第17話:災厄の魔獣エンシェント・ドラゴン襲来
空が、真っ赤に燃え上がっていた。
アストリア王国とハイランド騎士公国を隔てる要衝、『ドラグーン渓谷』。
両脇に切り立った断崖絶壁が連なる隘路に足を踏み入れた瞬間、肌を焼くような凄まじい熱風が吹き荒れた。
大気には鼻を突く硫黄の臭気が充満し、頭上を覆う黒雲の隙間から、まるで溶岩の雨のような火の粉がパラパラと降り注いでいる。
街道を進んでいた公国の国境警備騎士団、そして荷馬車を連ねた隊商たちが、一斉に恐怖の悲鳴を上げた。
「ひ、火の粉だ!」「山が燃えているぞ!」「いや、違う! 空を見ろ、雲の中から何か下りてくるぞォォッ!!」
――グオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!
天を裂き、山々を揺るがす咆哮。
雲を突き破って姿を現したのは、全長五十メートルを優に超える、深紅の巨大な影だった。
全身を鎧のように覆う、溶岩が凝固したかのような赤黒い鱗。
天空を覆い尽くす巨大な皮膜の翼。
そしてその眼窩には、触れるものすべてを灰燼に帰す、灼熱のマグマを湛えた瞳が爛々と輝いていた。
伝説の災厄級魔獣――『紅蓮竜エンシェント・ドラゴン』。
数百年に一度目覚め、通り道にある都市をことごとく焼き尽くすという、歩く超巨大天災である。
「――ゴオオオオオッ!!」
ドラゴンが大きく顎を開いた瞬間、灼熱の火炎ブレスが渓谷へと叩きつけられた。
ドガァァァァァンッ! と山肌が瞬時にガラス状に溶解し、凄まじい熱波が衝撃波となって街道を襲う。
「ぎゃあああっ!」「防壁を張れ!」「無理だ、盾が一瞬で溶けたぞ!」「退却だ! 公国正規軍の竜討伐部隊を呼べぇぇーっ!!」
精強を誇るハイランド公国の重装騎士たちが、武器を放り出して我先にと逃げ惑う。
阿鼻叫喚の地獄絵図だ。
そして俺の隣では――。
「ひ、ひいぃぃぃっ! む、無理っす! あんなの勝てるわけねえっす!!」
さっきまでキマイラ相手にイキり散らかしていた金髪勇者レオンが、腰を抜かして岩肌にへたり込んでいた。
背中の黄金の聖剣【アルファード・カリバー】を抱きしめ、ガタガタと生まれたての小鹿のように震えている。
「師匠、逃げましょう! あいつ、神界のカタログで見たことあります! 危険度神話級、国家崩壊指定モンスターっすよ! 俺の残クレ聖剣の火力じゃ、装甲の表面を爪楊枝で引っ掻くくらいしかできねえっす!!」
涙目で俺のローブの裾を引っ張るレオン。
だが、俺は――。
「……ふぅ」
深いため息をつくと、足元の平らな岩の上に、どっかりと腰を下ろした。
「し、師匠……!? な、何やってるんすか!? 早く逃げないと炭になっちまいますよ!?」
「逃げても無駄だ」
俺は腰から木製の水筒を取り出すと、キュッと栓を抜き、冷たい水を喉へと流し込んだ。
「時速数百キロで空を飛ぶ超音速トカゲ相手に、二本足の人間が全力疾走したところで逃げ切れる確率などゼロパーセントだ。無駄にダッシュして基礎代謝を上げ、心拍数を跳ね上がらせるのは、貴重なカロリーの無駄遣いにすぎん」
「な、何を冷静に言ってるんすかぁぁぁっ!?」
「静かにしろ。喉が渇いてるんだ」
俺はコクコクと水を飲み、空を見上げた。
逃げる気など毛頭なかった。
それどころか、俺の頭の中では、極めて前向きな法務的シミュレーションが展開されていた。
(……これ、もしかして最高のチャンスなんじゃないか?)
利用規約第六十四条:自己の意思による能動的なアカウント停止(自殺・自決)は、重過失ペナルティとして地獄サーバー送りの対象となる。
だが――不可抗力の天災、あるいは神話級災害に巻き込まれての死亡はどうだ?
俺は逃げようとしたが、相手が圧倒的すぎて逃げ切る前に蒸発した。
これはどう客観的に見ても「不可抗力の事故死」である。
事故死であれば、ペナルティなしでアカウントが消滅処理(完全ログアウト)される可能性が極めて高い。
二千六百ポイントもの膨れ上がったカルマも、アカウントごと消えてしまえば関係ないのだ。
(いける……! 苦痛を感じる間もなく、超高熱のブレスで一瞬で灰にしてくれれば、安らかに永眠できる……!)
俺の瞳に、澄み切った無の境地が宿った。
死の恐怖など微塵もない。
あるのは、「ようやくこのクソゲーをアンインストールできる」という、清々しい解放感だけだった。
だが――周囲の目には、その光景がまったく別のものとして映っていた。
「お、おい……見ろ……!」
逃げ惑っていた騎士団の小隊長が、足を止めて俺を指差した。
「あ、あのお方は……逃げないのか……!?」
「空が燃え、大地が溶けている猛火の中で……平然と腰を下ろし、水を飲んでいる……!?」
「取り乱すどころか、呼吸一つ乱れていない……! あのお方には、死の恐怖という感情すらないというのか……!?」
ざわり、と避難民たちの間に戦慄が走った。
そして――。
――ズズズズズズズズッ!!
空を旋回していた紅蓮竜が、巨体を翻して降下してきた。
逃げ惑う群衆を無視し、ただ一人、逃げも隠れもせず岩の上に座り込んでいる「異様な人間」――俺の存在を、その爬虫類の瞳がロックオンしたのだ。
ドズゥゥゥゥゥンッ!!
渓谷の隘路に、ドラゴンの巨躯が地響きを立てて着地した。
爆風が吹き荒れ、岩煙が舞い散る。
至近距離で見るエンシェント・ドラゴンは、ビルのように巨大だった。
その巨大な右前脚の鋭い爪が、音を立てて持ち上げられる。
「あ、危ねえええええっ、師匠ォォッ!!」
レオンの悲鳴が木霊する。
だが俺は、立ち上がりもしなかった。
両手を膝の上に置き、完全に脱力した状態で、振り下ろされる巨大な爪を死んだ魚のような目で見上げた。
(さあ来い……! 俺を今すぐオフラインにしろ!!)
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### 【本話のカルマ会計報告】
- **開始残高**:2,600.00 pt
- **本話の増減**:±0.00 pt(紅蓮竜遭遇・棒立ち待機のみのためシステム上の変動なし)
- **終了残高**:2,600.00 pt
- **現在の魂ランク**:大貴族・SSR来世アンロック域(解脱可能基準値:0.00 pt まで、残り 2,600.00 pt の減算が必要)
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