【50話】偶然の取引
レインツの中心区画。
貴族や大商人の商会が軒を連ねる通りは、石畳の輝きからして違っていた。
「申し訳ありませんが――」
門番は俺とセラを一瞥し、形式的な笑みを浮かべる。
「当商会は、実績のない者との取引は行っておりません。
ましてや、お二人とも……その、ご年齢では」
遠回しだが、要するに門前払いだ。
「そう、ですか」
セラは一礼し、それ以上は食い下がらなかった。
通りを離れ、少し人目の少ない場所で足を止める。
「やっぱり紹介なしじゃ厳しいな」
俺が呟くと、セラは静かにうなずいた。
「ですが、品質には自信がありますわ。
いずれ必ず、向こうから頭を下げてきます」
その声は落ち着いていて、確信に満ちていた。
――その時。
「失礼」
背後から声がかかる。
振り返ると、そこには二人の女性が立っていた。
一人は落ち着いた雰囲気の侍女。年上で、隙のない所作。
もう一人は、年若い少女――だが、纏う空気が明らかに違う。
「それ……石鹸、ですの?」
少女の視線は、セラが持つ木箱に向けられていた。
「はい」
セラが一歩前に出る。
「私たちが作ったものです」
少女は侍女に目配せし、箱を受け取らせる。
中身を取り出し、香りを確かめるその仕草は、育ちの良さを隠そうともしない。
「……良いですわね」
ぽつりと、だが即断だった。
「おいくら?」
「一つ、こちらの値で」
セラが静かに金額を告げる。
少女は一瞬だけ目を細め、すぐに微笑んだ。
「では、その倍で」
俺が口を挟む前に、少女は言い切る。
「良いものですもの。
それくらいは、当然でしょう?」
侍女が無言でうなずき、財布を取り出す。
提示された金額は、完全に相場を逸脱していた。
「ここにある分、すべていただきますわ」
少女はそう言って、侍女に荷物を持たせた。
取引が終わり、立ち去る直前。
少女は振り返り、穏やかな笑みを向ける。
「また、必ずお会いしましょう」
それだけ言い残し、二人は人混みへと消えていった。
――数日後。
グレイフォルドの拠点前に、王国紋章を刻んだ馬車が止まった。
完全武装の護衛に囲まれ、あの日の侍女と少女が降り立つ。
「改めまして」
少女は一礼し、はっきりと名乗った。
「ルミナス王国第三王女、エリシア・ルミナスと申します」
あの“偶然の取引”が、王族との正式な縁に変わった瞬間だった。
グレイフォルドの拠点――
石造りだが派手さはなく、住居と工房を兼ねた建物の前に、王国紋章を刻んだ馬車が止まった。
ここは量産工場ではない。
俺たちが寝起きし、開発や改良を行う場所だ。
石鹸や拭き布の大量生産は、街外れに構えた別の工場で行っている。
「……ちょっと待って」
馬車から降りてきた人物を見た瞬間、リュカが完全に固まった。
「王女……?」
「え、今、王女って……?」
「はい」
セラが落ち着いた声で肯定する。
リュカは一拍置いてから、俺のほうを振り返った。
「トウマ」
「なんだ」
「説明を」
「レインツで石鹸売ってたら、たまたま」
「たまたまで王女と繋がらないで!」
一方。
「ドラン・ヴェルナーです」
ドランは余計な動作をせず、しかし失礼のない一礼をした。
「このような場所までお越しいただき、光栄です」
「こちらこそ」
エリシア王女は穏やかに微笑む。
「本日は、視察というほど堅いものではありませんわ」
拠点の中へ案内すると、エリシアは静かに周囲を見渡した。
生活の気配。
簡素な設備。
そして――奥に設けられた、試作開発用の小さな工房。
「ここが……」
エリシアは足を止める。
「あなた方が、新しいものを生み出す場所ですのね」
「はい」
セラが答える。
「量産は別の工場で行っています。こちらは、試作と改良が中心ですわ」
棚には、まだ正式に売り出していない品が並んでいる。
簡素な瓶。仮のラベル。
「これは?」
エリシアの視線が止まった。
「試作中の化粧水です」
「こちらが保湿液」
「香りが良く、疲労を和らげる入浴剤もございます」
セラが一つひとつ、落ち着いて説明する。
エリシアは侍女に目配せし、使用感を確かめさせた。
侍女は少量を手に取り、肌になじませ、香りを確認する。
「……問題ありません」
短く、だが即答だった。
エリシア自身も瓶を手に取り、わずかに目を細める。
「石鹸だけではないのですね」
「はい」
「しかも、これは……完成前でこの品質」
王女は迷いなく言った。
「こちらも、すべて買い取りますわ」
「試作段階ですが」
セラが念のために告げる。
「構いません」
エリシアは微笑む。
「良いものですもの。お値段は――まとめてこのくらいでどうでしょう」
「……ですよね」
リュカが小さく呟いた。
侍女が無言でうなずき、品を丁寧にまとめて持たせる。
「量産品については、後日あらためて工場のほうも拝見したいですわ」
エリシアはそう言って、俺たちを見る。
「その時は……正式なお話も、させていただきましょう」
馬車が去ったあと。
拠点の中には、しばらく沈黙が落ちた。
「……ねえ」
リュカがぽつりと言う。
「これ、もう私たち、“裏路地の商売”じゃないわよね」
「だろうな」
ドランは淡々と腕を組む。
「王族が足を運ぶ拠点になった時点で、格が変わった」
セラは静かに微笑んだ。
「トウマ様。ここは“作る場所”として、正しい形になりましたわね」
量産は工場で。
価値を生むのは、この拠点で。
王女の来訪は、
俺たちの立ち位置を、はっきりと変えていた。




