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婚約破棄の慰謝料は、あなたのお祖母様でお願いします【連載版】  作者: 他力本願寺


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第09話 小さな家には、自由があります

「こちらが、今私が使っている一階の寝室よ。居間や台所とも段差がなく続いているから、夜中に目が覚めても危なくないの」


 金曜日の午前、約束どおり町家を再訪されたヴィクトル侯爵様とイザベル奥様を、私とエレノア様は家の中へと案内した。


 最初に見ていただいたのは、居間の奥にあるエレノア様のお部屋だ。朝日が差し込む窓辺には小さな机と椅子が置かれ、鏡台の上には生家から持ち出された木の裁縫箱とご家族の写真立てが並んでいる。


「なるほど……。外縁の町家と聞いて、もっと薄暗く冷え込む部屋を想像しておりましたが、日当たりも風通しも実に良いのですね」


 ヴィクトル様が感心したように室内を見渡した。続いて私はお二人を二階へ案内し、先々週、レオン様が修繕を終えた二基目の暖炉をお見せした。


 試しに薪に火を入れると、乾いた音を立てて立ち昇った炎は、部屋へ少しの煙も漏らすことなく煙突へと吸い込まれていく。


「屋根も煙突も、職人に直していただきました。寒い日は、一階と二階の両方で火を焚けます」


 私の説明に、イザベル奥様も暖炉の前に手をかざし、「まあ、本当ですわ。少しも煙たくありませんのね」と安堵したように胸を撫で下ろした。


 最後に一階へ降りて南向きの小庭へ出ると、先週の日曜日に花市でエレノア様が選び、ご自分の手で植えられたすみれや白い雛菊、黄色い小花が春風に揺れていた。


 ヴィクトル様は花壇の端で足を止め、懐から昨日の書き付けを取り出した。『改修』の欄を見て、窓越しの寝室へ目を戻す。


「この部屋を、工事の間は空けてもらうつもりでした」


 エレノア様は、ご自分で植えた雛菊の葉についた土を払った。


「せっかく落ち着いたところなのに?」


「……そうですね。母上がどこで眠るかも、考えていませんでした」


 ヴィクトル様は書き付けを裏返した。白い面に指を置いたまま、母が花を確かめるのを待っていた。


 私たちは居間の卓へと戻り、温かいお茶を前にして具体的な話し合いに入った。


「今後、修繕が必要になれば私が手配いたします。常駐の使用人も、この家ではお願いしません」


 私は窓の外で揺れる花を見た。


「ただ、私が寝込む日もあるでしょう。そのときは薪の配達を頼めますし、近所には食堂もあります」


「母上が家の費用を、貴女お一人に任せているわけではないのですね」


「ええ。食費と暖房費を折半しています」


 交わした覚書は引き出しにしまったままだ。それ以上、ヴィクトル様は額を尋ねなかった。


 エレノア様もカップを置いた。


「別邸へも移りませんよ、ヴィクトル。私はここが気に入っています」


「母上……。別邸であればお庭も広く、母上お一人の裁量でお使いいただけますが、やはりいけませんか?」


「広ければいいわけではないのよ。ここなら、朝起きてすぐ、庭に出られるわ」


 エレノア様は息子を突き放すのではなく、柔らかな眼差しでその目を見つめた。


「困ったときには、私から頼みます。この前は花壇の土が固くて、レオンに掘ってもらったわ。頼むことまで、やめたいわけではないのよ」


 ヴィクトル様は書き付けを表へ返した。


「……わかりました。用意した案は、取り下げます」


 私にペンを借り、三つの欄へ一本ずつ線を引いた。最後の線だけ、途中で止まった。母のカップに残ったお茶を見てから、端まで引き直す。


「何も手配せずに帰るのは、落ち着きませんね」


「今日は、暖炉を見てくれたでしょう」


 エレノア様が言うと、息子はペンを置いた。紙を渡しかけたが、ご自分で畳んで懐へ戻した。


 ヴィクトル様は膝の上で手を握り、当主としての今後の方針を告げた。


「しばらく王都におります。屋敷の運営はギルバートに続けさせますが、私も報告を読むだけで済ませません」


 イザベル奥様はハンカチの端を折っては広げていた。エレノア様が庭の話をしても、笑顔が続かない。


 けれど、玄関先までお見送りに出たとき、イザベル奥様が先に口にしたのは別の気がかりだった。


「あの……クレアさん。お義母様のお住まいのことはよく分かりました。ただ、もう一つだけ、どうしても伺っておきたいことがあるのです」


 イザベル奥様は足を止め、言いにくそうに、けれど真剣な眼差しで私を見つめた。


「王都邸へ戻ってから、少し耳にしたのですが……。ギルバートとの婚約が解消されたあと、あなたがギルバートの従兄であるレオンと、恋人としてお付き合いを始めたというのは……本当なのですか?」


 ヴィクトル様もハッとしたように足を止め、私の顔を見た。元婚約者の従兄との新しい恋は、侯爵家にとっても見過ごせない話題であるはずだ。


「はい、イザベル奥様。先週の日曜日から、レオン様と恋人としてお付き合いをしております」


 私が隠さずに答えると、イザベル奥様は小さく息を呑んだ。


「そう……。そのお話、明日もう一度伺ってもよろしくて? もし差し支えなければ、レオン本人も一緒に」


「承知いたしました。レオン様にも今夜のうちに伝え、明日の土曜日、この町家でお待ちしております」


 お二人を見送ってから、レオン様に手紙を書いた。交際を隠すつもりはない。それでも「従兄」という言葉だけで、どこまで決めつけられるだろう。


 夕方、届いた返事は短かった。


『私からも話します。明日は、二人で』

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