【58話】当たり前でいい
店を開く、と言っても――
誰でも入れるわけじゃない。
扉の前に掲げた看板には、こう書かれていた。
当店は紹介制です
エリシア王女の紹介状をお持ちの方のみ、ご入店ください
「……すごいですね」
開店初日、遊びに来ていたリネットが小さく呟いた。
店の外には人影がある。
だが、扉を叩く者はいない。
紹介状を持つ者だけが、静かに中へ入ってくる。
「量も、制限しています」
セラが淡々と説明する。
「石鹸は一人二個まで。入浴剤、化粧水、保湿液は一点ずつ」
「文句、出ませんか?」
「出ない」
俺が答えた。
「ここに来られる時点で、“そういう店”だと分かってる」
実際、客は静かだった。
値段を聞いて眉一つ動かさない。
在庫を見て、納得して帰る。
欲しいから来たのではない。
価値を理解したから来ている。
そんなある日のことだった。
王都を一人で歩いていた俺は、路地裏で倒れている少女を見つけた。
「……大丈夫か?」
返事はない。
腹の音だけが、正直に鳴っていた。
「空腹か……」
放っておく気にはなれず、店に連れ帰る。
簡単な食事を出すと、少女は涙目で食べ始めた。
「……ありがとうございます……」
落ち着いたところで、話を聞く。
「名前は?」
「フィオナ、です」
訳あってここに流れ着き、仕事もなく、金も尽きたらしい。
「……お願い、です」
フィオナは深く頭を下げた。
「何でもします……ここで、働かせてください……!」
少し迷ったが――
目は、真っ直ぐだった。
「店の仕事は、楽じゃないぞ」
「はい!」
即答だった。
結果から言えば――
当たりだった。
フィオナは物覚えが早い。
客の顔を覚えるのも、説明も正確。
何より、気配りが自然だ。
「次の方、どうぞ」
その声に、客が安心して店に入る。
「……助かってるな」
「はい」
セラも頷いた。
「良い縁、というものですね」
こうして、店は静かに回り始めた。
限られた客。
限られた商品。
限られた数。
だが――
確実に、王国内での居場所を作っていく。
(また一人、背負うものが増えたな)
そう思いながらも、
俺は店の様子を見渡す。
悪くない。
……むしろ、悪くないどころじゃない。
開店から数日。
店の流れも落ち着き始めた頃だった。
「トウマ」
聞き慣れた声に振り向くと、
そこに立っていたのは――リュカだった。
「……来たのか」
「王国から連絡があってね。それと、ドランから伝言」
軽く手を振りながら、店内を見渡す。
「随分と、静かな店」
「そういう方針だからな」
「らしいね」
短く笑ってから、リュカは本題に入った。
「ドランが言ってた。シャンプーとトリートメント――量産体制、確立できたって」
「……本当か」
「うん。ただし」
そこで言葉を切る。
「今まで王女や貴族に出してた品質。あれは、相変わらず少量生産が限界」
「だろうな」
「でも」
リュカは続けた。
「原料を調整して、工程を簡略化すれば、品質をかなり落とすことで量産は可能だって」
「……」
「香りも、効果も控えめ。でも、“今まで無かったもの”としては十分」
俺は黙ったまま、棚に並ぶ商品を見る。
「価格も、庶民が手を出せるくらいになる」
「王国としては?」
「前向き。衛生向上にもなるし、評判もいい」
リュカは、真っ直ぐ俺を見た。
「どうする?」
「貴族向けは、今まで通り限定。庶民向けは別ラインとして量産」
「……」
正直、悩んだ。
希少性。
価値。
今築いている“特別”という立場。
それを、自分から崩すことになる。
「ブランドが壊れる、って考えもあるよ」
リュカはあえて言った。
「“誰でも買える”ようになれば、今の扱いは変わる」
分かってる。
全部。
でも――
俺の頭に浮かんだのは、
路地裏で倒れていたフィオナの姿だった。
「……なあ、リュカ」
「なに?」
「風呂に入って、髪を洗って、さっぱりするってさ」
「うん」
「当たり前でいいんじゃないか」
一瞬、リュカは言葉を失った。
「……」
「貴族の贅沢は、贅沢でいい」
俺はそう続ける。
「でも、“清潔”まで特別扱いする理由はない」
「……決めたんだ」
「ああ」
俺は頷く。
「量産する。品質は落とす。でも、誤魔化しはしない」
「ドランに伝える?」
「ああ。できる範囲で、全力でやれって」
リュカは少しだけ笑った。
「……相変わらず」
「悪いか」
「ううん」
肩をすくめる。
「王女が気に入るわけね」
その頃、グレイフォルドの拠点では――ドランが黙々と、新しい工程表を書き直していた。
こうして、貴族のための逸品と、庶民のための日用品。
二つの流れが、同時に動き出す。
(また、広げちまったな……)
(でも)
(これでいい)
俺は、そう思うことにした。




