1-25 何のために迷宮へと潜るのか
「――ロイドは、どうして迷宮に潜っているの?」
それがいつのことだったのか、もう覚えていない。
アリサは蠱惑的な笑みを浮かべて、俺にそんな問いかけをした。
「……何でわざわざ、そんなことを?」
「だってロイドは、あたしやレックスみたいに使命があるわけじゃないでしょ?」
「それを言ったら、アルダスやディートリヒだってそうだろ」
「……アルダスは、あたしのためだって言ってた」
アリサはさらりと金髪を揺らしながら、微笑を浮かべてそんなことを言う。
アルダスはよく笑う道化のような男だった。その頃は――つまり、アリサが死ぬまでは。
彼はアリサに惚れていることを明言していたし、幾度フラれてもめげなかった。
「よく自分で言えるな?」
「あたしは可愛いからね。ロイドもそう思うでしょう?」
「……顔はな」
「あっ、ひどい。ロイドはいじわるだね」
うるうると瞳に涙を浮かべて不満を訴えるアリサを、
「あざとい」
俺は一言で切り捨てた。それをアリサも分かっていたのか、あっさりと表情を戻す。
「……ディートリヒは、己の価値を証明するため、だって」
それは俺も知っている。
貴族の複雑な政治闘争に巻き込まれ、子供の身にして捨てられた彼は冒険者となった。
それ以外に手段がなかった。
――ディートリヒはそれまで落ちこぼれと呼ばれていたらしい。
魔力量も少なく、騎士としての訓練では誰にも勝てず、優秀なのは勉強面だけ。
だから政治闘争に巻き込まれた際、自分を産んだ家族に、リスクを受け入れてまで抱え込んでおく価値がないとされ、密かにそこらの街へと放り出された。
表向きは死んだことになっていたから、生かしたことはせめてもの恩情なのだろう。
ディートリヒにとって、そんなことは知ったことではないだろうけれど。
「別に、過ぎたことを気にしているわけじゃないんだ」
彼はいつか、遠い目をしながら淡々と言っていた記憶がある。
「ただ――僕は、僕自身が、僕がここにいる価値を認められるようになりたい」
だから迷宮を攻略し、彼らにとっては死んだはずのこの名前を轟かせるのだ、と。
「……だから、ロイドのことも気になったんだ」
ディートリヒの言葉を思い出していた俺に、アリサは尋ねる。
「ロイドは、何を求めているのか」
「俺は――」
◇
大迷宮マルグスリア地下一階層。
時刻は夜。迷宮を仄かに照らす発光石の働きは弱くなり、内部はほとんど暗闇だった。
俺は支援術で視力を強化して、迷宮内を歩き出す。
――迷宮の『夜』は初心者にはお勧めしない、と数日前サラにそう言った。
単純に、情報の大部分を視覚に頼っている人間には危険度が高すぎるからだ。
遠征などの状況でも、基本的に夜は一か所に固まって動かない。どうしても戦いを避けられない時は俺の視覚強化の支援術をかけてから戦っていた。
支援術師がいないパーティは、松明を使うか、魔法使いが火で照らすなどの方法で凌いでいるようだが、敵にバレやすくなるし、魔力消費を考えれば効率は悪い。
地下一階層のマップは脳に染み付いている。
どこでモンスターが出現しやすいか、なども感覚として覚えている。
――仲間が見つからずにソロで潜っていた頃、俺は一、二階層が限界だったからだ。
だから、強くなってどんどん奥へと進む連中の誰よりも、俺はここを知っている。
たとえば。
この広々とした交差路では、単体の小鬼と接敵しやすいこと。
小鬼は二、三体の群れで現れることが多いけれど、経験上ここでは、単体で出現することが多い。なぜかは知らないし、興味もない。
ただ一つ言えることは、単体であるなら支援術師の俺でも倒せるということだ。
