父である辺境伯を失ったトロール姫は、領地を乗っ取った宰相への怒りに震える
「待って! せめて去り際の挨拶だけでも!」
リーヴは呼び止めたが、再び銀色の髪がなびいたかと思うと、レイフの姿は跡形もなく消えていた。
老領主が声をかけた。
「これも王家の魔法でございましょう。よもや王都まで飛んでいくことはおできになりますまいが」
伝令が、リーヴの足元にひざまずく。
しばらく黙ってうつむいていたが、やがて、ためらいがちに告げた。
「まことに申し上げにくいのですが、どうぞ落ち着いてお聞きください」
もともと、まどろっこしいのが嫌いなうえに胸騒ぎがしてならない。
伝令への労いもそこそこに、リーヴはつい、苛立ちをそのまま口にしてしまった。
「申せ! 王太子との婚前旅行の只中に無粋な知らせ、よほどの大事であろうな!」
罪もない伝令は、リーヴの剣幕にすっかり恐れ入って、大広間の冷たい石の上にひれ付した。
レイフに置いていかれた一同は、為す術もなく立ち尽くすしかない。
ようやくのことで口を開いたのは、老領主であった。
「まずは、お役目お疲れさまでしたな。大事な知らせを二つも背負っては、さぞや心も重かったことでしょう。ひとつは届けた。もうひとつ、せめてリーヴ殿にだけは……」
背中を丸めて震えていた伝令は、やがて顔を上げると、涙にむせび泣きながら告げた。
「お父上、リッカウ辺境伯コーフタロ様、7日前に戦死なさいました!」
リーヴの目が、大きく見開かれた。
張りつめた緑青色の頬が、微かに震える。
鋭い牙の覗く口元から、かすれ声が漏れた。
「どうして……」
涙と鼻水を拳でひと拭いした伝令は、ひざまずいたまま、リーヴをまっすぐに見据えた。
「隣国ユルムス王国、7日前に何の前触れもなく、国境を侵してリッカウに攻め込んでまいりました」
リーヴもまた、剣を手に待っていた凛然たる姫君に戻っている。
「もちろん、父上のこと、怯むことはなかったでしょうね」
「そこは勇猛で知られるリッカウ伯、即座に直属の兵を率いて出撃なさいました」
リーヴはさらに問いただす。
「続く者はどれほどありました?」
「家臣団、その私兵、総出でユルムスを食い止めんと、力の限り戦いました」
返事は誇らしげだったが、リーヴは、額を指で押さえながら首を振った。
「父上が死んだのは勝ち戦か? 負け戦か?」
再び、伝令は顔を伏せると、くぐもった声で回りくどい答え方をした。
「多勢で奇襲を加えられては、充分な守りは叶わず」
リーヴは深いため息を漏らした。
王太子との婚前旅行の祝宴に集った者たちも、無言で悲しみに耐えている。
最初に口を開いたのは、リーヴだった。
「ユルムスは、まだ、リッカウに?」
「宰相スヴェン様が、ご自分の兵と共に駆けつけてユルムスを蹴散らされました」
間髪を入れぬ勝利の知らせに、広間の空気は安堵に緩んだ。
相手を誰とも知らず不安げに抱き合っていた男女などは、照れ臭そうに身体を離した。
それでもリーヴは、細いが濃い眉を怪訝そうにひそめる。
「なぜ、スヴェン様が? 国軍ではなく? 私兵しかお持ちではないはず」
「リッカウ伯よりも早く、ユルムスの侵攻を察知していらっしゃったとか」
リーヴは歯を食いしばって、鋭い牙を剥いた。
「辺境のリッカウは肥沃な土地でもある。これを狙ってくるユルムスから、陛下の命により、我が父コーフタロが守り抜いたのだ。かの地はその功により、伯爵として国境の守りを任されたとき、共に与えられたもの」
伝令を責めてどうなるものでもないが、怒りのやり場がなかった。
見るに見かねたのか、老領主が横から口を挟む。
「スヴェン殿は情報収集力に優れております。だから下級の役人から宰相まで上りつめることができたのです」
あの成り上がり、とリーヴは吐き捨てる。
その張りつめた顔の美しさは、トロールたちの目を引きつけてやまない。
だが、それでも、その全身を凍り付かせるだけの美しさと恐ろしさがあった。
伝令は、震えで動かせない身体を叩き起こすかのような勢いで、国元からの言葉を伝えた。
「すぐにお帰りください、リーヴ様のご采配が必要です」




