女詐欺師は若き貴族隊員の想いを嘲笑して王都警備隊長の怒りを誘う
逃げるなら、今だった。
確かに、「無敵の肉体を求めている」という噂を聞いて、仕掛けも準備してきた。
だが、レイフからの贈り物は6つとも、売り払ってしまった。
目的はほとんど達したと言っていい。
しかも、最後の相手は、すっかり親しくなってしまったヴォーダンの部下だ。
それが原因で失踪してしまったとなっては、いつ足がつくか分からない。
どうしたわけか、まだ売り主についての追及はない。
イリミエが戻って来る前に、トロール界に帰らなければならない。
……だけど。
問題が一つあった。
帰るのは、冬が来る直前のほうがいい。
宰相スヴェンに乗っ取られたリッカウの収穫物が、それまでにどれほどの額で売れるか分からないのだ。
リーヴに売りつけられた屋敷の分など、難なく取り戻せる。
レイフはたぶん、そのときまで結論を保留するだろう。
すでにイーニャとの婚約披露は終わっているだろうから、勝つまでのリーヴは王太子妃の座を狙う不遜な反逆者でしかない。
結婚式が終わるまでに、リッカウの富を凌ぐ稼ぎを持って帰られなければならないのだった。
……それに。
もうひとつ、気になって仕方がないことがあった。
ベッドに腰掛けたまま、柄にもなく何か考え込んでいるヴォーダンだ。
なぜ、この男のせいで足が止まるのか分からない。
病室の窓から差し込む朝の光が、床を明るく照らしていた。
それをじっと見つめるヴォーダンの、低いつぶやきが聞こえた。
「どうやって、詐欺師は獲物を見つけた? 王都だけで何千人いるか分からんのに」
……そこに気付いたか。
そこに目をつければ、いずれ、詐欺を仕掛けた相手の共通点に気付くだろう。
少しでも判断を狂わせようと、軽口を叩いてみる。
「隠れた欲望を書きつけた帳面か何かがあるのかもしれませんね」
もちろん、もののたとえにすぎない。
そんなものがあるわけはない、という意味だ。
これに気付けば、詐欺の被害者に共通点があるとは考えなくなるかもしれない。
やがて、ヴォーダンは自嘲めいた声を漏らした。
「そんなものが書けるのは神様だけだが……」
だが、その顔つきは急に引き締められた。
はたと何かに気付いたように立ち上がる。
「いや、もともと限られているのかもしれん」
また一歩、ヴォーダンは真相に近づいていた。
イリミエは、リーヴを通して展覧会の審査員に賄賂を贈ったと思い込んでいたカテオスの訴えを聞いた。
画家カテオスは、令嬢マサイルが痩せ薬で手に入れた容姿を絵に描いた。
令嬢マサイルは、学者ストゥタが帽子で姿を消したつもりでひどい目に遭わされた、若者たちの乱痴気騒ぎから逃げ出している。、
学者ストゥタが紹介した老婦人を、高僧ヒーモーは縁結びの眼鏡で見つけた若い娘だと思いこんで誘惑した。
高僧ヒーモーは、豪商アヘヌスが善行で名を残したいばかりに、財布が指し示すままに差し出した全財産と引き換えに銅像を建ててやった。
豪商アヘヌスの娘は、貴族の息子ライスクが鏡で作った分身からの求婚を受けている。
貴族の息子ライスクに、その鏡を売ったのは美貌の女詐欺師……つまりリーヴだ。
イリミエが、「知識のすべてを網羅した本」を渡したのがリーヴだと証言すれば、全てがつながる。
しかし、大きな絵の最後の断片は、しばらく見出されることはない。
ヴォーダンの判断をさらに誤らせるために、リーヴはさらに皮肉を言った。
「欲望剥き出しで生きていられる人って、幸せですね」
目を怒らせて睨みつけるのを、即興の歌でかわす。
人目は誰でも気になるものさ
何が欲しいか見抜いてるから
それを隠すものこそ分別
不幸な気持ちにさせるもの
その意味することには、学がないと自分で言っているヴォーダンも気づいたようだった。
「……イリミエの自業自得だと?」
荒れ狂う感情を押さえているのは、声の震えで分かる。
「ですから、お気になさることはありません」
敢えて冷ややかな声で答えたリーヴを、ヴォーダンは真っ向から見据えた。
「見ていろ、何が何でも捕まえてやる」
それは、リーヴへの挑戦でもあった。
……これで、疑われることはない。
どうしても、ヴォーダンを騙し切ってからでないとトロール界へ戻れない気がする。
逃げる気は、もうなかった。




