1-26 覚醒種
――迷宮地下十階層。それはまだ上層といわれる領域。
駆け出しの冒険者たちが、徐々に研鑽をしていくはずの場所で。
――暴虐の嵐が展開されていた。
「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッッ!!」
咆哮しているのは、猪のような顔つきをした半人半獣の怪物――猪人。
本来ならば中層にいるはずのないモンスター。
だが。
それだけでは留まらない。
「強い……! この、赤い猪人……!」
中堅冒険者パーティ『勝利の旗』のリーダー、ミランダは叫びを上げた。
彼女らは仮にも中堅を名乗り、中層を狩場としているパーティだ。つまり猪人など、腐るほど戦ったことがある。三体までなら同時に相手にしても危なげなく勝てる。それは自身ではなく、経験に基づく単なる事実だ。
だというのに今、たった一体の赤い猪人に彼女らは追い詰められている。
明らかな異常事態。
ミランダはこの目で見てなお、信じがたい事態だと思っていた。
「信じ、られねえ……!?」
タンクの青年が赤い猪人のパワーに押し負け、吹き飛ばされる。
ヒーラーの少女は慌てて彼に駆け寄り、治癒をかけつつ肩を貸した。
「これが、モンスターの覚醒種とやらの力ですか……!?」
これまでに何度か斬りつけたものの、堅い赤の剛毛には傷一つ見受けられない。
有効打は与えられていなかった。このままではじり貧だ。
その様子を見て、リーダーのミランダは決断する。
「……撤退、します。もとより私たちの仕事の第一目標は討伐じゃない」
「でも、こいつは、放っておいたら……!?」
「けれど、私たちだけではどうにもならない。死にたくはないでしょう……!?」
恐慌するパーティの面々に対して。
赤い猪人は悠然と佇み、その威容を示すかのように再び咆哮を上げた。
◇
――一方、その頃。
冒険者ギルド三階。ギルドマスターの執務室にて。
冒険者パーティ『勇気あるもの』のタンク、ディートリヒは妙な情報を耳にしていた。
「赤い猪人……?」
「目撃情報が一つあっただけで、確認は取れてないがね」
相対しているのは、白髪を撫でつけている壮年の男性だった。
――冒険者ギルドマスター、ワイアット。
元『未来を切り拓く星々』のサブリーダーにして伝説の一角だ。
疲れているのか目の下のくまが目立つけれど、表面上は普通に話している。
「だが今回の騒動を鑑みれば、確かにそれは考えられる」
「――覚醒種、ですか」
「そうだ」
モンスターの覚醒種。
それは倒した人間をたくさん喰らうことで《覚醒》し、その種ではありえない強さを手に入れたモンスターを総称する。
モンスターは基本的に、人間から魔力を得るために襲いかかってくる。そして肉体を食うことで魔力を手にし、体の核となる魔石の質を向上させる。
一人、二人を喰らった程度のモンスターであれば若干強いと感じる程度で大差はないのだが、喰らった数が十数人になってくると、同じ種のモンスターでもかなりの力量差があるし――たまに、壁を越えて《覚醒》と呼ばれる現象を起こす場合があるのだ。
《覚醒》したモンスターは、それまでとは比べ物にならない力を手にし、体の色や部位などが変化し、基本的に階層移動はしないというモンスターの原則を越えて暴れ始める。
モンスターが階層移動はしない理由は、生まれた階層の魔力濃度が最もそのモンスターに適しているから――などの理由が考えられているが、それはともかく。
「では、『奇跡の縁』などが上層で猪人に襲われた理由、つまり中層に棲むモンスターであるはずの猪人の群れが、上層に昇ってきた理由は……」
「その猪人の覚醒種から逃げてきた、というのが最もつじつまが合うだろうね」
淡々とした口調でワイアットは言う。その間にも何かしらの書類にサインを続けていた。
「覚醒種に常識は通用しない。通常、モンスター同士が争うことはないが、覚醒種は話が別だ。たとえ相手が同種であろうと無差別に暴れ回る」
