幕間 6
彼女を部屋に送り届けると侍女たちが慌てていたようだった。黙って出て行ったらしい。呆れて視線を向けると、いやぁうるさくってですね、とぼそぼそと言い訳していた。
「彼女たちを困らせないように、次に何かあれば呼ぶといい。また、同じことにならないように手配してくれるだろう」
彼女にも侍女たちにも釘を刺しておく。
揉み消そうものなら、また、逃げ出してどこへなりとも行ってしまう。そんな行動力はある。彼女たちも身に染みただろう。大人しいご令嬢ではない。野生児だ。あのなにもない荒野で何か月も耐えた女だ。普通なわけがない。
まあ、見た目はどこのご令嬢よりも見栄えするが、妻に迎えたいと思うヤツの気が知れない。
自分の顔に価値がある、というよりは、面倒事を連れてくる顔になってしまったと頭を抱えるようなやつである。痩せてもどうにもならないと思うと伝えれば、そうですよねぇと落ち込んでいた。あれは絶食してでも顔を変えてやるつもりだったに違いない。
そんなに嫌な顔だろうか。
視線を向けようとするとなにかが足元を擦った。
「わう」
いつの間にか足元に子犬がいた。開いた扉からでてきてしまったらしい。彼女とは出かけず、基本的には部屋で大人しくしているらしい。
最初よりはやや大きくなった気もしたが、元気いっぱいなはずだ。散歩ぐらいちゃんと連れて行くようにと苦言を呈したほうがいいかと扉に視線を向けたところで扉が閉じた。
ブランはそのままに。
「追い出されたな」
そぉ? と言いたげに首を傾げた。ついてくるかと聞けばわうと鳴く。
私以外に懐かない犬がいいのにと彼女はぼやいていたが、この子犬は誰にでも愛想良く振舞っている。番犬などできないなと愛嬌のある顔を見て思う。
僕はそのまま執務室へ戻ることにした。兵舎へ寄ってもいいかと思ったが、それも夕方のほうがいいだろう。デルタは所属を変えられたばかりでまだ肩身も狭いだろうし、目立つことは避けたほうがいいだろう。
ヘクターはそろそろ移動できそうという手紙が来たのは今朝だ。それならば到着はもっと遅い。
「戻りました」
「わう!」
ブランも一緒に入って鳴いた。しっぽをぶんぶんと振っているのでご機嫌だ。廊下を通る途中も聖女様の犬だ、かわいいと皆に褒められていたので気分を良くしたのかもしれない。
「その子が、噂の子犬か」
おいでと呼ばれると突撃するかの勢いで走っていった。走れるのかのあの犬。どんくさい、ぽてぽてと歩くところしか見たことがない。
「おやおや、すごいな。
まるで、風の矢より速く、赤き花を咲かせるもののように」
「過分な評価ですね。
腹出して寝るんですよ。その犬」
警戒心もあったものではない。
宰相閣下は笑ったようだった。そういう犬が欲しいと言っていたなと懐かしそうに言って。嬉しそうなブランを膝の上にのせて撫でる手つきは優しい。
誰のとは言えない思い出。それを味わうような沈黙だった。
そう話題に出すのも久しぶりのことだった。
「セリエ嬢は賢いが、教育は受けていたのかい?」
静かに資料整理をしていた僕にそう声をかけられた。主の名前に反応するようにブランが頭を動かしたが、すぐに撫でられぐてっとなっている。番犬に仕立て上げるのは難しいだろうなと思いつつ、その主たる聖女を思い出す。
「どうでしょう。聞いたことがありません。読み書きもできるようですし、父親にでも習ったのではないでしょうか」
「その父親に会ってみたいものだが、呼ぶことはできそうかな」
「連絡をつけることは出来そうですが……」
「頼んだよ」
消息を確認するくらいは簡単だと思っていた。
しかし、程なくもたらされたのは家族全員が国外に出ているということだった。このままでは喰い詰めると資金があるうちに彼女の母親の親戚を頼って移住するという話だった。彼女が墓守として旅立ってほどなく出立したという。
元々国を離れるしかないかもしれないとこぼしていたというから、急な話とは皆は思わなかったという。
彼女は嫁ぎ先が見つかったので町を出たとも。
まるで面倒が起こることを見越していたように。なにも始まらないうちから、姿を消した。
その報告をした後、僕は聖女付きにされた。聖女への専属連絡係というところだが、実態は犬の世話担当だった。
ブランが人の顔を見ると散歩と散歩用の紐を咥えてくるようになったからだ。
「すごぉく懐いてますね」
今日も散歩から戻ると彼女は恨みがましそうにそう言ってきた。羨ましいという雰囲気が滲んでいる。
「遊び相手をするのも飼い主の役目だ。
これは君が怠っていた結果だろう」
「暇がないんですよ。暇が!」
おやつの時間にするので、付き合えと部屋に入るよう促された。
侍女が監視するようにいるのである意味安心だ。変に捏造されることもない。テーブルには読みかけの本が積まれている。
古いものばかりだった。
「本を読む暇はあるようだが」
「これは、趣味の時間です。人生にうるおいがいります。やさぐれていては癒しの力がなくなります」
そう断言してクッキーを一口で放り込んでいた。その顔でされるとぎょっとするが、生まれを思えばそれでもお行儀が良い部類だろう。
確かに疲れてはいるようだった。
彼女の癒しの力は国内に広がり、呪いに関係のないところまで頼まれるようになっている。それも対応していた。また、国内のことも知りたいと色々と書物も読んでいるようだった。
身を飾ることに興味なく、麗しい花も愛でず、婚姻の話にも興味がない。金を与えようとしても寄付しようとするので議会も報奨を与えられなくて困っているようだった。
少しずつでも贅沢に慣らさせて、それがないと生きていけないようにすればどこにもいかないと安心できると思っているのだろう。
欲しいものがないのか探っておくようにとも言われていたが、現状に満足しているように見えた。つまり、追加で求めるようなものがない。
「暇が欲しいのか?」
「睡眠時間のほうが欲しいですね……。もう、お家帰っていいですか? 良くないですか?」
「悪いが、こっちが、お家だ」
「…………保守が大変なのでいりません。
そういえば、行ってはならない区画があるんですが、ご存知ですか?」
「元王族の居室は今も閉鎖されている。鍵がないらしい。鍵穴もなく、開け方もわからないのでそのままだ。
ほかは武器庫や宝物庫は警備で止められる。
下働きたちのところは彼らのほうがびびるから止めるだろうな」
「サクッと教えてくれるのはなぜ」
「教えないと勝手に行って勝手に揉め事を起こしそうだ」
「否定できない……」
「行くなよ」
はぁいとわかってるんだか、わかってないんだかという返事をした。
そのあとはヘクターとデルタの現状を確認された。デルタについては近日中に護衛として入る予定で、ヘクターも数日のうちには登城するだろうと伝えると良かったと微笑んだ。
知り合いが増えたので喜んでいるように見えたが、違和感があった。
なにが、というわけでもない。言葉にできないかすかなひっかかり。
そうしているうちに侍女から聖女様、予定がと退出を促された。
「宰相閣下によろしくお伝えください」
そっけなく伝えられた言葉なのに声がひどく優しかった。
聞いたことのないくらいに。




