【20話】借り物の力
街を出て少し歩くと、石畳は途切れ、土の道に変わった。
周囲には背の低い草が広がり、遠くに小さな林が見える。
「薬草は、あの林の手前だったわね」
リュカが地図を見ながら言う。
俺は頷きつつ、周囲に視線を走らせた。
(……静かだな)
あまりにも平和で、逆に落ち着かない。
そんな違和感が、的中した。
「……来る」
リュカの声が低くなる。
次の瞬間、草むらが大きく揺れ、灰色の影が飛び出してきた。
「グギィッ!」
「ゴブリン……!」
小型とはいえ、短剣を持った魔物。
喉が、ひくりと鳴る。
(やば……どうする?)
頭では分かっている。
戦わなきゃいけない。逃げられない。
でも――
体が、動かなかった。
「トウマ、下がって!」
リュカが前に出る。
その背中が、やけに遠く見えた。
彼女が手をかざすと、淡い光が集まる。
詠唱も、技名もない。ただ、自然に。
「……っ!」
放たれた光が、ゴブリンの動きを鈍らせた。
「ギッ!?」
「今よ!」
リュカは一気に距離を詰め、続けざまに魔力を叩き込む。
光が弾け、ゴブリンが悲鳴を上げる。
俺は――
「……!」
剣を握っているのに、踏み出せない。
(何やってんだ、俺……!)
助けに行きたい。
でも、何をすればいいのか分からない。
魔法も使えない。
特別な力も、まだない。
ただ、立って見ているだけ。
「はぁっ!」
最後の一撃で、ゴブリンは地面に倒れ、霧のように消えた。
静寂が戻る。
「……終わったわ」
リュカが息を整えながら振り返る。
「トウマ、大丈夫?」
「あ……ああ」
そう答えたけど、胸の奥が重い。
(大丈夫なわけ、ないだろ……)
俺は、何もしていない。
「ごめん、私……勝手に全部やっちゃった」
リュカは少し申し訳なさそうに言う。
「いや……助かった。ありがとう」
それは本心だ。
でも同時に、どうしようもない感情が込み上げる。
(同じ日に測定して、同じ依頼を受けたのに)
(戦ったのは、リュカだけだ)
剣を握る手に、力が入る。
(俺は……足手まといじゃないか)
リュカはもう薬草の方へ向かっている。
その背中は、頼もしくて――遠い。
「……行こう。薬草、摘まないとな」
俺はそう言って、遅れて後を追った。
空は変わらず澄み渡っているのに、
胸の中だけが、妙に曇っていた。
(冒険者になったつもりでいたけど……)
(現実は、こんなものか)
初めての依頼。
初めての戦闘。
そこで突きつけられたのは――
リュカとの、はっきりとした差だった。
倒したゴブリンの痕跡が完全に消えたのを確認してから、俺たちは目的の薬草を探し始めた。
「えっと……この辺りに生えてるはずなんだけど」
リュカがしゃがみ込み、草をかき分ける。
俺も周囲を見渡しながら、指示された通りに探す。
(……薬草摘み自体は、問題ないな)
淡い緑色の葉。
特徴も事前に聞いていた通りで、迷うことはなかった。
「これで……依頼分は足りそうね」
籠の中を確認しながら、リュカが言う。
「ああ」
短く返事をする。
それ以上、言葉が続かない。
作業自体は順調だった。
危険もない。
なのに、空気だけが重かった。
(さっきのこと、触れない方がいいよな……)
でも、何も言わないのも変だ。
「……さっきは、助かった」
少し間を置いて、俺が口を開く。
リュカは一瞬だけ手を止め、すぐに笑った。
「気にしないで。初めてなんだから、ああいうこともあるよ」
その言い方が、妙に優しくて。
(余計、刺さるんだよ……)
「じゃあ、帰ろっか」
薬草を詰め終えると、リュカはそう言って立ち上がった。
俺も頷き、帰路につく。
街へ戻る道は、行きよりも静かだった。
「……依頼、無事終わったね」
リュカが話題を探すように言う。