「危険、ですね。猪人を上層へと逃げさせる覚醒種を放っておけば、上層で冒険者の被害が増えるかもしれない。そうなれば、新たな覚醒種を生み出しかねない。それに」
「――覚醒種自身が、どんどん上層に昇ってくる可能性もある。下手をすれば、地上まで」
言いながら、ワイアットの手が止まった。
下の階層で、一気にざわめきが増した音を感知したからだ。
「中堅パーティ『勝利の旗』に、その覚醒種の目撃情報を確認する依頼を出してある」
「……なら、このざわめきは」
「おそらくは、そういうことだろう……一応、『勇気あるもの』の出撃準備を頼めるか?」
「今、動けるのは僕とイリスだけです。レックスとエルはどこかに出かけているし、アルダスもどこかで酒を呑んでいるはず。時間はかかりますが……」
「すまない。夜に準備を頼むのが難しいことは分かっている。……が、念のためだ」
ディートリヒにはワイアットの警戒の意味がよく分かっていた。
猪人の覚醒種となると、実力は間違いなく下層クラス。
そうなると、安全に倒すためには一流パーティを使うのが安全だ。
しかし『愚者の王』は最近、遠征をしたばかりでメンバーは休暇中。リーダーのフレイザー以外は、そもそもこの街にいないはずだ。
そして『天空の翼』は、そもそもが神出鬼没。今どこにいるかも分からない。
となれば『勇気あるもの』に頼らざるを得ないのだろう。
ワイアットは面倒ごとの気配に嘆息しつつも、ディートリヒに礼を言った。
「ともあれ緊急クエストの達成、感謝する。猪人七体を討伐し、二か所で襲われていた冒険者パーティ『奇跡の縁』と『赤の槍』を救った報酬はカウンターで受け取りたまえ」
頷き、ディートリヒは執務室から退出する。
すれ違うようにギルドの職員が執務室へと向かった。
おそらく一階での騒動で入手した情報を伝えに行ったのだろう。
――そしてディートリヒも一階まで下りると、予想以上に緊張した雰囲気が漂っていた。
◇
俺は冒険者ギルドに戻っていた。
サラと二人で――というわけではない。
俺たちの横に立っているのは、中堅冒険者パーティ『勝利の旗』、総勢六人。
彼らは傷だらけだが、倒れている者は辛うじていない。
ギルドに戻ってからもヒーラーの少女が治癒をかけていた。
先ほどまでざわついていたギルド内は、一気に静まり返っている。
それは『勝利の旗』がギルドに届けた報告のせいだ。
にわかには信じがたい情報。赤い猪人の覚醒種――それが、地上を目指している。
「いくら覚醒種とはいえ、モンスターが地上を目指す……そんなことが本当にあるのか?」
彼らの話が本当なら、俺たちが上層で猪人と遭遇したことも確かに頷ける。
「ど、どうするんだよ……」
誰かが、呟いた。
「今は夜だぞ。ここには一流パーティはいない。猪人の覚醒種を倒せる面子を集めるまでには、相当な時間がかかりそうだけど……」
「――待っていたら、間に合わない。それだけは確実だ」
パーティ『勝利の旗』のリーダー、魔法使いのミランダは冷然とした口調で告げる。
落ち着こうとはしているものの、焦っていることは明らかだった。
その時。誰かが足音と共に、二階から下りてきた。
皆の視線が、その美青年に向けられる。
彼は注目に慣れているのか、相変わらず落ち着いた口調で言った。
「――話は聞いている」
ディートリヒ。『勇気あるもの』のタンク。彼ならば、と皆の期待が集まる。
「僕が『勇気あるもの』の面子を集めてくる。それまで、君たちで耐えてほしい」
「そんな……!?」
「ディートリヒさんでは、倒せないんですか!?」
「猪人の覚醒種ともなると下層クラスであることは間違いない。それに『勝利の旗』が一度撤退するほどの相手。僕だけでは無理だ」
「お前が俺たちに協力してくれた方が、安全じゃないのか?」
俺が言うと、僅かに周囲がざわつく。
ディートリヒは意外そうに俺を見ると、横のサラを見て僅かに頬を緩めた。
「確かにそうだ。けれど、この面子だと――決定打が足りない」
周囲を見回して彼は言った。
……なるほど。確かに猪人の覚醒種なら、堅い剛毛がさらに強化されているはず。
