CASE4: 怪しいバイトは夏期講習の後で(下)
ということで、俺と早乙女は寮内を見て回った。
廊下などは、相変わらず静まりきって取り立てておかしなところなどは見あたらなかった。けれど、食堂の窓の一つに良く見ると大量の手形が付いていることなんかに気付いて、俺は息を呑む。
こんなものを目にしてしまったら、確かに一刻も早く寮を出たくなってしまうだろう。……たとえ良く見ると、手形でハートマークや笑顔マークがスタンプされていたとしてもだ。一体誰得なLINEだよ、これ。
一通り寮内を見て回った後は、寮の裏庭にあるというお稲荷さんを見に行った。
植木の陰の薄暗い所にあるその小さな社は、確かに随分古いものらしく屋根が傷んでいたり、塗装が剥げていたりする。
なので、恐がった生徒達がお供えしたのであろう大量のコンビニ菓子の山が妙に、違和感を醸し出していた。つうか大半が封を切られて空っぽじゃん。誰が喰ったんだよ。
「んー、ちょっとばかり気になることもあるけど、たぶんここのお稲荷さんの仕業じゃないだろうね」
「そうなのか? でも、こっくりさんって確か狐の事だって聞いた覚えがあるんだけど」
漫画か何かで見た聞きかじり知識だが、そう言うと早乙女はちょっと驚いた顔をして俺を見た。
「謙介、良く知ってるね。確かにこっくりさんって『狐狗狸さん』とも言われて、日本だともともとは狐の霊を呼び出すものと言われていたんだ」
しかし早乙女が言うには、こっくりさんの元となったのは「テーブル・ターニング」と呼ばれる西洋の降霊術であり、それゆえに呼び出されるのは狐とは限らず、むしろ低級霊や浮遊霊、場合によっては悪霊である場合も多いのだという。
「運良く狐が現れたとしても、性質の悪い野狐や動物霊の可能性だってあるわけだから、素人が遊び目的でやるのはお勧めしないんだけどね」
「まぁそうだろうな」
「そもそも、こっくりさんをやった後は、呼び出したものを返すための儀式や使った道具の処理の仕方なんかも決まってるんだけど、誰もそれをきちんとやってはいないだろうし。だから恐らくは、呼び出された雑霊や動物霊が悪戯をしているんだと思うよ」
だったら、と早乙女は肩をすくめて笑った。
「この寮に執着している霊じゃないなら、一度追い払ってしまえば戻ってくることはないはずだ。今日は確認だけにしておいて、明日、まとめて処理をしよう」
「分かった」
早乙女の提案に俺は頷く。雇用主の言うことだから、まあ是非もない。
と、その時ふいに背筋に悪寒がはしり、俺は振り返る。寮の窓の一つから慌てたように人影が離れていくのが見えた。
(あれも、恐らく霊なんだろうな……)
この寮で暮らす生徒達のためにも、きちんと片をつけてやらないとな、と俺は改めて気を引き締めたのだった。
翌朝早く、俺たちは女子寮の門の前で現代戯画研究会の部員達を見送ることになった。
なんだか逆のように思えるが、実は昨晩、彼女たちに熱心に引き止められ、寮に一晩泊めさせて貰うことになったのだ。
理由は、人が急に減ってしまったので、自分達だけでは冷蔵庫の食材を消費しきれないということだった。
けれど、彼女たちの本音は、大量の霊がいるとされる寮に、自分達だけで残るということが不安だったのだろう。可愛らしいものである。
そういことなので、夕飯を食べさせてもらった後、俺と早乙女は共有リビングルームのソファで雑魚寝させてもらった。
深夜、廊下を歩くような微かな足音や何者かの視線が気になり、翌朝はしっかり閉めておいたはずの戸が僅かに開いていたりなどということがあったが、よく眠れた方だと思う。どこでもぐっすり眠れるのは、俺の特技のひとつだ。
しかし女子生徒たちはどうやら一睡もできていないようで、目の下に黒々と隈を作っている。
まぁ、俺のような太い神経の持ち主でも、この幽霊寮の気配が気になったりしたのだ。繊細な女子高生なんかは眠れなくても仕方ないだろう。