俺は懐から短剣を抜き出し、支援術行使の補助に使う杖を放り投げた。
言葉と同時。奥の通路から姿を見せたのは、醜悪な顔つきをした緑色の小人。
――小鬼と呼称される最弱のモンスター。
「よう、怪物。最弱同士、仲良くやろうぜ」
言葉は分からないけれど挑発の意図は伝わったのか、小鬼は鳴き声を上げて突っ込んでくる。手に持つ棍棒を振りかぶり、俺に向かって振り下ろした。
俺はひらりと体を振って回避する。小鬼の鈍重な動きなら俺でも対処できる。
そうでなくとも回避技術だけは必要に迫られ、経験を積んで少しずつ向上していった。
上層のモンスターなら、ダメージを受けずに時間稼ぎぐらいはこなせるだろう。
――だが、倒せ、となると話は別だ。
俺は短剣を手に、小鬼と真正面から相対する。
一撃でいい。腹に短剣を叩き込めば、後は体格差で押し込んで終わりだ。
それだけの話。けれど俺には難しい話。
ごくり、と唾を呑んだ、その時。
通路の奥から、もう二体の小鬼が追加で出現した。
顔が歪む。稀に、こういう事態が起こることも知っていた。経験していたから。
そういった時の俺は、いつも撤退していた。
一人では複数の小鬼に勝てないと諦めていたから。
「お――」
けれど、これは確かめなければならないことだったから。
「――おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!」
死闘が始まった。
短剣を斬りつけて、棍棒で殴りつけられて、倒れずに蹴りを叩き込む。
泥臭い戦いだった。レベルの低い戦いだった。
他の冒険者が見れば思わず笑ってしまうだろう。そのぐらい俺の近接戦は拙かった。
けれど俺は死に物狂いだった。
たかが三体の小鬼を相手に、命懸けの戦いを挑んでいた。俺は挑戦者だった。
体にバフを重ね掛けして、小鬼たちにデバフをかけ、どうにか有利をもぎとっていく。
それでも圧倒はできず、体中に棍棒で殴られた痣が増えていく。
今更、情けないとは思わなかった。
――こんなものだ。俺の実力なんて、所詮はこんなものだ。
最弱の冒険者は伊達じゃない。支援術師だから、で言い訳になる程度の弱さじゃない。
俺はどこまでいっても一人では戦えないのだ、絶対に。
それを勘違いしてはいけない。だから、こんな行いに意味などない、本来は。
だから、この戦いは儀式のようなものだった。
俺が、俺自身の可能性を見捨てるための戦いだった。
仲間のおかげで強くなった気がしたところで、本来の俺はこのレベルの雑魚だと、だから冒険者を諦めた方が利口なのだと、そうやって自分を納得させるための戦いだった。
――少なくとも、そのはずだった。
咆哮する。獣のように。すると小鬼たちの咆哮が、気迫として俺に突き刺さった。
その瞳は真剣だ。真剣に、敵である人間を殺し、生き残ろうとしている。
たとえ最弱のモンスターと呼ばれようと、大抵の冒険者にとっては邪魔なだけの怪物だろうと、彼らだって今ここで生きているのだ。
生死を懸けた戦いに真剣なのは当たり前だった。
死に物狂いで、小鬼に短剣を当てる。攻撃をかわし、下手に囲まれる前に詰める。
歯を食いしばった。
――可能性を、信じたかった。
俺の心にもまだ、無謀ではなく臆病でもない勇気の灯が残っていると思いたかった。
「アリサ……!」
今はもうこの世にいない彼女の名を呟く。
かつて、俺は彼女が放ったあの質問にこう答えた。
「憧れている人がいる。その人に追いつきたいし、追い越したいんだ」
子供の頃の夢を。
今もなお変わらないただ純粋な憧れを口にした。
「――その人に、迷宮の攻略を託された。だから俺は、挑み続ける」
