第21話 二人の仕事、別々の時間
「ただいま、クレア。今週は今日から、図書館の現場に入りました。やはりあちらから町家までは、乗り継ぎが順調でも九十分かかりますね」
マルタさんの引っ越しから五日後、水曜日の夕方だった。
少し埃のついた現場用の外套を玄関先で払ったレオンは、充実した仕事の熱を残した表情で居間へと上がった。今回の隣町の市立図書館の屋根補修は、彼が現場監督として週に三日、約一か月にわたって現地へ通う長期の契約だ。
片道九十分という距離は、往復すれば三時間になる。残りの曜日も王都内の別の建築現場や設計業務を抱えている彼にとって、これまでのように仕事の帰りに気軽な足で町家へ立ち寄ったり、毎日顔を合わせたりすることは到底不可能だという現実が、その少し日焼けした横顔からはっきりと伝わってきた。
今日の午前中には、お隣のマルタさんが先日お見積もりをお願いしていた二階の古い麻のカーテン二枚を、約束どおりの納期で綺麗に仕立て直して納品してくれたばかりだった。エレノア様は「私はお隣でマルタさんと新しいお茶葉の試飲をしてくるわね」と笑顔で席を外してくださり、黄色いカーテンの揺れる居間には私とレオンの二人だけが残った。
レオンは日程表を広げた。余白が、思っていたより少なかった。
「来週からは火曜、水曜、金曜の週三日、早朝に王都を出て隣町の図書館へ詰めます。古い大屋根の瓦と下地の補修なので、夕方の点検が終わる頃には日も暮れてしまいますし、木曜と土曜は王都の既存の現場を回らなければなりません。……せっかく川辺でお互いの気持ちを確かめ合ったばかりなのに、こうしてすぐにお会いできない日が増えてしまって、申し訳なく思っています」
眉を下げてすまなそうに言うレオンの言葉には、私を寂しがらせまいとする誠実な気遣いが滲んでいた。
キスをした日のように、少しずつ距離が近づくと思っていた。会えない日が増えるとは、あのときは考えなかった。
私は日程表の端にそっと指を添え、レオンの目をまっすぐに見上げて自分の希望を口にした。
「謝らないで、レオン。仕事を受けてよかったと思います。でも、私も会いたいです。週に一度、三十分でも散歩できませんか」
私が自分の望みを素直に言葉にすると、レオンの瞳がぱっと明るく和らいだ。
「一週間に一度の散歩、ですか。……ええ、もちろんです! むしろ私の方からお願いしたいくらいです」
レオンはすぐに手元の現場日程表に視線を落とし、鉛筆の背で休日の欄を辿った。
「日曜日は原則として図書館の工事も休工になります。それなら、最初の散歩は今週末の日曜日の夕方にいたしましょう。あの石橋のたもとで待ち合わせて、川沿いを一緒に歩きたいです」
「はい、嬉しいです!」
私は笑顔で頷き、それから実務を預かる人間として、もう一つ大切な取り決めを提案した。
「予定が変わったら、わかったときに手紙をください。私もそうします。次に会える日も、一緒に考えて」
「はい。先にわかれば前日までに、当日なら急使を出します」
私も仕事の納期を書き添えた。二人の紙を重ねると、空いた日曜日の欄だけが、妙にはっきり見えた。
その週の後半、私自身も乾物問屋の月次集計や新しい代筆の案件が重なり、二階の仕事机で毎日忙しくペンを走らせていた。
そして、最初の散歩の約束の前日となる土曜日の夕方のことだった。
表の郵便受けに、街の定期便の使いから一通の封書が届けられた。差出人はレオンだった。
二階の仕事机で封を切り、便箋を開くと、そこには彼の丁寧で力強い文字が並んでいた。
『クレアへ。今日の風雨で足場の点検が必要になりました。明日の散歩を、来週の日曜日に延ばしてもらえますか。私も楽しみにしていたので、残念です』
週明けに職人を上げる前に、点検を終えなければならないという。末尾には、来週の日曜日は今のところ空いているとあった。
私は便箋を膝に置いた。残念だった。新しい髪飾りを買ったことも、まだ話していない。
でも、彼も残念だと書いてくれた。点検の報告だけの手紙ではなかった。
返事の一行目に「どうぞお気になさらず」と書きかけ、そこで止まった。気にしていないなら、私は髪飾りのことなど思い出さない。
一週間を、また待つのだ。帳簿を納める日までなら数え慣れているのに、会える日までの長さは、少し違った。
下でエレノア様が、明日のお昼は何を食べたいかと尋ねた。私はいつもより返事が遅れた。
「……散歩が、来週になったのです」
「そう。それは残念ね」
彼女は理由を聞くと頷いたが、立派なお仕事だと話を終わらせなかった。
「でしたら、お昼は好きなものを食べましょう。散歩の代わりにはならないけれど、明日の楽しみは、一つあってもいいわ」
私は考えて、煮込んだ豆を食べたいと答えた。レオンとの約束は延びた。明日の食卓まで空ける必要はない。もう一度便箋を見て、自分の残念な気持ちも書こうと思った。
『点検、お気をつけて。私も残念です。来週の日曜日に会いたいです』と書き、定期便へ託した。
翌日曜日、私は検算を終えたあと、買った髪飾りを一度だけつけてみた。鏡の中の顔を見て、すぐ外した。見てもらうのは来週だ。
週明けには染物工房から新しい依頼が届いた。
『隣町の事業所にて、一泊二日の照合をお願いしたい』
日曜日までに帰れる日程だった。私は次の頁を開き、宿泊の欄を見つめた。