「なんだか、眠れてないみたいだけど、そんなんで出かけて大丈夫なのか?」
「はい、皆ギリギリまで製本していたもので。でも、しっかり鋭気は養わせてもらったので、大丈夫です!」
「そ、そうか……」
彼女たちのギラギラとした眼差しに気圧されつつ、俺はどうにかうなずく。
女子高生って寝不足でも随分元気なんだな。
「でも、幽霊がいると分かっている場所を、深夜にうろつくのはあんまり感心しないよ」
「す、すいません」
早乙女が苦笑しながらそう言うと、部員達は一様に顔を赤くしてうつむく。
俺が寝ている間に何かあったのかもしれないが、まぁ、あんまり突っ込んで聞かなくてもいいだろう。
彼女たちの誰かが、早乙女に一目惚れして告白なんてイベントがあったのだとしたら、悔しくて夜も眠れなくなるし。
「じゃあ、いってきまーす」
「どうぞごゆっくり!」
「夕方まで戻りませんので」
キャリーケースや大量の荷物を持って、口々にそう言って出かけていく彼女たちに、俺は手を振る。なんだかまた寒気を感じたが、今日の除霊が終わればそれも解消されるだろう。
それでは、ようやく仕事である。
残された俺と早乙女がまずしたことは、寮内の家電やソファ、家具などにビニールの袋を被せていくことだった。
個人の部屋のものはできないが、それでもどういうわけかマスターキーまで預かっていた早乙女がそれぞれの扉を大きく開いていく。
「それで、今回はどんな風に除霊を行うんだ?」
「うん。ある程度広い室内が対象だから、煙を使おうと思っているんだ」
準備をしながら俺が尋ねると、早乙女はそう返してきた。
「煙? そんなものに効果があるのか?」
「もちろんあるよ。例えば『スマッジング』と呼ばれる浄化方法があるんだけれど、これはネイティブアメリカンの人々が古来より神聖な儀式の前に用いた方法で、ホワイトセージの煙で燻すんだ」
「へぇ」
いきなり話が世界規模になって、俺は思わず感心の声を漏らす。
その煙は邪気を払い、あらゆるものを浄化することができるという。
「他にも、お寺とかに行くと境内で煙を浴びたりするだろ。常香炉と言ってあれも身体を清めるためのものだし、密教の願掛けでは護摩を焚くだろ」
出された具体例に、そう言えばそうだと俺は納得する。意識していなかっただけで、煙で浄化をするという行為は極ありふれたものであるらしい。
「だから寮内に神聖な煙を充満させることで、邪悪な霊の力を弱めたり追い出したりする、というのが今回の除霊方法だね」
そう言って、早乙女は袋からそのための道具を取り出した。が――、
「バルサンじゃねえかっ!」
俺は思わず全力で突っ込む。
神社仏閣の由緒正しい除霊道具ではなく、そこにあるのは日本人なら馴染みの、くん煙殺虫剤であった。
「あははは、やだな謙介。そんな訳ないじゃないか」
早乙女は朗らかに笑いながら否定する。
爽やかな笑顔で嘘を付くなと思うものの、霊を払うための道具がまさか本当にバルサンというのも考え辛い。
となると、それは何らかの事情で殺虫剤に偽装してあるものの、霊験あらたかな本物の除霊道具なのかもしれない。
「ちなみにこれを使うと、霊以外にも害虫も退治されるから寮生の女の子たちも大助かりだね」
「やっぱりバルサンじゃねえか、それ!」
害虫と一緒に駆除される霊に、俺はほのかな同情心を抱いたのであった。
「そう言えば、なんで戯画研部員の部屋には幽霊が出なかったんだろうな」
煙を蔓延させている間、寮内には入れないので俺たちは裏庭のお稲荷さんの掃除や修繕を行っていた。
本来ならば除霊の範囲内ではないのだけれど、仕事をさせてもらう以上土地神やこういった存在に礼儀を尽くすのは当然のことらしい。
がさがさと食い散らかされた菓子の空き袋をまとめながら、俺は疑問を口にする。