「ああ、初依頼としては……成功、だな」
言葉は合っているはずなのに、どこか空虚だ。
「トウマは、怖くなかった?」
「……正直、怖かった」
嘘はつかなかった。
「そっか。でも、生きて帰れたし――」
リュカは言いかけて、口をつぐむ。
お互いに、分かっている。
言葉にしなくても。
俺が戦えていないこと。
リュカに頼りきりだったこと。
沈黙が続く。
足音だけが、やけに大きく聞こえた。
(気まずいな……)
嫌な空気を作りたいわけじゃない。
でも、どう振る舞えばいいのか分からない。
街の門が見えてきた頃、リュカが小さく息を吐いた。
「……トウマ」
「ん?」
「無理しなくていいからね」
それは、励ましの言葉だったはずだ。
でも今の俺には――
自分が「弱い側」だと、改めて突きつけられた気がした。
「……ああ」
短く答えるしかなかった。
門をくぐると、いつもの街の喧騒が耳に戻ってくる。
それでも、胸の中のざわつきは消えなかった。
(俺は、このままでいいのか)
薬草摘みは成功。
初依頼も、達成。
それなのに――
俺の中には、達成感よりも、重たいものだけが残っていた。
ギルドへの帰り道、リュカを先に宿に帰す。
一人になって、ようやく呼吸が浅くなっていることに気づいた。
(……何やってたんだ、俺)
頭の中で、さっきの光景が何度も繰り返される。
小型モンスターが現れた瞬間。
俺は、動けなかった。
剣を握っていたはずなのに、距離感も、踏み込みのタイミングも分からない。
叫ぼうとして、声すら出なかった。
――代わりに前に出たのは、リュカだった。
迷いのない詠唱。
躊躇のない一撃。
光が走り、モンスターは倒れた。
(……俺は)
その間、何をしていた?
後ろに立って、ただ見ていただけだ。
危険を知らせることも、隙を作ることもできなかった。
「冒険者」なんて名乗っていい立場じゃない。
(ノートがなかったら)
考えたくないのに、思考がそこに吸い寄せられる。
ノートがなければ、俺は何もできない。
武器も、技も、戦う力も――全部、あれ任せだ。
じゃあ、今日はどうだった?
(……使わなかったら、何もできなかった)
それが現実だ。
リュカは、ノートがなくても戦えた。
魔法適性も、判断力も、度胸もある。
俺は?
(闇属性に適性がある、って言われたけど)
それだけだ。
使い方も分からない。
魔法陣も描けない。
敵を前にして、体が固まる。
(結局――)
ノートがなければ、俺は村の外に出てはいけなかったんじゃないか。
冒険者になる資格も、
隣に立つ資格も、
本当は、なかったんじゃないか。
胸の奥が、じくじくと痛む。
リュカが何も言わなかったのが、余計につらい。
気を遣われているのが、分かるから。
(このままじゃ)
いつか、置いていかれる。
ノートの力で一時的に並べたとしても、
それは「俺の力」じゃない。
借り物だ。
黒歴史の残骸だ。
(……それでも)
それでも、俺には――それしかない。
ノートがなければ、何もできない。
でも、ノートがあるから、ここに立っている。
その事実だけが、重く、確かだった。
「……くそ」
誰もいない路地で、小さく呟く。
悔しいのか。
情けないのか。
それすら、もう分からなかった。
ただ一つだけ、はっきりしている。
(このままじゃ、ダメだ)
ノートに頼らずに戦えるようになるのか。
それとも、ノートを「使いこなす」覚悟を決めるのか。
どちらにせよ――
逃げたままじゃ、前に進めない。
夜風が、頬を冷やした。
冒険者になったばかりの俺は、
最初の依頼で、はっきりと現実を突きつけられていた。
――ノートの力がなければ、俺は空っぽだ。
でも、その事実から目を逸らさなかったことだけは、
ほんの少しだけ、救いだった。




