第24話 手伝ってくれる? と頼める自由
「あら、エレノア様。軒下に置いてあったあの丸い素焼きの植木鉢、花壇のすぐ横へ移されたのですね」
出張から帰った翌日、日曜日の朝だった。
居間の黄色いカーテンを開けて南向きの小庭へ出た私は、朝日を浴びて咲く花壇のすみれの隣に、一抱えほどある植木鉢が綺麗に据えられているのに気づいて足を止めた。私が出発した金曜日の朝には、確かに軒下の石畳の上に置かれていたはずの鉢だ。
台所から温かい麦茶の盆を持って出てきたエレノア様が、小庭のベンチに腰を下ろしながら嬉しそうに目を細めた。
「ええ、そうなの。昨日のお昼前に見たら、あの子だけ軒下の影に入ってしまっていたから、日当たりのいい場所へ動かしてあげたくてね」
麦茶を受け取って、私は隣に腰を下ろした。鉢の横には、昨日使ったらしい移植ごてが洗って伏せてあった。
「日差しがたっぷり当たって、鉢の花も気持ちよさそうですね。エレノア様、私が隣町へ行っておりました金曜日と土曜日は、どんなふうに一日を過ごしておられたのですか?」
私が尋ねると、エレノア様は待っていましたとばかりに明るい声で昨日の出来事を話してくださった。
「金曜日はね、あなたが乗合馬車で発ったあと、近所の市場へ歩いて行って新鮮な春キャベツと鶏肉を買ってきて、一人でゆっくり野菜スープを煮込んだの。夜は好きな本を読んで、ちゃんと雨戸の鍵も閉めてぐっすり眠れたわ。……それでね、昨日の土曜日の午前中に、あの植木鉢を動かそうとして両手をかけたのよ」
「お一人で持ち上げようとなさったのですか?」
「ええ、最初はね。でも、前の晩に水をやったばかりで土がたっぷり湿っていたでしょう? 少し腰を落として持ち上げかけた瞬間に、『あ、これは七十三歳の私の腕では重すぎるわ』とすぐに気づいたの」
エレノア様は左手首の藍糸と黄糸の輪をそっと撫で、誇らしげに微笑んだ。
「そこでマルタさんに声をかけたの。一緒に持ってもらえないかって。お仕事の途中だったから、空く時間を聞いたわ」
ちょうどそのとき、表門の方から「おはようございます、エレノア様、クレア様!」と明るい声がして、お隣の離れに住むマルタさんが小さな籠を手に顔を出した。
「まあ、クレア様、昨夜は無事にお帰りになっていたのですね。今朝焼いたばかりの田舎パンのお裾分けをお持ちしましたよ」
「ありがとうございます、マルタさん。今ちょうど、エレノア様から昨日の植木鉢のお話を伺っていたところなのです」
私がお礼を言って頭を下げると、マルタさんも小庭の石畳に立ち、昨日お二人でどう動かれたのかを自分の言葉で教えてくれた。
「お昼前でしたね。裾上げの途中でしたから、三時に伺うとお返事しました」
マルタさんは自分のエプロンのポケットに手を添え、とても心地よさそうに目元を和らげた。
「針を置けたところで来て、二人で三歩だけ運びました。もう少し重かったら、やめておいたと思います」
エレノア様も「ええ、二人で持ったらあっという間だったわね」と頷き、それから私の目を見てしっかりと付け加えた。
「夏前に土を全部替えるときは、植木屋さんに頼むことにしたの。二人でも、全部は無理ね」
「昨日のお茶は、このベンチで?」
私が尋ねると、二人は笑った。鉢を動かしたあと、冷めたお茶を飲みながら、次に植える花を相談したそうだ。
昼過ぎに出張の荷物を片付け、少しだけ昼寝をして体を休めた私は、夕方の鐘が鳴る頃、薄手の春の外套を羽織って町家を出た。
二週近く待った散歩の日だ。私は、新しい髪飾りをつけた。
夕日が黄金色に川面を照らす石橋のたもとへ着くと、仕事道具を持たない休日の装いのレオンが、欄干のそばに立ってこちらを見つめていた。
私の姿を見つけるなり、レオンが少し速足で歩み寄ってくる。
「クレア! お帰りなさい、無事にお顔を見られて本当によかった」
「ただいま戻りました、レオン。お待たせいたしました」
向かい合った瞬間、どちらからともなく自然な笑みがこぼれた。
並んで歩き始めると、レオンが私の髪へ目をやった。
「それ、前にはありませんでしたね」
「先週つけるつもりでした」
「……今日見られて、よかった」
私は持ってきた返事を渡した。彼はその場で開け、顔を上げるまで少し時間がかかった。
「金曜日の夜、隣町の白樺亭の帳場であなたからのお手紙を受け取ったときは、本当に驚きました。私が到着するより先に手紙が待っていてくれたなんて……とても嬉しくて、お部屋で何度も読み返してしまいましたわ」
私が少し照れながらお礼を伝えると、レオンも耳の後ろをわずかに赤くして微笑んだ。
「初めての泊まりの出張で、きっと知らない土地で気を張っておられるだろうと思いまして。少しでも私の声を近くに感じていただきたかったのです。……事業所の照合のお仕事は、いかがでしたか?」
「はい。初日のうちに記帳漏れと二重計上の原因を特定できまして、二日目の昨日は、契約書どおり支所長さんに有償の補助担当者を一人付けていただいて、期日どおりにすべて合わせて参りました」
私は説明しながら、自分ばかり話していると気づいた。彼は途中で一度も、私の言葉を急かさなかった。
「帰りの馬車に間に合うかまで、考えていたのですね。……もう少し、続きを聞きたいです」
石橋を渡り切ったところで、彼が首を傾げた。
「引き返すには、少し早いでしょうか」
「ええ。今日は、もう一本先の橋まで」
「私も先週の日曜日、緊急の足場点検であなたとの約束を延期してしまった分、今週は図書館の屋根工事を何としても順調に進めようと必死でした。……正直に言えば、足場の上で何度か、早くこの日曜日が来ないものかと思っていましたよ」
「ふふ、私もです。昨日の帰り道、馬車の中でずっと今日の散歩のことばかり考えていました」
柳の葉が夕日にきらきらと揺れる中、私たちは出張の心地よい疲れを分かち合いながら、ゆっくりと川沿いの道を往復した。
やがて空が淡い群青色に染まり始め、大通りの馬車乗り場まで戻ってきたとき、レオンが私の手を取ったまま、少しだけ改まった声で口を開いた。
「クレア。今日はゆっくりお散歩ができて、本当に幸せでした。……それで、今週の水曜日の夕方のことなのですが、現場の帰りに少しだけ町家へ立ち寄ってもよろしいでしょうか」
「ええ、もちろんです。水曜日には私の次の代筆のお仕事も一段落しておりますから、お茶を淹れてお待ちしておりますね。何かございましたか?」
「はい。私たちのこれからの仕事と、住まいの将来のことについて……少し、クレアに相談したいお知らせが届いたのです」
「父から、工房のことで手紙が来ました。王都の事務所を移すことも、考えられる話です」
私は、彼の顔を見た。
「移すとしたら、どちらへ?」
「隣町です」
今日歩いた道が、急に短く思えた。




