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宰相が手中に収めた領国に帰還したトロール姫は、父が国王と交わした密約が裏目に出たのを知る

 城門から駆け出してきたのは、見覚えのある姿だった。

 鉄兜と鎖帷子に身を固めた、リッカウの兵士である。

 幼い顔立ちをした、まだ新米の若者はリーヴに深々と頭を下げると、手を差し出した。

「ご無礼をお許しください、姫様。武器はお返しを」

 ようやく、父の育てた兵の前に帰ってきたという気がする。

 その手に私兵から奪ったハルバードを渡したリーヴは、この城の主として命じた。

「こちらも」

 サイの轡を預かったリッカウの兵士は、鞍上のリーヴを意気揚々と城の中へ招き入れる。

 その後ろ姿を、身をすくめた宰相スヴェンの私兵たちが、遠巻きにこわごわと見送っていた。

 リーヴがちらりと振り向くと、跳ね上がった橋が城門を塞いで、その向こうは見えなくなった。

 兵士が不機嫌な声で報告する。

「まことに残念ながら、私どもは今や、あれと同格です」

「どういうことです?」

 嫌な予感がして、間髪を入れずに尋ね返す。

 兵士は悔しげに答えた。

「確かに私はリッカウの兵士です。しかし、もうリーヴ様の兵ではありません」

 リーヴの目が鋭く裂け、その口が牙を剥く。

「スヴェン様か!」

 うつむいた兵士の、轡を掴む手が握りしめられた。

 もがくサイの首元にしがみついたリーヴは命じる。

「どこにいるのです? 連れて行きなさい」


 その必要はなかった。

 黒いガウンをまとった初老の男が、居館へと続く暗い通路から現れた。

 寝ぼけたような顔で恭しく頭を下げる。

「ようこそ、おいでくださいました」

 リーヴはサイから、ひらりと舞い降りた。

 本来なら、鞍から下りることはない。

 亡くなった領主の娘が帰ってきたのだ。

 だから、皮肉たっぷりに挨拶だけは返しておく。

「これはこれは、自らお出迎えとは恐れ入ります……宰相スヴェン様」

「出迎えどころか、王都カフーから、兵を率いて出向いてまいりました……運の良いことに、ユルムスも歩兵ばかりでしたので」

 皮肉に皮肉で返しておいて、スヴェンは兵士に命じた。

「そのサイに飼葉をやっておけ」

 すかさず、リーヴはまくしたてた。

「失礼ながら、そのサイは南のソーデルの領主殿から借り受けたもの。私の責任で、私の兵に面倒を見させます」

「何の権利があって、この城の兵に指図をなさる?」

 スヴェンの冷ややかな詰問に、リーヴは答えない。

 代わりに、サイの轡を取る兵士に命じた。

「丁重に扱いなさい。いずれ、お返しするものです」

「いずれ、ではない。今すぐ、ソーデル領主のもとで、このサイの世話をせよ。行きの路銀は与える」

 困り果ててリーヴとスヴェンを交互に見比べていた、兵士は目を固く閉じて頷くと、門へ向かって歩き出す。

 リーヴはスヴェンを睨みつけた。

「私の権利についてお答えします。父コフータロがリッカウを守って戦死するよりも10年以上前に、母は亡くなりました。私はまだ王太子妃ではないので、本来なら、伯爵夫人として領地を相続するはずです」

「おっしゃるとおり。貴族が亡くなれば、その時点で爵位と共に全ての権利が継承されます」

 スヴェンは、深々と頷いた。

 サイを牽く兵士は、二人に背を向けたまま、閉じた跳ね橋の前で立ち尽くしている。

 そこでスヴェンは付け加えた。

「いったんは退けたユルムスが、いつ反撃してくるか分かりません。宰相としては、リッカウの兵はまだ指揮下に置きたいと存じます」

「迅速なご判断のもと、ご協力には感謝いたします。しかし、我が兵をあなたの命令で戦わせるわけにはいきません」

 宰相の言葉を拒んだ辺境伯の娘を前に、スヴェンは高らかな声を上げた。

「いいえ、私の兵でございます!」

 言い放つなり、一枚の証書を突きつける。

 その書面を見たリーヴは、考える間もなくひざまずいた。

 ひざまずかないわけにはいかない。

 真っ先に目に入ったのは、国王の名前と真紅の玉璽であった。


  ヒルヴィーオ国王オヴェーラ7世 


 そこに証されている次の文言に、リーヴは呆然とした。


  次の通り叙する リッカウ辺境伯爵スヴェン

  家族及び親族に、貴族としての栄典を与えることを認める。 


「どうして……」

 その先は、言葉にもならない。

 だが、スヴェンは、証書をもう一枚差し出す。

 そこには、御名玉璽の前に、コーフタロの署名が記されたものだった。


  リッカウ辺境伯爵コーフタロの息女リーヴは、婚約の日より、同等の権利を行使できるものとする。

  また、その日より後に私が死亡した場合、領地は王国に帰するものとする。


 スヴェンは宰相の険しい顔で、リーヴを見据えた。

「あなたは王太子妃としての扱いを受けています。リッカウ伯爵夫人を兼ねることはできません……二つの身分を兼ねることはできないという原則は、ご存じですね?」

「母から、そう教わりました」

 リーヴは苦々しげに頷く。

 それを慰めるように、スヴェンは一転して穏やかな顔で告げた。

「お父上は、領地と引き換えに、あなたを王国に委ねたのです」

 だが、リーヴは激しく首を振った。

「なぜ、私の知らないところで……」

 結果として父に陥れられる形になった原因を、スヴェンは哀しげな目で解き明かす。

「あなたの地位を確保したうえで、結婚前の驕りを避けて、伏せておいたのでしょう」

 宰相スヴェンがいかなる男であろうと、その言葉にだけは血が通っていた。

 それは、先々まで見据えた父の思いが裏目に出た娘への、紛れもない同情であった。

 だが、親子のことに口を挟むなという顔で、リーヴは睨み返す。

「でも、どうしてあなたが……」

 そこで、はっと気づいたことがあった。

 スヴェンも、にやりと笑って条文をそらんじる。


  他国との戦闘等で主を失った領土を守った者は、その地を相続するを得る。


 スヴェンは、深々と頭を下げた。

「私が代わってリッカウ辺境伯となりました」

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