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婚約破棄の慰謝料は、あなたのお祖母様でお願いします【連載版】  作者: 他力本願寺


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第31話 大奥様ではなく、エレノアとして

「まあ、皆さん、時間どおりにお揃いね! ようこそ、私の小さなお庭のお茶会へ」


 土曜日の昼過ぎ、町家の庭に六人が揃った。エレノア様は最後の客を迎えると、自分の椅子を指さした。


「今日はここに、私も座りますからね」


 一階の居間の窓辺には、あの日エレノア様が自分で選んだ黄色いカーテンが爽やかな南風に揺れている。芝の中央に据えられた木のテーブルの上には、今朝早くからエレノア様と私が台所に並んで焼いた、少し形が不揃いな蜂蜜とクルミの焼き菓子が一皿と、初摘みの紅茶、そして冷たい麦茶のガラス差しが並んでいた。


 薄紫の袖口から、藍と黄色の輪が覗いた。枝に引っかけたところは、昨夜、私が帳簿をつける隣で、エレノア様が自分で繕った。元より少し太い編み目が、一箇所だけある。


 小庭の入り口に集まったのは、建築監督のレオン、お隣の離れに住むマルタさん、そして王都邸から馬車で訪れたヴィクトル侯爵様とイザベル奥様の四人だった。それぞれの手に、菓子の包みや小さな籠があった。


「さあ、お席に着く前に、居間から椅子を運ばなければね。クレアさん、一階の椅子はどれを出しましょうか」


「お祖母様、クレア様、椅子は私と伯父上で運びますよ」


「ああ、レオンの言うとおりだ。居間の四脚と、階段の下に下ろしてある二脚だな。私に任せなさい」


 レオンとヴィクトル様が率先して居間へと入り、木製の椅子を一脚ずつ自分たちの手で抱えて小庭の芝の上へと運んでくる。先週、息子として自分の手で運んだあの白い小花の低木の鉢の隣に、ヴィクトル様が母のための椅子を置き、レオンが先日有償の仕事としてご自分で金具を固定した風よけの布幕の角度を確かめる。


「では、私とマルタさんとクレアさんで、お皿と名札を並べましょうね」


 イザベル奥様が茶器を出し、マルタさんが緑の糸でかがった名札を並べた。私も皿を運び、エレノア様は自分の名札を、まず椅子の前へ置いた。


「どうぞ、皆さんお掛けになって。今日は私が淹れた紅茶と、クレアさんと一緒に焼いたクルミのお菓子よ。形が少し歪んでしまったところもあるけれど、味は保証するわ」


 全員が椅子に腰を下ろし、エレノア様が自ら急須を傾けて紅茶を注ぎ始めると、隣に座っていたマルタさんが長年の習慣でハッと腰を浮かせ、「あ、大奥様、お注ぎするのは私が――」と手を伸ばしかけた。


 けれど、テーブルの上に置かれた『マルタ様』という自分の手縫いの名札と、エレノア様の優しい目元を見た瞬間、マルタさんは自分で気づいてふっと肩の力を抜いた。


「……いけませんね、今日は私もお客様でございました。ありがとうございます、エレノア様」


 マルタさんは椅子に座り直し、両手で茶碗を受け取った。


 向かいの席では、イザベル奥様が少し不揃いな焼き菓子を一口かじり、目を輝かせて頬に手を当てた。


「お義母様、この端が香ばしいですわ。クルミを、たくさん入れてくださったのですね」


「ふふ、そうでしょう? 火加減を見るのに夢中で、少しだけ端っこが濃く焼けてしまったのだけれど、自分たちで食べるにはこれが一番美味しいのよ」


「お義母様がこうして黄色いカーテンのあるお家で、ご自分のやりたいことを選んで毎日を楽しんでいらっしゃるのが拝見できて、私、本当に嬉しゅうございます」


 隣のヴィクトル様がカップを置き、声を改めた。


「母上、本日も王都邸の運営は順調でして、新しく雇い入れた家令補佐の働きぶりも――」


 いつもの癖で屋敷の業務報告を始めかけたヴィクトル様は、そこでハッと自分の言葉に気づき、苦笑して首を振った。


「……いや。せっかく母上にお招きいただいたお茶の席で、堅苦しい仕事の話は無粋でしたな。今の話は忘れてください」


 ヴィクトル様はカップをソーサーに戻すと、視線をテーブルのすぐ脇にある白い小花の鉢植えと、その向こうに広がる色とりどりの花壇へと移した。


「母上。屋敷の話ではなく、今日はぜひ母上のお庭のお話を聞かせてください。花壇のすみれの隣に咲いている、あの淡い桃色と白の可愛らしい花は、なんという名前なのですか? 母上がご自分で選ばれたのでしょう?」