「こういったお狐様もそうなんだけどね。霊やその類は基本的に陰の気の存在なんだ。狐なんかは引き寄せられるというけど、霊は逆に陽の気が満ちる場所は苦手とされているね」
「陽の気?」
早乙女はうなずく。
「女性は陰の象徴で、男性は陽の象徴。だから女子寮なんかは陰の気が溜まりやすくて、今回みたいなことになっちゃったんだと思うよ」
「そりゃ分かるけど、それでなんで彼女達の部屋に陽の気が満ちてるんだ?」
確かに陽気と言えば陽気な子達だったが、男勝りという感じではなかったし、それなら運動部員なんかの部屋のほうが出難い気がする。
「あとは俗説では下ネタなんかも、幽霊を退けるには効果的って言うよね。あはは」
早乙女の話はなんか要領を得ない。よく分からんが、霊には霊の法則みたいなものがあるのだろう。
「とりあえず、燻し終わったどうするんだ?」
話を変えて早乙女に尋ねる。
「窓を全部開けて、換気だね。その後は、掃除機で雑霊の残滓やダニの死骸なんかを吸い込む作業に移るよ」
「……なんかもう完全に単なる害虫駆除だよな」
掃除機で霊が吸い込めるなんて、初めて聞いたし。
俺は深々とため息が漏れるのを止められなかった。
夕方になり、戯画研のメンバーが帰ってきた。
朝と同じようにキャリーケースを引いていたけれど、今はそれに加えて一人いくつもの紙袋を抱えて大荷物である。
その顔は誰もが満足げに輝いており、随分楽しんできたようであった。
早乙女は荷物を下ろしてきた彼女たちを集めて言う。
「除霊は完了しました。学校側にも通達しますが、煙を使ったので各自部屋に戻ったら掃除をお願いします。これから寮に戻ってくる学生達にも伝えて置いてください」
「分かりました」
戯画研部員たちは、そろってうなずいた。どことなくほっとしたような表情に、霊をものともしていないように見えて、やはり彼女達もまた寮の現状を憂いていたのだろうと思う。
「あれ、そう言えば尾崎さんがいないな」
昨日、野々村部長と一緒に説明をしてくれた女子生徒の姿が、見えないことに俺は気付く。他の部員同様に顔色が悪かったし、無理がたたって体調でも崩したのかと心配したのだが、彼女たちは一様に不思議そうな顔をして見せた。
「尾崎さんって、誰ですか?」
「うちの部員はここにいるので全部です」
「へ? いや、でも……」
俺が唖然としていると、早乙女が笑いながら俺の肩を叩いた。
「さっき掃除して居心地が良くなったから、社に戻ったんじゃない?」
「へっ!?」
俺は奴の言葉に耳を疑う。いや、だって彼女はどう見ても、普通の生徒の一人にしか見えなかったぞ。
「狐も百年経つと人間に化けるらしいぜ」
驚きに言葉もない俺を無視して、早乙女は朗らかに笑いながら彼女たちに声を掛ける。
「という事で、裏庭のお稲荷さんは大事にしてあげてね。君たちがこの寮内で無事だったのも、多分守ってくれていたからだと思うよ。彼女はどうやら、君たちの趣味に大いに関心を持っているみたいだしね」
なにやら顔を赤くして動揺しているらしい少女たちに別れの挨拶をして、俺と早乙女は女子寮を後にする。仕事が終われば、俺たちのような余所者が長々と女子寮にいるのはよろしくない。
本来ならわずかな接点ももたない俺らと彼女たちだ。学校が始まれば、遊びに勉強にと忙しい彼女たちはきっと俺たちのことなんてすっかり忘れてしまうだろう。しかしーー、
「どうもありがとうございました」
「どうぞ末永くお幸せに!」
「ご馳走様でしたっ」
門を出ると、窓から彼女達が顔を出し、手を振っていた。
相変わらずどこか頓珍漢な言葉に、俺は苦笑して手を振り返す。その際ふいに背筋に悪寒が走った気がしたが、霊は綺麗に退治されたわけだからきっとそれは錯覚に違いない。
元気良く手を振る彼女たちの中に、明るい茶髪と吊り目の少女が、愉快そうな笑みを浮かべ混じっていたように見えたが、そちらはたぶん気のせいではないのだろう。