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マギオン  作者: 雷然
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本来的実存

 テツロウが硬い床で寝ているころ、クロダ・チカは山道を走っていた。

 旧式も旧式、AIの自動運転が一般化した社会で、マニュアルトランスミッションの国産車で薄暗い峠道を法定速度の倍ほどで流していく。

 セミバケットのシートに深く腰を下ろし、肩をシートにつけた姿勢のままステアリングに触れる。

 ステアリングに手の平を軽く押し付けてよりシートとの密着を高める。このとき肘は伸び切らず、曲がったままになっている。こうすることでステアリングを回した際に、手を持ち替えなくても大きい舵角をつくることが可能になる。自然、座席は前側に位置し、足は窮屈になる。ブレーキを奥まで踏み込んでも、若干の伸びしろがある。足を完全に伸ばしきることは出来ない。マシンは楽な姿勢をドライバーに許してはくれない。

 チカは普段から動きやすい靴を履いている。ヒールやパンプスは好まない。軽量なスニーカー、かかとが丸みを帯びているとなおよい。

 マシンを操るとき、人体は車のためのセンサーとなる。人の為に車があるのではなく、マシンの為に人がある。

 後輪が地面を蹴り飛ばす。接地感がペダルを通して足裏に伝わる。凶悪な加速がおしりや背中をシートに押し付ける。ここで首をやらないようヘッドレストも大事だ。

 前輪の感触は指だ。握力は極力つかわない。操舵に必要な摩擦は握りこむことではなく手のひらを押し付けることで稼ぎだす。余裕のできた指先がステリングの反対側、ザラリとした表面と違いさらさらした感触を指の腹で感じながら、ステリングに響く前輪の軋みに指先で触れる。どれだけの速度を出していても強く握ったりはしない。そんなことをすれば、大事なインフォメーションに気づくことが出来ない。

 まるで四つん這いになっているようだとチカは思う。前輪が両手、後輪が足。素っ裸になって地面と外気にふれるような野生感。

 シートに座り、車という構造物の中に居ながら風の動きをよむ。ボディが夜露で濡れれば、数グラムの重さを体重の変化のように感じる。

 

「いくよ、エスダブリュー」

 今日の路面は良く乾いている。対向車はいない。平日の深夜。チカは愛車に一声かけアクセルを踏み込んでいく。

 エンジンは供給され続けるガソリンを必死に飲み干してく。空気を圧縮し、燃やし、パワーへと変えてゆく。変換しきれなかったエネルギーが音となり熱となり大気に消えてゆく。

 山道に木霊するエグゾースト、スキール音、車内に響くエンジンの振動、サスペンションの軋み。

 減速、ノーズダイブ、前輪操舵、回頭モーメント、横G、やや外側へと滑りゆく車体をアクセルを繊細にあけて前へ前へと押し出してゆく。コーナーを脱出し、短い全開区間。

 ブレーキングとともにダウンさせたばかりのシフトをアップ。上右上、稲妻のような手さばき、フルスロットル。パワーバンドに入ったのも束の間、次のコーナーに備えてつま先はブレーキペダルへと移動。

 コーナーに飛び込むたびにシャーシとボディがねじれてゆく。ドアの開閉が困難になる日も近い。

 チカの意識から昼間の出来事も、QORAのことも、社会のことも、マギオンも、消えてゆく。希薄になった意識がマシンと同調し、全てが漂白されながら同時に世界を強く感じる。

 道が楽譜のようにリズムを示し、主旋律を外さぬようにマシンを演奏させる。

 心地よい。今日はノれている。

 車重約2トンの鉄の獣が、わずかはがき4枚分の設置摩擦によって支えられて、加速、減速、曲がる。どうしようもない物理法則にがんじがらめにされる世界で確かに繋がりを覚える。チカがマシンとシンクロし、マシンを通じてチカと世界がシンクロしてゆく。全ての物理法則を理解したかのような万能感。いつ制御不能になってもおかしくない危険な速度が、現実を曖昧にしてゆく。

 

 クロダ・チカは取り立てて反社会的な人間ではない、特段清廉(せいれん)に生きてきたつもりはないが、逮捕されたことも補導されたこともない。誰かを傷つけたくはないし、人の嫌がることをしたいわけでもない。山道とはいえ、チカが無謀な運転をしているのは公道。到底ゆるされる行為ではない、チカは理解している。自分が許されないと自負している。それでもやめないことを。

 もしも今、急に誰かが車の前に飛び出せば事故はまぬがれない。急減速から華麗なハンドルさばきでマシンをスライドさせて間一髪で回避する。その手の芸当は持ち合わせていない。

 その時が来たら何もかもが終わる。

 リスクを十分理解した上で、愚かな行為を続ける為には必要なものが二つあった。

 一つは死ぬ覚悟。もう一つは殺す覚悟。


 これが趣味ということは間違いない。この行為がチカの趣味だ。ひとりぼっち暗がりで棺桶のようなマシンに乗り込み、けたたましい音を響かせては山で暮らす動物や、近隣住民に多大な迷惑をかける。スピードの濁流におぼれていつ死ぬか、道連れをつくるかわからない。


 この趣味を通じてチカが得るものはほんどない、ストレス解消。快楽。それぐらいだ。

 失うのは金と時間と社会的人間性、意外とこの手の趣味は金を食う。

 チカは酒もタバコも男もやらない。タイヤもオイルも常に良いものを使う。

 もっとも必要なパーツは良い自分だ。良い自分を持ってくることが安全に速く走る秘訣だ。


 ふいに、昼間の感覚を思い出す。虚空から見つめた自分の身体。肉体を持たない意識の寄る辺なさ。猛烈に感じた身体への帰属意識。

 何かが似ていた。

「準備してなかったらヤバかったわね」

 まだ、言語化は出来ない。感覚的な近似性。

「帰ろう」

 チカはゆっくりとアクセルを緩め、帰路につく。

「でも全然違うわ、あれはダメだもの」

 ステアリングをリリースする。チカの手の中で、ゆっくりと、でも確かにステアリングが戻ってゆく。

 エスダブリューが小さく頷いた気がした。



 翌日。閉じ込めていた男は解放したという。

 あれだけのことしておいて甘すぎる判断だと思う。でも多分最初から答えは出ていたのだ、彼を裁きにかける。その判断しなかった以上、自由にするしかない。そこから先は彼次第だ。

「もう、問題はない。あとはテツロウ自身の問題だ」

 管理を買って出てくれたアルボラス主任が言う。

 ならばもうできることは何もない。最初からなかったというべきかもしれない。

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