 エレノア様はぱっと顔をほころばせ、花壇の方を振り返った。


「雛菊よ。桃色のほうは姫撫子。花市で、小さな苗を買ったの。固い土はレオンに崩してもらったわ。毎朝見ているのに、蕾が増える日は、いつも驚くのよ」


「雛撫子……」


「姫撫子ですわ、あなた。二つ混ざっています」


 イザベル奥様に直され、ヴィクトル様は口を押さえた。エレノア様は笑い、白い花と桃色の花を、今度は一つずつ指さした。


 母と息子の間で花の名が繰り返されるうちに、マルタさんが菓子皿を手元へ引いた。大きさを見比べ、クルミの多い一つを取る。


「こちらを、いただいても?」


「もちろん。私は焼いたとき、一つ先に食べましたからね」


 エレノア様がそう言うと、マルタさんも遠慮なく口へ運んだ。緑の糸でかがった名札が、カップの縁に触れて少し曲がった。彼女は指先で直し、残りの菓子をもう一口かじった。


 私は空になった皿を卓の真ん中へ寄せた。エレノア様は立ちかけたが、棚にある予備の菓子を私が持ってくる間、椅子で話の続きをしていた。庭から聞こえる笑い声を、台所でも聞けた。


 二杯目の冷たい麦茶が配られ、庭に心地よい風が吹き抜けた頃、レオンが私の隣でそっと姿勢を正した。


「伯父上、伯母上、そしてマルタさん。今日はお祖母様の大切な会のお席をお借りして、私とクレア様から一つだけ、ご報告がございます」


 レオンが私の方を見て微笑み、私たちは並んで座ったまま、集まった四人へと向き直った。


「今週の火曜日、私とクレア様は婚約いたしました」


「父には手紙を送りました。来週には返事が来ると思います。結婚の日は、これから二人で決めます」


 私が自分の言葉で添えると、小庭のテーブルから一斉に温かい拍手が湧き上がった。


「おお……! レオン、フェルナー嬢、本当か! おめでとう、心から祝福するぞ!」


「まあ、お二人ともおめでとうございます! なんてお似合いのご婚約でしょう!」


「クレア様、レオン様、本当におめでとうございます……!」


 ヴィクトル様とイザベル奥様、そしてマルタさんが、それぞれの言葉で私たちの新しい門出を祝ってくださった。


「さあ、お祝いのお言葉はここまでにして、皆でお菓子のおかわりを食べましょう。イザベル、そのお皿をマルタさんの方へ回してくれる?」


「はい、喜んで、エレノアお義母様!」


 菓子の皿が一周して、私のところへ戻った。端が少し濃く焼けた一つを取ると、エレノア様が目を細めた。


「最初のパンより、ずっといいでしょう?」


「ええ。でも、あのパンも忘れません」


 皆が聞きたがったので、焦げた四つの丸パンの話をした。エレノア様は、形だけは最初から上手だったと付け足した。


 西の空が傾く頃、ヴィクトル様とイザベル奥様が帰途についた。マルタさんも茶器をひとまとめにして、自分の鍵を取った。


「お茶托は、明日の朝に取りに来ますね。今夜はお互い、ゆっくりしましょう」


 レオンと一緒に椅子を居間へ戻したあと、夕暮れの小庭に立ったエレノア様は、初夏の風に揺れる花壇を見下ろして楽しそうに呟いた。


「本当に楽しいお茶会だったわね、クレアさん、レオン。……ねえ、このすみれの隣が空いたら、来年はここに何のお花を植えましょうかしら」


 エレノア様は来年の花のことを言い、ふと口を閉じた。


「明日の朝、便箋を一枚いただける? 私、書きたい手紙があるの」


 左手首の、繕った編み目を指で撫でていた。

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