【54話】招待
それは、朝の仕込みが一段落した頃だった。
拠点の扉を叩く音。
出てみると、王宮の紋章が刻まれた封蝋が目に入る。
「……来たか」
差出人は、エリシア王女。
招待状だった。
場所は王宮。
名目は――試作品の確認。
「これは……正式な場ですわね」
セラが封を読み、静かに言う。
「ああ。断る理由もない」
「持っていくものは?」
俺は少し考え、答えた。
「約束した分の試作品一式。それから――」
視線を、工房の奥に向ける。
「……あれも、だ」
王宮へ向かう道中。
荷はいつもより多かった。
石鹸。
入浴剤。
化粧水と保湿液。
そして、木箱の奥に隠すように入れた――
まだ名前も付けていない試作品。
「本当に、出すの?」
リュカが小声で聞いてくる。
「様子見だ。ただし、条件次第」
セラは何も言わず、その箱を大切そうに抱えていた。
王宮の一室。
私的な応接間だ。
エリシア王女は、いつも通りの穏やかな笑みで迎えてくれた。
「お待ちしていました」
侍女たちが手際よく準備を整える。
既存の試作品は、すでに評価済みだ。
確認は形式的なものだった。
「やはり、素晴らしいですわ」
エリシアは満足そうに頷く。
「ですが……」
そこで、彼女は少し首を傾げた。
「今日は、少し様子が違いますわね?」
俺は視線をセラに送り、頷く。
セラが、例の箱を前に置いた。
「王女殿下。こちらは――まだ試作段階のものです」
「試作?」
「はい。正式な商品では、ありません」
エリシアの目が、わずかに輝いた。
「……聞かせてください」
俺は、短く説明する。
「髪を洗うためのものだ。汚れを落とし、その後、傷みを抑える」
「二つで一組?」
「ああ」
沈黙。
この世界では、髪は香油で整えるのが普通だ。
洗う、という発想自体が薄い。
エリシアはしばらく考え、そして言った。
「……試せますか?」
「もちろん」
試用後。
鏡の前で、エリシアは自分の髪をそっと触った。
「……軽い」
声が、自然と漏れる。
侍女たちも、ざわめきを抑えきれない。
「指が……通ります」
「香りが残りすぎない……?」
セラが静かに補足する。
「洗浄用と、整えるものを分けています。髪と頭皮への負担を減らすために」
エリシアは、ゆっくりと振り返った。
「……これは」
一拍置いて、はっきりと言った。
「今までの常識を、また一つ終わらせますわね」
俺は、内心で苦笑する。
(まだ“秘密”のつもりだったんだがな)
「正式な発注は、まだしません」
エリシアは続けた。
「ですが――王宮内での試用を許可してください」
それは、評価以前の段階。
だが、重い言葉だった。
「……分かった」
こうして。
湯。
肌。
そして――髪。
俺たちは、また一つ、
貴族社会の“当たり前”に手を伸ばした。




