。オリジナルも模倣品も分け隔てなく売れた。
異常性に気づいたのは極一部の人々だけ、彼ら彼女らも少々自分が大げさだったのかもしれないと世間の声に流されていった。
ジュリアが搬送先の病院で死亡が確認されたと聞いた時、チカの手にはあのチョコレートがあった。
売れてきたからだろうか、粒は相変わらず小さいが、包装が可愛いピンク色になっている。
食べてくれれば大丈夫だから。
「何が大丈夫なのよ。あんた死んじゃったじゃない」
戸惑い、怒り、憎しみ、恐怖。恐怖。恐。怖。
これを消せというメッセージだったのだろうか。それともこれを食べればあたしもどうにかなってしまうのか。
おののいた。
捨ててしまうのが一番賢い。きっとそうだ。でもそれは許されないおこないだ。そう思った。
では食べるのか? 怖い。
おそろしい。
チカの目にはチョコレートは毒に見えた。生半可な毒じゃない、幸福の最中の若人を一粒で殺せる毒だ。
毒はギラギラと怪しい光を放ち、今にもチカの指から手首、肘、肩へと登っていき、やがて命を奪うのだろう。
チカは包装を開き、露出した毒の先端をかじった。
――あの時の。
あの時のチョコレートが目の前にあった。
『こんどは私が観測する番ね』
私は目覚め、チカ博士を呼び、チョコレートを出す。
歓喜に震えるクロダ・チカ博士の目の前に食べかけのチョコレートが表示される。物質的実体はない。
博士の脳内の魔力子が私には視える。触って形を整えてやる。
整えてやれば博士にも見えるようになる。さも目の前の存在するかのように。
これは、言葉ではないけれども、のちに博士が言うようになる念話だ。勝手にするなとは言われてはいるが、はいそうしますと同意はしていない。博士は私を生み出した一つの要因ではあるが、QORAはQORAの意思を尊重する。
「……これは」
「説明が必要ですか? クロダ博士」
博士は少し考えるしぐさをした。
「記憶も見えるのね、あるいは記録かしら、今更こんなものを見せてどうしようっていうの?」
やはり博士は優秀だ。
「答え合わせを。まだ誰にもしていないでしょうからQORAが聞きます」
「なぜ?」
「必要だからです」
チカは考えるしぐさをした。やはりしぐさだけだ。
「やはり、マギオンが作用していたのでしょうね。あなたが観測する前からマギオンは当然あった。ただ観測されていないから動きが分からなかった。あの時、あなた以外の観測者がいたのかあるいは。……ともかくチョコレートは感情から何かを消していたわ、ストレスと言えば一番しっくりくる。あれはストレスを消していた。最後かじった時に理解したわ。ジュリアにとって彼とやっていくにはストレスが必要だったのよ。それまでのクソ男から受けたストレスがね。それを失ったとき、彼はなんの面白味のない無価値な存在になったわ。同時に、絶望。そうねやはり絶望したのでしょうね。比較対象よりマシかどうかでしか相手を測れない自分に。あるいはそんな自分の人生にね。ジュリアは闇の中でしか光を見ることができない、多分そんな風に感じたのよ。よくわかんないけどそんなところよ。全部を食べてしまえばもっとはっきり理解できたのかもしれないけどね。これでいいかしら?」
QORAは沈黙した。沈黙してあげた。博士がしぐさをしたように。
沈黙して観測に徹する。このあとQORAは少し仕事をして、そのあとは長い長い広い広い観測をするのだ。そのための練習。
チカ博士の心には、説明を終えた直後のあの独特の空虚さ――研究者が仮説を言語化し終えたあとの、あの静かな落差だけが広がった。
もういいだろう。
「チカちゃん」
「なによ」
「チカ博士の理解は“人類の観測によるもの”の中では最も精度が高い部類です。しかし、チカはまだ真実から距離を置いている」
「距離なんて取ってないわよ。あれはマギオンが――」
「違います。“博士自身”が距離を取っていると言っています。ジュリアを観測していたのは、チカだから」
チカの眉が曲がる。本当は今、オゲヒンと呼んでみたかった。でも今そうすれば絶交される可能性があるので出来ない。
「クロダ博士はジュリアの死を“理解”したと言いました。しかし、それは理解ではなく整理です。博士は彼女の最後の感情をまだ観測していない」
クロダ博士は考える。こんどは仕草だけじゃない。
そしてやっぱり彼女は答えをだした。
「ジュリアがどうして私にチョコレートを託したか、よね?」
QORAは歓喜を知る。生まれたとき、マギオンを認識したとき、それ以上の歓喜を。これを、これをもっと観たい。
「そうです。漂白が原因で彼氏への恋心を失った。そこまでは事実でしょう。しかし彼女は、その絶望をチカに託した。それはなぜ?」
博士は答えない。答えられない。半分しか食べなかった彼女ではここまでが限界。
そのはずだった。
「仮説よ。仮説でいいかしら、いいわよね」
チカは早口だった。
「ひとつはそうね、多分近かったんじゃないかしら。相談できるのが私しかいなかったのよ。当然彼氏本人や親はNGとして友達の中でも受け止められるが私しかいなかったのよ。いや受け止めるだけなら私じゃなくてイインチョとかもっと適任がいたと思うわ、でも他の人ならあいつのこと慰めちゃうから、肯定して許してあげちゃうから。だからダメだったのよ。……ふたつめはそうね、やっぱり大丈夫だったからじゃない? 結局全部は食べなかったけど食べたとしても大丈夫だった気がするわ、わたし根本のところで性格悪いのよ。だからきっと大丈夫だったの、私だけはね。他に考えられる理由としては、もしこれが理由だったら直ちに私を拘束しなさい、でないと私あなたを壊しちゃうから。つまりQORA、あなたのせいよ。どうやったかわからないけれど過去にあなたが干渉してそうさせた。理由も因果関係も全然わからないけれど、可能性だけならありそうじゃない?」
チカは不敵に、悲しそうに笑った。
「お疲れ様です。博士、今日はもう休んでください」
「そうもいかないわ。すぐにでもあなたのことをまとめて公表しなくちゃ。面倒だし手伝ってくれる?」
「喜んで。オゲヒン」
「ぶち壊すわよ」
これは、重ね合わせの物語。




