老いた画家の若い弟子への嫉妬に、女詐欺師が火をつける
画家カテオスは、イーゼルの上に置かれたカンバスを、じっと見つめている。
描かれているのは、粗末な椅子に足を斜めにそろえて座り、正面をまっすぐに見つめる令嬢の姿である。
服装は豪華ではないが、名家の育ちであることを見る者に感じ取らせるだけの気品がある。
だが、その表情は、笑顔というにはどこか冷たい。
口元は微笑んでいるが、まなざしは鋭い。
画題は、「かくも険しき苦難を乗り越えたる気高き令嬢の像」。
モデルを引き受けたからにはとアトリエにまで足を運んだ、クロンヒット侯爵家の令嬢マサイルの肖像だった。
カテオスは、苛立たしげにつぶやいた。
「分からない……何かが足りないのは分かっているのに」
王立芸術院出展の締め切りまで、10日と残ってはいない。
思わず絵から目をそらしても、目に入るのはやはり別の絵だった。
部屋の隅には、弟子ラーリンの風景画がある。
出展作品の制作にかかる前に、手すさびに描いたものだという。
(こんなのは、絶対ダメですよね)
そう言いながらも、小犬のような無邪気な目は「ほめてほめて」と言っていた。
確かに、こんな描き方を教えた覚えはない。
筆遣いも何もなく、ただ色を転々と置いただけで、手間をかけているのかいないのか、どう評しようもない。
それでも、つい見入ってしまって制作が進まないのだった。
「……私も老いたか」
自分でも分かっていた。
王都でカテオスの名を知らない者はないが、一世を風靡したのは昔のことだ。
昨今の流行など、分かりはしない。
「……いや、待て」
それはラーリンも同じことだろうと考えて、はっとした。
……恐れている? このカテオスが? 自らを凌ぐ弟子の才能に?
鏡を見つめるかのように弟子の絵を眺めていたのに気付いて、目をそらす。
そのとき、アトリエの外から、こんな歌声が聞こえてきた、
緑の目をした獣は
いずれ己を食いつくす
細い尻尾が目障りで
自分と知らずに噛みついた
アトリエの戸を叩く音がする。
開けてみると、そこには菫色の服に大きなフリルの付け襟をした、裕福そうな金髪の女がいた。
恭しく一礼して、用件を告げる。
「画商のコンスタンドラと申します。絵を見せていただけませんか?」
あまり人と会うのは好きではないが、画商と聞いては知らん顔もできない。
招き入れると、コンスタンドラと名乗る女は、カテオスのアトリエに掛かったいくつかの作品を眺め渡す。
やがて、その中の一枚を認めて、まっすぐに見つめながら歩み寄った。
「この絵をください」
古い伝説に題材を取った作品だった。
険しい岩山から現れては善良な人々を苦しめる巨人を、旅の勇者が退治する物語である。
その勇壮な対決の場面を描いた絵を指されて、カテオスは寂し気に笑った。
「私の絵はもう古い。弟子のものを買っていけ」
顎で指す先には、さっきの風景画がある。
光そのもののような無数の色の点描で描かれた、アトリエの窓から見た古木の絵だった。
コンスタンドラは、それをしばし眺めてから尋ねた。
「なぜ、ご自分の絵を売らないのですか?」
返す言葉に詰まったが、ここは断言するところだ。
「これからは弟子の時代だ。力になってやらねばならん」
力を込めたせいか、次の言葉を思いつかない。
しばしの沈黙の後、コンスタンドラは心の底を見抜いたかのように妖しく笑った。
「お弟子が邪魔なら、正しいことを教えなければいいのでは?」
まさか、と一蹴しようかと思ったが、どうしても言葉が出ない。
思ってもいないことは、口にできない性分だった。
「私の信用に関わる」
ようやく、それだけ言うことができた。
それでも、目は光を失ってはいない。
はったと見据えられたコンスタンドラは、口元をひきしめて尋ねた。
「では、なぜ及ばないと?」
「見ればわかる。教わったとおりに描いても、それを凌いでしまうのが才能だ」
震える声で、カテオスは信念を口にする。
そうするしかなかった。
弟子への嫉妬で傷ついた、画家としての誇りを守るには。




