【17話】祝福は、だいたい空気を読まない
街へ続く道は、前よりも長く感じた。
振り返れば、もう村は見えない。
畑も、柵も、見慣れた屋根も、全部――遠い。
「……本当に、出てきちゃったね」
リュカがぽつりと言った。
「うん」
俺も、同じ方向を見たまま答える。
決意して出たはずなのに、胸の奥にあるのは高揚よりも静けさだった。
置いてきたものの重さを、今さら実感している。
「さ」
リュカが少しだけ笑う。
「思ったより、あっさりだったと思わない?」
「思う」
「もっと……こう、ドラマチックかと思ってた」
「母さん、泣かなかったしな」
「私の両親も、普通に送り出してきたし」
それが逆に、効く。
冒険者だった父さん。
冒険の途中で命を落としたと、俺は聞かされている。
だからこそ――
あんなふうに、何も言わず見送られると、背中が少しだけ重くなる。
「……戻ってこられるといいね」
リュカが言った。
「戻るよ」
俺は即答した。
「絶対」
その言葉に、リュカは何も返さなかったけれど、歩調をほんの少しだけ速めた。
しばらく歩いたところで、胸元がじんわりと温かくなる。
「……来たな」
この感覚には、もう慣れた。
俺は立ち止まり、ノートを取り出す。
風もないのに、ページが勝手にめくれた。
白紙だったはずのページに、文字が浮かび上がる。
『※条件達成を確認』
「条件?」
「何の?」
次の瞬間、ページの中央が淡く光った。
そして――
ぽん、と。
音もなく、地面に何かが落ちた。
「……服?」
「服ね」
俺の足元に現れたのは、一式揃った衣装だった。
その横に、仮面が置かれている。
白い――いや、正確には白に近い無色。
光を反射しているはずなのに、どこか輪郭が曖昧で、見つめていると焦点がずれる。
手に取ると、思ったより軽い。
陶器や金属のような冷たさはなく、触れた瞬間に体温に馴染んだ。
「……仮面、だよな?」
形は単純だった。
顔の上半分だけを覆う設計で、口元は露出している。
表情を完全に隠すわけじゃないのに、目元だけが深く影になる。
不思議なのは、目の部分だ。
穴が空いているだけのはずなのに、覗き込むと奥が暗く、底が見えない。
「つける側の顔を、消すつもりか……?」
冗談めかして呟いたが、胸の奥がわずかにざわついた。
裏側には、細い線が刻まれている。
文字でも模様でもない、意味を持たないはずの線――
なのに、ノートのページと同じ気配をまとっていた。
説明はない。
効果も書かれていない。
それでも、なぜか分かる。
これをつけている間、
俺は「トウマ」じゃなくなる。
村の誰かでも、母さんの息子でもない。
ただの冒険者。あるいは――名もない存在。
「……人前で切り札を切る時用、ってことか」
俺はそっとマスクを置いた。
今すぐ使うつもりはない。
けれど、必要な時が来ることだけは、確信していた。
深い色合いの上着は、光の当たり方で微妙に表情を変える。
布地は見た目よりずっと軽く、触れると指先が滑るようだった。
要所には細い装飾紐と金属製の留め具。
無駄に洗練されている。
動きやすそうなのに、安っぽさはない。
むしろ――
「……やたら、かっこよくないか?」
体に自然に沿う形で、肩や腰回りは補強されているようにも見える。
戦闘服というより、「冒険者として外に出るための正装」に近かった。
「やけに……凝ってるな」
「普段着ではないわね」
戦闘用かと言われると怪しい。
けれど、旅人の服としては異様な存在感があった。
続いて、もう一度光が走る。
今度は、リュカの前に。
「……ちょっと」
彼女が目を細める。
「私の方、さらに派手じゃない?」
淡い色合いの外套に、流れるような刺繍。
動くたびに布が揺れ、光を受けてきらりと反射する。
腰元には細身のベルト。
袖口や裾には、意味ありげな紋様。
そして、その上に添えられていたのは――
「……マスク?」
顔の上半分を覆う、シンプルな白い仮面。
表情はなく、余計な装飾もない。
ただ、目の部分だけがわずかに影を落としている。
「正体、隠せってことか……?」
俺が呟くと、リュカは服を持ち上げ、くるりと眺めた。
「完全に“見せる”前提ね」
「うん」
ノートの端に、追記が浮かぶ。
『※祝福(簡易)』
『※外見補正:高』
『※実用性:未保証』
「未保証って何だよ……」
「見た目負け……?」
それでも、二着とも確かに魔力を帯びていた。
近づけるだけで、空気がわずかに張りつめる。
「……お祝い、なんだろうな」
俺は言った。
「冒険者になるって決めたことに?」
「たぶん」
リュカは自分の服を見下ろし、少しだけ困ったように笑う。
「感傷に浸ってるところに、これはズルくない?」
「空気、読まないよな」
「でも――」
一拍置いて。
「デザインは置いといて……こういうサプライズは嫌いじゃないわ」
俺も、同じだった。
――どうやら、戻れないところまで来たらしい。
街は、もう遠くない。
名乗らない落ちこぼれは、次の世界へ向かって歩き出す。
祝福は、やっぱり――
少しだけ、空気を読まなかった。