それは正確に言えば俺ではなく、次の世代となる冒険者全員に向けられた言葉だったけれど、俺にとっては関係なかった。どのみち、俺が果たすつもりだったから。
それを聞いたアリサは一瞬だけ、きょとんと目を見開いたけれど、
「ふふ」
直後に、微笑で表情を崩した。
「叶うといいね」
――ああ、そうか。
意識が朦朧としていた。地面に手をついて咳き込み、そのまま倒れ込む。
「やっぱり、俺には、無理だったか……」
どれだけ才能がないと痛感しても。
どれだけ自分の弱さと、臆病さから逃げたくなっても。
どれだけ仲間の死という現実から、目を逸らしたくなったとしても。
――諦めることなんて、俺にはどうしてもできなかった。
周囲には三体の小鬼が倒れ込んでいたが、すぐに光となって消えていった。
後には質の悪そうな魔石だけが残っている。
何が冒険者を辞める、だ。どうせ辞められはしないと心の内では分かっていたくせに。
憧れは捨てられない。ならば最初からやり直そう。
もう周りにはあの頃の仲間たちはいないし、隣には蒼い髪の少女もいないけれど。
――一から、冒険者になろうと俺はそう決めた。
掲げた拳を握り締め、俺は呟く。
「……ごめんな、サラ」
「謝られても困るんだけどな、悪いのはわたしだし」
そんなことはない。
いや、リーダーの指示を無視されるのは確かに困るけれど――って。
目を見開くと、視界に映ったのは空のように蒼い髪の少女。
宝石のように澄んだ瞳が、俺を見下ろしている。
「……サラ」
「随分と、傷だらけだね。生きてて良かったけど」
「何でここに」
もう戻ってはこないと思っていたのに。
「リースが教えてくれたんだ……っていうより、助けてほしいって言われたんだ」
まったくもう、と呆れと優しさが入り混じった表情で。
「探索用の装備を身に着けて一人で迷宮に向かったことを。……あの人はまた無茶をするつもりだからって」
「……」
随分と心配をかけていたらしい。
リースにも、サラにも。
サラは俺の体を軽く背負うと、足をずるずると引きずりながら入り口に戻ろうとする。
「いや、お前、ちょ……流石に歩けるから!」
俺は慌ててサラを引きはがし、自分の足で立った。
……ぶっちゃけ大分きついけど、サラに背負われるよりは絵面的にマシだろう。
「無理しなくても、運んであげるのに」
「いや身長差を考えろ」
「?」
サラは純真な瞳で小首を傾げている。
どうやら俺の面子とか、そういう点は考慮に入らないらしい。
嘆息しつつ、俺は言った。
「サラ」
「何かな?」
「どうやら、俺は冒険者を諦めきれないらしい」
「そうだね。あれだけきっぱり宣言しておきながら」
「……なんか辛辣だな」
「あはは、気のせいだよ! ――それで?」
俺の問いを待つ、彼女の姿を見る。
「もし、お前の気が向いたらでいいんだが――」
手を伸ばす。真っ直ぐ、サラに向けて。
もう迷わない。俺は新しい道を歩んでいくと決めた。
けれど、支援術師は一人では戦えない。信頼できる仲間が必要だ。
これは俺のわがままだけれど、新しい仲間の一人目がサラだったら嬉しい。
その未成熟だけれども大きな才能を、俺が支えてやりたいと思ったから。
「――もう一度だけ、俺とパーティを組んでくれないか?」
すると、サラは満開に咲いた華のような笑みを浮かべて、こう答えた。
「……うん。喜んで」
――今度はわたしが、ロイドを支えてあげるんだ、と。
なぜか思っていた構想とは逆のことを言われたけれど。
「……っていうかお前こそ、あれだけきっぱりとパーティ解散宣言しておいて普通に……」
「ご、ごめん……それは、熱くなっちゃって……その、ごめん……」
何だかお互いにバツが悪い感じになったけれど、その締まらなさも俺らしいと言えばその通りだった。




