正義の怒りに燃える学者は姿が見えないはずなのに行く先々でさんざんな目に遭う
ストゥタは、帽子をかぶって夕暮れの街に出た。
これさえあれば、人の目など気にすることはない。
若い頃から、身体が貧弱で顔が子供のようなストゥタを見ると、男は顔に嘲りの色を浮かべ、女たちなどは含み笑いをしたものだ。
それが悔しくて、いつか見返してやろうと学問に励んだものだ。
今こそ、先人の知恵を頼りに、無知蒙昧な輩へ正義の鉄槌を下すときだった。
道端で馬車が止まるのが見えた。
どこかの貴族の屋敷の宴会でもあるのか、マントを羽織った身なりのいい男が下りてくる。
その後に、従者と思しき姿が続いた。
ストゥタはすかさず駆け寄っって、力の限り怒鳴りつけていた。
「バカ者! お前が先に降りて扉を開けるのだ!」
従者は怪訝そうな顔で、主人に尋ねる。
「あの、何か?」
声は聞こえても姿が見えないのだから、主人の言葉だと思っても不思議はない。
主人は主人で、早く来いとばかりに顎をしゃくる。
従者は 主人を追って歩道の真ん中を歩きだす。
ストゥタは真後ろへ追いすがると、声を限りに喚きたてた。
「バカ者! お前が道端を歩くのだ! ならず者が主人に襲いかかってきたら、身を挺してかばうのがお前の役目ではないか!」
姿が見えないのをいいことに、手を伸ばして、自分より背の高い従者の襟首を掴んだ。
すると、従者は頭からは剣を収めたままの鞘で、ストゥタの脛やら膝やらを容赦なく打ちのめす。
「うるさい! 邪魔だ!」
痛みで立てなくなる前に、逃げ出すよりほかなかった。
足を引きずりながら、街の裏路地へと逃げ込む。
「おのれ、私を誰だと思っとるのだ、物を知らんタワケ者が……」
家々の外壁に手をついて、ようやくのことで歩いていると、宿屋の看板が見えてきた。
そっと扉を開けて現れたのは、フード付きの長いマントに身を隠したふたつの影だった。
「今しかありません、奥様。港まで行けば、こっちのものです」
「でも、やっぱり怖い。こんなことをしてしまって、主人が何をしてくるか」
若い婦人と、使用人の青年とが駆け落ちする現場のようだった。
これを黙って見逃すストゥタではない。
足の痛みも忘れて、拳を振り上げながら裏路地から飛び出した。
「バカ者! 立場をわきまえんか! 貴族に生まれた以上、許されぬ恋というものはあるのだ!」
天からの声とでも思ったのか、婦人は身体をすくめて、屋根の彼方の暗い空を見上げる。
だが、使用人は落ち着いたものだった。
掃除のためか防火の用心か、戸口に置いてあったバケツの水をストゥタに浴びせかける。
「あっちへ行け!」
腰から下がびしょ濡れになったが、説教の必要はなくなっていた。
婦人は若い使用人から、身を離した
「……ごめんなさい、なんか、こう、雰囲気が……あ、主人が待ってますので」
すたすたと路地から歩み去る後ろ姿を呆然と見ていた若者は、やがて我に返った。
「あの、奥様?」
さっきまで連れて逃げようとしていた女が逃げるのを追いかけて、全力で駆けだした。
裏路地を何度も曲がったせいで、家に帰ろうにも、王都のどの辺りにいるのか分からなくなってしまった。
辺りはすっかり暗くなって、家々の閉め切られた窓から洩れる光すら見えない。
つまり、空き家が多いのだ。
「……都の端か?」
見当をつけたところで、ある一軒の戸が開いた。
小太りの娘がフードのついたコートに身を隠して駆け去る。
「私、こんなところだなんて……」
言葉遣いからして、貴族の令嬢らしい。
逃げ去った後を覗き込んで、愕然とした。
「おぬしら……」
酒の臭いのたちこめる中、肌も露わな若い男女たちが、抱き合ったままの姿でストゥタを見ていた。
貴族や富豪の子弟令嬢と、市井の若者たちによる、乱痴気騒ぎの現場といったところだろうか。
怒りで身体が震えたが、天の声を発するのは忘れない。
「バカ者! 身分をわきまえよ!」
さっきは日が落ちる前の屋外だったから、姿の見えない正義の声も、空耳に聞こえたのだろう。
これで明かりさえ消してやれば、暗闇の中、淫らで愚かな若者たちは狼狽して逃げ去ることだろう。
ランプを吹き消そうと、部屋の中央へ歩み寄ったときだった。
「おい、ガキがションベン漏らして偉そうな口利くんじゃねえ!」
ガラの悪い男に小突かれて倒れたところで、帽子が落ちた。
若者たちの中から唖然としたような声が聞こえる。
「あれ、オッサンじゃん……」
そこで、リーダー格らしい男が宣告した。
「なら、丁度いいや。ぶちのめせ!」




