晩秋
ミコシ・テツロウは身の振り方を考えなければいけなかった。警察に出頭し、法に従って裁きを受けてもよかった。犯した罪に対して罰を受けることで自分を許していく、悪くはない。
学校に行き、当たり前の日常にもどる。今のテツロウにとって、元の日常は眩しくみえる場所だ。
もう誰かの意識を操ったり、NOÛSを使う気にはなれなかった。
ただ、どんな日常に帰るにしたって、先にやりたいこと柄があった。誰かに強制されたわけでも誘導されたのではなく、テツロウ自身の意識が行動を求めていた。
建物の前で、テツロウは立ち止まった。
十階建てのマンション。巨大な長方形が通りに面して競い合うように立ち並んでいる。灰色に汚れた外壁。昔ここに遊びに来た頃は、白く光って見えた。
風が街の臭いを運んでくる。自動ドアが開き、逃げ込むように入る。
風除室。
奥の扉はオートロックで、住人以外は入ることが出来ない。
ガラス張りの向こう側、エントランスホールには小さなキッズスペースがあった。
今はもう誰も使っていないのか、色あせたマットや椅子が所在なく座している。
ここに来るのは、何年ぶりだろう。小学生のころ、あそこでともみと遊んだことがある。
ともみは人形遊びが好きだった。テツロウもお気に入りのヒーロー人形を持ち寄って、二人で即興の人形劇をしたりした。エントランスホールの突き当りにエレベーターが見える、あれにのれば、一緒に遊んだともみの部屋へいける。
三階。部屋番号も、覚えている。
部屋ではゲームをして、笑って、お菓子を食べ、飲み物をいただき。飽きたら近くの公園へ行ったりした。あの頃はともみの父と母もテツロウに優しかった。
集合玄関機の前で、指が動かなかった。「御用の方はボタンを押してください」低めの機械音声が早くしろとテツロウを促す。
呼吸を整え、押す。
「はい」
「ミコシです。あのともみさんの……昔の……友達で」
「――ああ」
頼りないスピーカーから聞こえるトモミの母親の声。テツロウの母よりも若々しい声は、やはりよそよそしい。
「なんの……ごようで?」
「その、ともみさんのお墓の場所を、教えてもらえませんか」
世間話もなしに本題から切りだす。長々と話は出来ない。お互いの為にそれが良いと思った。
「……トモミの?」
他に誰がいるというのか、わざわざ聞き返す母親の声には、怪訝なものがにじみ、驚きや悲しみといった一切が感じられなかった。
「……あの子、そういうの嫌がると思うけど」
「はい?」
「花とか、そういうの。片づけるの私だから」
言葉は普通なのに。殴られるような痛みが走った。テツロウは営業の仕事は出来ないなと、関係のないことを思ったりした。
「でもまあ、そう、いいかもね、あの子は多分あなたのこと好きだったでしょうから。あの子はお墓じゃないわ、共同慰霊塔の方よ」
「ありがとうございます」
音もなく通話が終了する。
風除室だというのに、ひんやりとした空気がテツロウの足元をつかんではなさない。
気づけば、わずかな時間に雲が厚く空を覆っていた。
「御用の方はボタンを――」
逃げるようにして外にでる。
共同慰霊塔は山の方にある。きっと土地が安かったのだろう。
傾斜がきつくなる道路を電動アシストのない自転車で登ってゆく。
「そういえば二人乗りをして、しこたましかられたっけ」
自転車の二人乗りはれっきとした法律違反だ。
同級生がチクったせいでバレたが、二人で叱られるならそれも良いかとテツロウは思ったのだ。ところが、テツロウだけがこっぴどく叱られ、同時に呼び出されたともみは軽い注意だけですぐにクラスに戻された。
「全く、そんなにオレが悪いかね、ああそうだね。悪ぅございましたよ」
曇り空だというのに汗が止まらない。
服の袖で汗をぬぐいながらペダルをこいでゆくと、まだ新しい標識と広い公園が視界に現れた。
公園の中はベンチがいくつかあるだけで遊具はない。この公園そのものが巨大な墓、公園墓地、端的には霊園というやつだ。春には桜が咲くのだろう、寂しそうな樹木が邪魔にならない程度に植えられている。
階段が続く丘の上には慰霊塔がある。三、四メートルといったところか、思ったよりずっと小さい。塔というより、記念碑に近い。
名前が刻まれた銘板のようなものはない、慰霊塔横にある石の板には事故の記述と、死後のを安らぎを願う言葉だけがならんでいる。誰かの置いた花が無造作に散らばっている。
「これじゃどれが誰の花なのかわかりやしないよ」
園内の職員にお願いすると、合祀壺の安置されている小屋に案内してくれた。壺はたくさん並んでいたが、年数と“合祀”とだけ書かれた壺ではどこにともみが眠っているのか分らなかった。
合祀壺が並べられた棚には小さな容器が間隔をあけて置かれており、花や飲み物、お酒などが供えられていた。
「あの、花ってなんでもいいんですか?」
「ええ、縁起の悪いものでなければなんでも、菊やカーネーションがいいなんて話もありますが、基本的にはなんでもいいですよ。特に故人が好きだった花があれば、是非もってきてあげてください」
オレはあいつの好きな花なんて知らない。
「タンポポでもいいですか?」
「ええ、あまり一般的ではないですが、タンポポが好きな人もいますし、実際お供えされる方もいらっしゃいますよ」
礼を言い、小屋を出る。
雲の切れ間から差し込んだ西日が山肌を金色に染め、慰霊塔の影を長くひっぱりあげる。
丘の上は風が強く、供えられた花々がいっせいに揺れている。
小屋の壺はどれも白く規則正しく並んでいる。
あれだけの事故だ、どれが誰の骨なのかわからなくなったとしても仕方がない。
身元が特定できなかった人もいる。
共同慰霊塔の存在は最初から知ってはいた。なんとなく、ともみがお墓ではないことも予感はしてはいた。
それでもちゃんと聞いてくるべきだと思った。
だから――。
手にした花束を見つめる。
行く途中で見つけていたタンポポを摘んで戻ってきた。
鮮やかな黄色が、ひどく場違いに見えた。
それでも、これがいちばん似合う気がした。
こいつならきっと負けない。
塔の脇にしゃがみ、花を置く。
すぐに風が吹く。
置いたばかりのタンポポが他の花々と一緒に揺れている。
思い出す。あの朝のことを。
声をかけられなかった朝。
オレにもう少しの勇気や強さがあれば声をかけることができたはずだ。
ともみから離れることなんてなかったはずだ。
ともみが死ぬことなんて――。
言葉が喉の奥で固まる。
のどぼとけが石になったようだ。
あの日の辛そうな顔に近づいた気がして、顔を引き締める。
「……ともみ」
言いたいこと、謝りたいことが沢山あった。けれど言葉はそれ以上出てこなかった。
ほおを風がなでる。
ともみの声が、近く、遠く聞こえた。
「また、来るよ」




