老いらくの恋を晒して大恥をかいた高僧の話は、女詐欺師も含めて内密にする
その7日後のことである。
朝市に並ぶ露店のテーブルで遅い朝食を取っていたヴォーダンは、眠たげな目をこすりこすり、向かいに座っているイリミエに怒りをぶちまけた。
「青春をやり直したかっただけじゃねえか、あのジジイ!」
朝早くから、一緒に聖堂へ呼びつけられたイリミエも、酸味の多い果物をかじりかじり毒づく。
「まあ、人に知られたくない話ではあるでしょうね」
ヴォーダンは、顔をしかめて小声で囁く。
「早い話が、若い娘と一発やってみたかったってだけの話だからな」
しっ、とイリミエが声を潜めた。
「言葉に気を付けてください、王都の警備隊長なんですから」
その警備隊長ヴォーダンに、高僧ヒーモーが語ったのは、こんなことだった。
この眼鏡をかけてみよ。何が見える?
そうか、このヒーモーがヒーモーに見えるか。
拙僧にも、おぬしがヴォーダンにしか見えぬ。
実は、この眼鏡、人の本性が透けて見えるのだ。
これを拙僧にもたらしたのはな、実を申せば、青銅色の肌をした魔物の娘なのだよ。
さる高貴な老婦人から、姪御の縁談について相談を持ち掛けられておってな。
なかなかよい相手が見つからず、返答に困っておったときに、その女が金髪の美女に化けて現れおったのだ。
鈴を転がすような声で、こう吐かしおった。
「いかがでしょう、これを通せば、お似合いの相手かどうか、一目で分かります」
むろん、正体なぞ見抜いておったが、気取られぬように調伏してやろうと、こう言ってやった。
「言い値で引き取ってやろう。5日後に来い。代金は、そのときにくれてやろう」
その眼鏡で見た、かのご婦人の姿はといえば、姪御そのものと思しき姿。
これは、自分のことのように親身になっておられる証拠。
だが、よろしくないのは、健康な若者なら誰でもよいと焦っておられるということだ。
その誤りを告げては、ご婦人に恥をかかせることになる故、拙僧は一計を案じた。
こんな手紙を書いたのだ。
家格の低い若者でございますが、王国のためにと、最前線でも病の多いところに自ら志願しております。
次の日、ご婦人の返事があった。
姪と結ばれれば、考えも変わりましょう。持参金は、充分に準備させていただきます。
僧侶として金など取るわけにはいかんから、こう答えた。
お気になさらず。いつ死ぬかもわからない身と、覚悟しておるようです。
ご婦人からは、思い切った手紙が来た。
恥ずかしがり屋の子で、人目につかないところで、暗い夜にお会いしたいと。
さあ、そこで拙僧は仕上げの返事を書いた。
一夜限りでよろしければ、手配いたしましょう。
王都の端の空き家を探して、そこで待ち合わせた。
暗い所で待っておると、恥ずかしげに扉を開けて入ってきた者がある。
静かな足音から、それなりの家に育った姫君であることが分かる。
拙僧に気付くなり、いきなりすがりついてきた。
……誤解するでないぞ。若い娘に誤りを諭すには、それなりの場所で、それなりの思いをさせねばならん。
「さあ、こちらへどうぞ」
拙僧がそう言うか言わないかのうちに、姪御殿も囁いた。
「望みは、何なりと叶えて差し上げますわ」
だが、そこで気づいた。
笑いたくば笑うがよい、かようなやりとりになったのだ。
拙僧は絶句した。
「え……?」
「あら……?」
その声は、ご婦人のものであったのだ。
拙僧も言葉に詰まったものよ。
「それで、私と、その」
ご婦人は慌てて飛びすさった。
「いえ、ヒーモー様だとは」
そこは拙僧も、恥をかかせぬよう、話にオチをつけねばならん。
「失礼、私には祓わなければならないものが」
ヴォーダンは、懐から取り出した玻璃の眼鏡を、イリミエの前でちらつかせた。
「……で、ご婦人の名誉のためにも口外無用と、この眼鏡をつきつけられた」
イリミエはそれを朝日にかざした。
「確かに、こんなに澄んだ玻璃は見たことがありません」
面白くもなさそうに、ヴォーダンはからかった。
「家柄のいい坊ちゃんは違うな」
それには答えずに、イリミエは証拠品を値踏みする。
「おそらく、かなりの値がつくかとは思いますが、何の変哲もない眼鏡ですね」
ヴォーダンは王都の警備隊長として、念を押す。
「言いたいことはあると思うが、俺も黙っていることにする」
だが、身分の高い部下の軽口までは抑えられなかった。
「察するに……女詐欺師に会ったのはご婦人に会うより前。そこで大金を払ったが、姿をくらまされた。捕まえたら教えろといったところでしょうね」
「まあ……最高司祭にバレんように上手くやるんだな、老いらくの恋ってことで」
そこでヴォーダンがふと脇を見やると、いつの間にか、身体の線がくっきりした外出着姿のリーヴが、同じテーブルに着いていた。
眩しい朝の光を浴びて、金色の髪を撫で上げる。
均整の取れた身体の影は、一幅の絵のように美しい。
「……隊長!」
イリミエに囁き声で叱られて、我に返る。
見とれるヴォーダンのまなざしに気付いたのか、リーヴは流し目と共に答えた。
「色恋の欲ばっかりは、死んでも止まらないとか……もちろん、聞かなかったことにいたしますわ」
どうだか、と聞こえるようにつぶやいたのはイリミエだった。
口元に露骨な嘲笑を浮かべた顔は、まるで言い返されるのを待っているかのようだった。
リーヴは不敵に微笑する。
「では、この噂が流れて困るのは、どなたでしょうか?」
言葉に詰まる若い貴族隊員の頭を、庶民出の隊長はゲンコツ一発でどやしつける。
イリミエは口を尖らせて抗議した。
「だって、この女……」
「私が、どうかいたしました?」
初めて出会ったときのような悪戯っぽい笑顔を向けられて、ヴォーダンはしどろもどろになる。
「いえ、その……この話は、どうかご内密に」
椅子から立ち上がって深々と頭を下げる隊長に、イリミエは慌てた。
「いけません、いけません、こんな女に」
通り過ぎる人々を気にしながら、ヴォーダンを必死で椅子に座らせようとする。
リーヴはしばらくこのやりとりを、笑いをこらえながら聞いていたが、やがて、形のよい眉をピクリとも動かさずに告げた。
「もちろん、口外いたしませんわ。こんな面白い方々と、これからもこんなお話ができるんでしたら」




