第32話 来年は、何を植えましょう
「クレアさん、洗っておいた昨日のガラス差しは、私が乾いた布で拭いて棚にしまっておくわね」
「ありがとうございます、エレノア様。では私は、テーブルクロスを畳んでまいります」
日曜日の朝、私は茶会のテーブルクロスを畳んだ。紅茶をこぼした小さな染みは、もう洗ってある。
小庭の方からは、朝一番に手伝いに来てくださったレオンが、先日取り付けた風よけの布幕を取り外して綺麗に巻き取っている音が聞こえてくる。さらにお隣の離れからは、自分の部屋の掃除を終えたマルタさんが顔を出し、「昨日お貸ししたお茶托を受け取りがてら、お盆を拭くのだけお手伝いしますね」と笑って手を貸してくれた。
茶器をしまい終えると、棚に一つだけ空きができた。エレノア様が、ここに新しい菓子型を置きたいと笑った。昨日はあんなに疲れたと言っていたのに、もう次に焼くものを考えている。
その後、私たちは朝の食卓に婚約者としてレオンを招き、マルタさんも交えて焼きたてのパンと香り高い珈琲を囲んだ。
マルタさんは食後、自分の鍵を取った。午後から寸法直しを二枚進めるという。レオンも、帰るときに現場へ寄れるよう、玄関へ図面筒を置いていた。
居間の卓に残った私たち三人は、それぞれの手元に手帳やメモを広げ、明日からの新しい一週間の予定を確認し合った。
「私は明日の月曜日、午前中に薬種問屋さんの月次帳簿を納品して、午後からは新しくご依頼いただいた商家の契約書の代筆に取りかかります」
「私は明日の月曜日は王都の現場を二箇所回り、明後日の火曜日は、父と契約した隣町の工房へ朝から入って新しい梁の加工図面を引く予定です。火曜日の夜には、王都へ戻ります」
私とレオンがそれぞれの有償の仕事と現場の日程を確かめ合う隣で、エレノア様は小庭の簡単な見取り図を描いた紙を広げ、楽しそうに色鉛筆を動かしていた。
「私はね、今週はお庭のすみれの終わった花摘みをして、そのあとに植える夏から秋のお花の場所を考えるわ。来年の春には、今年よりもっとたくさんの球根が咲くように、今から日当たりの順番をメモしておかなければね」
それぞれの予定が心地よく並んだところで、エレノア様はふと色鉛筆を置き、窓辺の机の上に置かれた小さな木の裁縫箱へと視線を向けた。
嫁入りのときに実家から持参し、この町家へ越してくるときにご自分の手で選び取った、あの古い裁縫箱だ。左手首に巻かれた藍糸と黄糸の輪をそっと撫でたあと、エレノア様は立ち上がって裁縫箱の蓋を開け、その奥に大切に保管してあった一通の白い封書を取り出した。
茶会の前の週に、王都邸のギルバート様から届いた謝罪の手紙だった。
エレノア様は椅子に座り直し、朝の光の中でその便箋をもう一度、隅から隅まで静かに読み返した。
「……あの子、私がしていた二つの仕事の名前を、本当に自分の言葉で書いてきたのね」
私は昨夜用意しておいた便箋を一枚、引き出しから出して差し出した。
「ありがとう、クレアさん」
エレノア様は手紙を脇へ置き、便箋を自分の前に広げた。私は書きかけの納品書へ目を戻した。
しばらく、ペンが紙を擦る音だけが続いた。私が納品書の宛名を書き終える頃、エレノア様も短い返書を書き上げていた。
ペンを置いたエレノア様は、吸い取り紙を当てながら、ご自分が記したその意思を自分の声で私たちに聞かせてくださった。
「謝ってくれたことは、受け取ったと書いたわ。ここで暮らすことは変えません、とも。……また顔を見たいと思えたら、私から知らせます」
エレノア様は便箋を折り、封をした。宛名は王都邸のギルバート様だ。明朝の発送に備えて玄関の棚へ置くと、一度だけ角を揃えた。
「さあ、これで手紙はおしまい。お日様が高くならないうちに、お庭へ出ましょう!」
居間へ戻ってきたエレノア様が麦わら帽子をかぶると、私とレオンも立ち上がって一緒に南向きの小庭へと出た。
黄色いカーテンが初夏の風にふわりと揺れ、花壇の花々が甘い香りを放っている。エレノア様は花壇の前にしゃがみ込み、ご自分の手で枯れた葉を丁寧に摘み取ったあと、花壇の端のまだ土が固い区画を振り返って、明るい声で私たちに言った。
「クレアさん、レオン。枯れ葉を摘むのと種を蒔く溝を作るのは私一人でやるから、あなたたちはその端っこの固い土をスコップで少し起こすのと、井戸から水やり桶を一つ運ぶのだけ、手伝ってくれる?」
「はい、お祖母様。その二箇所だけですね、お任せください」
「喜んでお手伝いいたします、エレノア様」
レオンがスコップを手に取り、私が水やり桶へと向かう。
「ありがとう、二人とも! ここを耕しておけば、秋には綺麗な球根を埋められるわ。来年の春の花市では、また私のお財布を持って、今度はどんな色のチューリップやパンジーを植えようかしら。ねえ、クレアさん、来年はここに何を植えましょう?」
「そうですね、エレノア様。黄色いカーテンに似合う、白いマーガレットや青い勿忘草を並べるのも素敵かもしれませんね」
「まあ、それいいわね! 来年の春が今から楽しみだわ」
土の匂いと花の香りに包まれて、七十三歳のエレノア様が少女のように弾んだ声で笑う。
水やり桶を花壇の脇に置いた私の隣に、スコップの土を払ったレオンが静かに歩み寄ってきた。
私が顔を上げると、レオンは初夏の光の中で優しく目を細め、私に向かって右手を差し出した。
私はためらわずに自分の手を伸ばし、彼の温かく大きな手をしっかりと握り返した。
「レオン、手が土だらけですよ」
「クレアもです」
二人で手を見て笑った。エレノア様が顔を上げ、私たちの手から花壇へ目を移した。
「ねえ、クレアさん。来年の花は、黄色も残しておきたいわ」
「では、黄色は窓の前に。白と青は、その隣にしましょうか」
「ええ。……まだ場所が足りるかしら」
エレノア様は植える場所を数え始めた。私はレオンの手を握ったまま、空いている土を一緒に探した。
黄色いカーテンが、開いた窓から庭へふくらんだ。




