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マギオン  作者: 雷然
10/13

オン・ザ・ロック

 5月17日。

 ニューヨーク。

 被害者:29名。死者:なし。

 

 全員が同時に錯乱状態に陥った本事件において犯人はその場の全員とされた。29名の被害者であり加害者。

 そして控え選手、監督、チームスタッフ、撮影クルー、取材班、観客など約八万三千人の加害者。


 異変は当初小競り合いか乱闘かと思われた。珍しいことだ。

 アメリカンフットボール。日本ではアメフトと呼ばれるそのスポーツは見た目の荒々しさとは違い、高度に知的なスポーツである。選手は皆プロフェッショナルで、感情を廃しプレーに集中する。しかし全く小競り合いがないわけではない。誰もがチームの為、家族の為、応援してくれるファンの為に限界まで、あるいは限界を超えたプレーをする、それが偶発的な過激プレーとなって口論や小競り合いになるのだ。見ているだれもが接触から立ち上がった二人をみて、乱闘になるまえに審判団が二人を引き離すだろうと思った。

 クォーターバックのヘルメットをディフェンスラインの選手が掴んだ。審判団は誰もかけ寄らない、他の選手も立ち止まっている。動画の停止ボタンを押したように固まっている。二人が互いのヘルメットを掴んだままフィールドを走り始めた。二人は周りの選手や審判を吹き飛ばしながらフィールドの中だけをいつもの倍の速度で走った。


 ある観客は言った。あれはニューイングランドの勝ちだったと、別の観客はサンフランシスコの圧勝だったと。また更に別の客はドジャースの勝利だったと言い、さらに別の客は帝国軍の、と。

 中継された映像とは違うものがスタジアムでは見えたらしい。とニュースキャスターは言った。札束が飛んだとか他人の感情が頭の中に流れ込んできたという証言もあった。

 

 事件の翌日、連邦マギオン局は声明を出した。

 人の集まるところには行かないように、と。



 さらに連邦マギオン局は日本での脱線事故を持ち出しアメリカの集団錯乱と合わせてこう呼んだ――“共鳴”と。

 


 

「なにが共鳴犯罪(リアリティ・グリッチ)と呼称いたしますだよ、ファッキンアメ公が」

 毒ずいたのはアルボラリス主任だ。白衣はこの部屋にはない。今頃研究所のランドリールームの中だ。タンポポはローテーブルに置かれた小さな花瓶に生けてある。水はいれていない。

 アルボラリスふくめ工学部はすでに共鳴についてあらかたの調査を終えていた。共鳴に実のところ人数は重要じゃない。意思や感情というマギオンを動かすエネルギーが多ければ多いほど共鳴を発生させるのは容易にはなるが、必要な閾値(しきいち)さえ満たしてやればマギオン場は励起するのだ。珍しく興奮したアルボラリスはラテン語訛の日本語で毒ずくと棚からウイスキーとグラスを取り出した。

「こんなことなら先に公表しちまったほうが良かったんだ」

「あなた、吞みすぎよ」

 グラスに並々と注がれた液体を室内カメラが測定し、住居AIがスピーカーから音を出す。アルボラリスはその音に返答しない。半年前まではその音も停止させていた。タンポポを手に入れてからは再び稼働させている。

 ローテーブルにはタンポポの他にいくつか小物が置いてあり、マグカップ程大きさの装置の上でホログラムの女性がは赤ん坊を抱いて手を振っている。

 独身には大きすぎる部屋でアルボラリスはグラスを傾ける。香ばしさと華やかさが同居する香りが鼻を吹き抜けると、舌にやわらかな甘みが広がる、穀物の豊かさとナシのような酸味、バニラを思わせるようなコクが一体となって味覚を喜ばせた。

「やれやれ、やっぱ氷がいるな」

 リビングの冷蔵庫から氷を出す。この冷蔵庫もアルボラリス一人には大きすぎる。料理の好きな妻の為に買ったものだった。

 氷を手でつかむとソファまで戻りグラスに氷を入れる。濡れた手をズボンで拭うともう一口、減った量を戻すようにしてグラスにウイスキーを注ぎ足す、氷にふれるようにゆっくりと。

 もうこの家には飛び散ったウイスキーのしずくに文句を言う人も、おつまみを作ってくれる人も、手間のかかる丸氷を用意してくれる人も、仕事の愚痴を聞いてくれる人も抱きしめてくれる人もおやすみのキスをする人もいない。食器棚の奥には使用者のいなくなった哺乳瓶が眠っている。


 ちょうど哺乳瓶を卒業させようとしていた時期だった。

 時速40キロ、ブレーキ痕はなかった。

 AIによる完全自動制御の自動車による人身事故。事故後メーカーは徹底的な調査を行ったがついぞ原因は特定できなかった。バチカン製の高級AIにはアルゴリズムに一切の不備がなく、同型の車両は世界中で400万台走っていたが、人の運転する車両が追突してきたなどの回避困難なケースを除き、事故は他に一件も起きていなかった。

 AIの設計者の名前はアルボラリス・グラン。かつてAIの申し子と呼ばれた天才だった。

 

 彼は己の才能を疑った。誰よりも信じ、己が誇りであったものを裏切った。

 裏切られたから裏切り返した。アルボラリスの心情を言葉にすればそういった動機になるだろうか。

 己の書いたコードをすべて隈なく調べ上げ、パルスの道筋や仮に物理的欠損があった場合の作動パターンなどありとあらゆる可能性を調べあげた。

 彼は知っていた。自ら生み出した自動運転AIは、歩行者のどんな気まぐれな動きや突発的な行動すらもシミュレーションする、完璧な安全性を備えていたと。彼の設計したAIは、人間が犯しうるどんな間違いをも超克するように作られていたのだ。事故の瞬間、幼いナオを抱いた妻は息子をかばおうと背中を車体に向けたはずだ。現場に駆けつけたアルボラリスが見たのは、ひき逃げをした車両から脱落したわずかな部品とボディの破片。遺体袋に入れられた妻と子だった。最初にかけつけた救急車の隊員が言うには妻はナオを抱きしめたまま絶命していたと。 AIは、彼らを危険から守るために設計された唯一の存在だったのに。妻は死んでも我が子を守ろうとしていたのに。

 

 いつしかグラスの氷は解けていた。琥珀色をしていた液体は淡く、優しく輝いていた。

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