トロール姫のもたらした財布の魔法がささやかな願いを無限に叶える
王都警備隊本部の取調室から、富豪アヘヌスの娘は、夫となった貴族の若者に付き添われて出て行った。
事情聴取を貴族隊員のイリミエに押し付けた隊長ヴォーダンは、首尾を尋ねた。
「どうだった?」
イリミエは、皮肉に笑った。
「あの娘だけを呼んだのは正解でした。貴族を夫に持って、物の見方が分かってきたようです」
「悪かったな、無学で」
「いえ、欲の皮の突っ張った親類縁者では、まともな話はできなかったということです」
悪態ついた隊長に、しまったという顔で弁解すると、古い革の財布を差し出す。
「話を総合すると、全ては、これのせいだということになりますが……信じられますか?」
ヴォーダンが不審げに眉を寄せると、イリミエは聞き取ったことを、いささか芝居がかったセリフも交えて語りはじめた。
……そのときから、豪商アヘヌスの慈善事業が始まったんだそうです。
王都中の貧しい人たちから感謝されるようになると、商人たちの間には陰口を叩く者も現れます。
「あのアヘヌスのことだから、どこかで元を取るだろうよ」
それを伝え聞いたときは、たまらなく寂しかったといいます。。
だが、初めてわかったこともあるんですよ。
見当は、つきますよね?
……そう、アヘヌスの周りには、商売相手しかいなかったんです。
「死ぬまで付き合える古い友だちが欲しい」
この財布に向かってつぶやいたとき、再び、ぼんやりした光が見えたんだとか。
そこでアヘヌスは、わざわざ隣国のウィキナ公国で海岸の土地を買って、別荘を建てました。
結構、噂になりましたよね。
サロンを開いて、身分や地位を問わず、老若男女を集めて、酒を片手に毎日のように語り合う。
最近では、その中の名前を聞くようになりましたよ。
芸術家とか、哲学者とか。
そんな人々と付き合っていると、若い頃から働きづめに働いてきた年月が、もったいないという気がしてきたようです。
「学問がないのが恥ずかしい。深い知識が欲しい」
そのつぶやきに応えるように、古い財布は、また光を放ちます。
そう、王都の東西南北に建てた図書館です。
貧しい人たちの家を取り壊した分、住人を職員として全員、雇い入れました。
さらには、王都中から古文書を買い漁った。
でも、読み解けなければ何にもなりませんからね。
そこでアヘヌスは思い切って、王都でも名の知れた、高僧ヒーモーに弟子入りすることにしたんです。
確かに、この辺りまで来ると、止める者も現れます。
その最初が、貴族の若者と結婚した、あの娘でした。
「もう、充分でしょう? お父様」
遠回しに、こんな言い方をしたそうですが、アヘヌスは聞きませんでした。
「ヒーモー様はおっしゃった。栄華は一瞬、知は永遠なりと」
高僧から人生についての教えを説かれると、アヘヌスは人生を無駄に過ごしたまま死ぬような気がしてきたんだそうです。
とうとう、家族や親類縁者を集めて宣言しました。
「死んでも残る名誉が欲しい。そのために、全財産を投げ出す」
さすがに、こればかりは誰もが止めたそうです。
「ちょっと待ってくれ、我らには何も残してはくれんのか!」
だが、アヘヌスは聞く耳を持たない。
とうとう、全財産を師匠の高僧ヒーモーに寄付してしまいました……。
そこで、ヴォーダンは手を叩いた。
「それが、アレか!」
アレとは、と尋ねるイリミエに、ヴォーダンは王都の門前まで連れていく。
「……これでしたか、噂には聞いていましたが」
イリミエが見上げるのは、慈善家アヘヌスの巨大な銅像だった。
ヴォーダンが吐き捨てる。
「カネの力と、師匠のご威光だよ」
そのやり取りを聞いていた、ひとりの女が話に割り込んだ。
「最高司祭様も、ご覧になったとか」
リーヴだった。
手を伸ばして貧しい人々を慈しんでいる姿の銅像を、いかにも怪訝そうに見上げる。
気付いたヴォーダンは苦笑した。
「王都の外での説法で護衛をしたんですが……ちと、悪趣味ではないか、とおっしゃいましたよ」
リーヴの耳には、最高司祭を真似て呻くようにも聞こえる。
イリミエは、突然現れた美女の前で、おどけながら顔をしかめてヴォーダンに尋ねた。
「で、どう答えたんですか? 隊長は」
「さあ、私ごとき無学者には分かりかねます、と」
ヴォーダンは肩をすくめてみせる。
そこでイリミエは、アヘヌスに起こったことの残りを、その足元で報告した。
「願いは叶いましたが、金を使い果たすうちに、その身体はすっかり弱っていたようです」
こくこくと頷いて相槌を打っていたリーヴは、同情たっぷりに尋ねてみせた。
「その方は、どうなさっていますか?」
「病の床に伏しています」
いささかの感慨もなく答えるイリミエに、ヴォーダンも同調した。
「……だろうな。年寄りがそんだけ金使って、あれやこれやと動き回れば」
なるほどと納得するリーヴをじっと見つめて、イリミエは話の結末をつけた。
「心配して集まった家族や親族に、アヘヌスが満足そうに言うには……確かに、金では買えない幸せがある。これで充分だと言えることだ、と」
しかし、ヴォーダンは言い捨てる。
「腹の虫が収まるまいよ、遺産目当ての連中はな」
そのひと言を拾ったのは、リーヴだった。
「何か残っていなかったんですか? お金に換えられるものは」
ふと思い出したように、ヴォーダンはイリミエに尋ねた。
「あの財布は?」
「アヘヌスの娘によれば、商工ギルドの鑑定士が断言したそうです。革そのものは400年ほど昔のもので、名工の作だという記録があると」
即座に答えたイリミエに、リーヴは興味深げな顔をして尋ねた。
「どうして、そんなものが今頃?」
横目でちらりと眺め返した若い貴族隊員は、ふん、とばかりにそっぽを向いた。
どこの馬の骨とも知れない下賤の女が気安く話しかけるな、とでも言わんばかりである。
それでもリーヴは、イリミエから目をそらさない。
レイフから贈られた財布の出所が知りたかったのだ。
金色の髪を煌めかせて見つめてくる美女のまなざしをどう誤解したのか、イリミエは何度となく、横目と知らん顔を繰り返す。
結局、興味がないふりをすることに決めたのか、目をそらしたまま答えた。
「鑑定士が言うには、ある大貴族のために作られたものでしたが、没落の際に行方不明になって、盗賊ギルドに渡ったと言われていたらしいです」
話を横で聞いていたヴォーダンが、推測を差し挟む。
「盗賊ギルドとモメたりするのは、冒険者連中だ。そいつらにでも持ち出されたんだろうな」
そこで踵を返して口にしたひと言は、背にしたアヘヌスに言い捨てたもののようでもあった。
「せいぜい養生させるんだな、それ売った金で」
ヴォーダンの背中を見つめていたリーヴは、再び銅像を見上げると、呆れたように言った。
「満たされないうちが、一番幸せなんです」