中堅レベルの魔法や剣技では有効打を与えられないかもしれない。
ここにいるのは、ほとんどが新人や上層クラスの底辺冒険者たち。
辛うじて戦力になりそうなのは、『勝利の旗』、それと『奇跡の縁』……だろうか。
俺たちと共にレックスたちに助けられた彼らも、たまたま居合わせたらしい。
「僕はタンクだ。耐えることはできるが、下層クラスのモンスターに決定打は与えられない。それに、レックスたちの居場所を推測できるのは僕だけだ」
ギルド内は、静まり返る。ディートリヒの言葉は正論だった。
「大丈夫だよ。数十分もあれば戻ってくる」
「私たちは逃げましたが、最後に確認したのは八階層です。時間を考えれば、そろそろ四階層あたりに辿り着いていてもおかしくない……!」
ミランダは怯えを隠すような口調で叫ぶ。
どうやら十数分は自分たちで耐える必要がありそうだった。
「――ロイド。君が指揮をするんだ。君の支援があれば、覚醒種相手でも時間を稼げる」
「分かった」
ディートリヒの言葉で周囲がざわつくが、俺は視線で黙らせた。
「文句がある奴はいるか? 俺より実績がある奴がここにいるなら、そいつに任せる」
どうやら誰もいないようだった。
仲間割れしている時間はなさそうだ。迅速に編成と作戦を練らないと。
――この街は、俺の故郷だ。
冒険者としての誇りもある。みすみすとモンスターを地上に出すわけにはいかない。
「頼む」
ディートリヒはそう言って、夜の街へと消えていった。
「サラ」
「なぁに?」
「パーティ再結成早々ですまんが、さっそく仕事だ」
「了解!」
笑みと共に頷くサラを見てから、俺は周囲を見回す。
すると、
「ロイドさん! 俺たちにも手伝わせてください!」
俺を囲む輪からどたどたと歩み出てきたのは、パーティ『奇跡の縁』の面々だ。
「お前ら……」
「すみません。猪人にも苦戦していた程度じゃ、足を引っ張るかもしれませんが、俺たちを助けてくれたあんたの力になりたい……!」
それは違う。俺はお前たちを見捨てようとした。
お前たちを助けたのはサラと、『勇気あるもの』だ。少なくとも俺じゃない。
「迷宮内での出来事は冒険者の自己責任。死にかけていたとしても、見捨てるのが当たり前。その中で、あんたたちみたいな連中は貴重だ。だから、力になりたい……!」
「……感謝なら、サラにしてくれ」
リーダーのバートは、俺の瞳を見据えて言う。
「仮にあんたの指示じゃなかったとしても、俺たちからすれば結果だけがすべてだ」
だから目を逸らせなかった。
「……ああ、分かった。協力してくれ。お前らの力が必要だ」
「よし、何でも言ってくれ!」
『奇跡の縁』との話し合いが成立したところで、俺は『勝利の旗』に目を向ける。
リーダーのミランダは、金髪をサイドテールにした背の高い少女だ。
その碧眼の瞳からは緊張していることが窺えるが、俺と目が合うと口を開いた。
「……街を守るのは冒険者の義務。私たちにも協力させてください」
「傷は大丈夫か?」
「はい。だいたいの傷は癒えました」
ミランダはちらりと後方を一瞥してから答えた。
あの分だとヒーラーの魔力はかなり消費してそうだが、メンバーの傷は大丈夫そうだ。
周囲を見回すが、やはり戦力になるのはこの面子ぐらいか。
「よし……下に行ってから作戦を練るぞ。こうしている間に地上に出てこられたら、それほど間抜けなことはないからな」
若干ふらつくけれど、首を振って意識を取り戻す。
要は時間さえ稼げばいいのだ。
いくら下層クラスの敵とはいえ、決して不可能じゃない。
「……サラ、頼りにしてるぞ」
「うん。わたしたちで、街を守ろう」
その後、ギルドの受付嬢と緊急クエスト発令などの手続きを簡潔に済ました後、俺たちは地下一階層に潜った。
階段を降り、広い洞穴の中に降り立つと、下の方から振動が聞こえてくる。
やはり数年に一度クラスの異常事態が、迷宮内で起こっているらしい。
「――迎え撃つぞ」
士気を上げるために強い口調で言うと、皆は頷き返してくれた。




