第23話 一泊二日、私が稼いだ仕事
「では、エレノア様。明日の土曜日の夜には戻って参ります。お隣にはマルタさんもいらっしゃいますから、何かあれば無理をなさらないでくださいね」
「ええ、分かっているわ。クレアさんこそ、お仕事の腕を存分に振るっていらっしゃい!」
金曜日の朝、黄色いカーテンの窓辺で手を振るエレノア様に見送られ、私は乗合馬車に乗った。
馬車に揺られることおよそ九十分。窓の外の景色が賑やかな王都の石畳から、澄んだ水路が走る隣町の街並みへと移り変わり、昼前に目的の染物工房・隣町事業所へと到着した。
同じ隣町の一角にある市立図書館では、今日もちょうどレオンが大屋根の補修現場を監督しておられるはずだ。少し離れた場所で彼も自分の仕事に向き合っているのだと思うと、初めての出張先でも不思議と背筋がしゃんと伸びた。
事業所の帳場へ入ると、待ち構えていた支所長の男性が、困り果てた顔で分厚い台帳と入出庫伝票の束を私の前に並べた。
「遠くまでお越しいただきありがとうございます、フェルナー様。実は先月末の棚卸しで、藍染めの反物の倉庫在庫数と、帳簿上の残高がどうしても三十反ほど食い違ってしまいましてね。本店の主人からは、明日の土曜日の夕方までに原因を突き止めて数字を合わせろと言われているのですが、倉庫の反物を一から全部数え直すとなると、とても二日では終わりません」
「承知いたしました。納期である明日の夕方までに確実に仕上げるため、まずは倉庫の現物を動かす前に、調査する範囲と原因を帳簿上で限定いたしましょう」
私は早速上着を脱いで袖口を留め、借りた実務机の前で先月分の台帳を開いた。
荷出しと返品を分け、台帳へ記された数量を、受領証の数量と突き合わせた。三十反の差だからと、三十反の取引だけを見るわけにはいかない。昼食のあとには、日ごとの控えを机いっぱいに並べていた。
すると夕方の鐘が鳴る頃、二つの明確な食い違いが浮かび上がった。
「帳簿が実物より三十反多い原因は、この二件です。二台に分けた出荷のうち、十五反を減らし忘れています。それと、月末の返品十五反は、受け入れを二度記帳しています。一度でよい入庫が、三十反になっていました」
「おお……! 合わせて三十反、ぴったり計算が合いますな!」
支所長が感嘆の声を上げる。しかし私はそこで手を止めず、実務上の課題を率直に告げた。
「ただ、帳簿上の数字の筋は通りましたが、二重計上された返品分の十五反が、実際の倉庫のどの棚にどの整理番号で収まっているかを確認する追加の検品だけは、どうしても現物の棚札と突き合わせる必要がございます」
私は手元の時計と、残された明日の作業時間を見比べた。
「私一人で台帳を読み上げながら倉庫の棚を上り下りして検品しますと、明日の夕方までの納期に間に合わない恐れがあります。今回の契約書には『追加の現物検品が必要な場合は、依頼主側の費用負担にて補助人員を要請できる』との条項がございますので、明日の午前中だけ、有償の補助担当者を一名、私に付けていただけますでしょうか」
「ええ、もちろんですとも! 倉庫の配置に詳しいうちの若い事務員に、明日の午前中は特別手当を出してフェルナー様の補助に専念させます」
支所長は二つ返事で承諾してくれた。初日のうちに道筋がすべて整い、私は安堵の息をついて夕暮れの事業所を後にした。
事業所から歩いて五分ほどの場所にある指定旅宿『白樺亭』は、白い漆喰壁に囲まれた静かで清潔な宿だった。
帳場で名前を告げて宿泊の手続きを済ませると、宿の女将さんが「ああ、フェルナー様でございますね。実は今日の昼過ぎに、あなた様宛てにお手紙が届いておりますよ」と、白い封筒を一通差し出した。
「え……? 私宛てに、ですか?」
受け取って裏返すと、そこには見覚えのある、建築図面を引くときのような真っ直ぐで力強い『レオン・アシュバリー』の署名があった。
二階の客室へ案内され、扉を閉めてランプに火を灯した私は、高鳴る胸を押さえながらそっと封を切った。
『クレアへ。宿の住所を教えてもらったので、会えない夜に読んでもらいたくて書きました。仕事を終えて、この手紙を開いている頃でしょうか』
便箋に並んだ温かい文字を追ううちに、今日一日張り詰めていた肩の緊張が、ふわりと溶けていくのが分かった。
『金曜日は私も隣町です。あなたの来る街道を、屋根から探してしまいそうです。日曜日に会ったら、向こうで何があったか聞かせてください。あなたが仕事の話をする顔を見るのが好きです』
手紙の最後の一行を読んだ瞬間、誰もいない客室の真ん中で、私の頬から耳の先までがじわじわと熱く染まった。
仕事の話をする私の顔が好き。そこをもう一度読み、机へ頬を伏せた。
返事を書こうとしても、数字を並べるときのようにはいかない。結局「日曜日に話したいことが増えました」とだけ書き、帰ってから渡すため、鞄の内側へしまった。
私は便箋を丁寧に折りたたんで枕元の小箱にしまい、窓の外に広がる隣町の星空を見上げながら、温かい幸福感に包まれて眠りについた。
翌土曜日の朝、事業所の倉庫へ入ると、支所長が約束どおり有償の補助担当者として、実務に慣れた二十代前半の女性事務員を一名配置してくれていた。
「本日はよろしくお願いいたします。では、私がこちらの入出庫台帳の整理番号を読み上げますので、棚の現物札と番号が一致しているかを確認して、控えに印をつけていってください」
「はい、お任せください!」
私が番号を読み、事務員が棚札を確かめた。二人で同じ棚を見ていても、声に出すと見落としが減った。昼過ぎには返品十五反の所在を確認でき、二つの記帳の誤りも裏づけられた。
午後、私は不一致箇所の控えと訂正案を提出した。支所長に原票と確かめてもらい、承認を受けて台帳を直す。契約で頼まれていた照合は、これで終わった。
「これで本店へ報告できます。二日で全部を数え直すしかないと、焦っていました。ありがとうございました」
支所長は深く感謝し、契約書どおりの特別報酬が入った革袋を両手で差し出してくれた。
署名した完了報告書を渡し、銀貨の袋を鞄に収めた。留め具をかけると、机に並べていた伝票の跡が、木の表面に白く残っていた。
夕方の乗合馬車に揺られて隣町をあとにし、私が王都外縁の町家へと帰り着いたのは、すっかり夜の帳が下りた頃だった。
玄関の鍵を開けて中へ入ると、居間から出てきたエレノア様が「お帰りなさい、クレアさん! いいお顔をして帰ってきたわね」と笑顔で迎えてくださった。
鍋からスープの匂いがした。机には本が開かれ、庭の泥が少しついた靴が、入口の端に揃えてあった。
「ただいま戻りました、エレノア様。お仕事は無事に期日どおり完了して参りました。お留守中のお話は、また明日の朝、ゆっくり聞かせてくださいね」
「ええ、そうしましょう。今夜は温かいスープがあるから、それを飲んだらゆっくりお休みなさい」
スープを飲んでから、私は鞄を二階へ運んだ。返事の便箋が内側にあるか、もう一度確かめる。明日は、それを手渡せる。
朝、カーテンを開けると、庭の鉢が、出発した日と違う場所にあった。




