1-27 赤い猪人
暗い、闇の中だった。
迷宮地下一階層。洞穴の内部で、俺は呟く。
「我らが目に光を灯す助けとなれ――《ビジュアルエディス》」
松明を使おうとしていた者たちを静止し、視覚補助の支援術を使う。
すると「おお……っ!」という歓声が湧いた。
最近は支援術師の数も少ないから、支援術の恩恵を受けるのが新鮮なのだろう。
それか単純に、『夜』の戦闘を経験したことがないのか。一流パーティのように下層への遠征をしないのだから、わざわざ視界が取れない『夜』に潜る意味はない。
――下の階層から、断続的に猪人の咆哮が聞こえてくる。
この分だと、もう地下二、三階層まで迫ってきているのか。
ともあれ俺はある程度歩くと、上下左右にそこそこの広さがある広間で足を止めた。
足場も平面で悪くない。
せっかく人数で勝っているのだから、狭いところで戦う理由はない。
赤い猪人を半円状に包囲して、一定の距離を取って戦いつつ、時間を稼ぐ。
「ここを防衛ラインにする」
『奇跡の縁』は前衛二人、中衛一人、後衛二人の五人構成。
『勝利の旗』は前衛三人、中衛二人、後衛一人の六人構成。
俺たちは言うまでもなく、前衛一人、後衛一人の二人構成だ。
作戦はシンプルだ。というより、即席レイドではシンプルにするしかない。
おそらくレイド戦の経験があるのは俺一人だろう。
複雑な作戦を練ったところで連携など取れはしないのだから。
「……半円状に包囲し、魔法使いは遠距離から火力を集中させろ」
集まった面子の視線を受け、俺は淡々と言う。
作戦に自信があるわけではないけれど、指揮官の動揺は士気に影響する。
「ヒーラーは随時回復。中衛や前衛のアタッカーは基本ヒットアンドアウェイ。どちらかと言えば引き気味に戦い、魔法使いの射線に入らないようにしろ」
「……それだと、アタッカーよりも魔法使いの方が狙われやすくなりませんか?」
ミランダは厳しい表情で尋ねてきた。
文句というよりも、生き残るために疑問を潰しておきたいといった感じだ。
彼女の言葉は正しい。この戦法だと後衛がヘイトを買いやすくなる。
「そのためにタンクがいる」
俺は『奇跡の縁』と『勝利の旗』、それぞれの盾剣士、クラッサとケインに目を向ける。
「……お前たちは慎重に戦ってほしい。攻撃は考えなくていい。ただ潰されないことを考えてくれ。お前たちが落ちたら終わりだと思え」
「ああ」
「了解した」
力強く頷き返してくれる二人の青年。
だが、ミランダの疑問は解消していないようだった。
当然だ。タンクの存在は前提であり、根本的な問題が解決していないのだから。
「……リスクは受け入れる。分かりやすく説明するとな、連携の練習なんてまったくしていない現状だと――アタッカーは連携が取れないんだよ。つまり敵の近くでお互いの動きが邪魔をして、本来の力を発揮できない可能性が高い」
前衛の連携は繊細で、パーティごとに何度も練習しているはずだ。
だが、即席レイドでは少しの打ち合わせしかできない。
「その点、魔法使いは単に半円状に包囲して攻撃を放てばいい。要するに、特性的に火力を集中させやすいんだ」
「なるほど……ありがとうございます」
ミランダは俺の言葉を聞いて、納得したように頷く。
「だからアタッカーはもし戦線が崩れそうになったら随時援護して気を引いてくれ」
サラを含む前衛が頷くのを見て、俺は急いで展開させる。
なぜなら、
ズシン……! と、迷宮を揺らすかのような重い足音と共に。
奥の通路から、赤の怪物が姿を見せたからだ。
……本当に来たのか。覚醒種とはいえ猪人が地下一階層までやってくるなんて、この目で見るまでは信じられなかった。これまでには考えられなかった事態だ。
何かが、起きている。この迷宮の中で。
けれどそれを考えている場合ではなかった。
ひときわ大きな巨体に生やす剛毛を紅に染めた半人半獣の怪物は――吠える。
「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッッ!!!」
ビリビリとした振動が全身に響き渡った。
ひっ、と悲鳴のような声が味方から上がる。
何より一度は戦った『勝利の旗』の面々が少し圧され気味だった。
「――やるぞ!」
何より士気を崩さないために、俺は似合わぬ大声を上げた。
怪物を地上には出さない。一人の冒険者としての矜持を護るために。
◇
冒険者ギルド三階。ワイアットの執務室では、職員による報告が行われていた。
「……分かった、ご苦労。下がりたまえ」
「市民への通達は……?」
「まだいい。限界まで戦況を見る。無意味に不安を煽るわけにはいかない」
「しかし」
「もしもの時は、私が出る」
反論しようとしていた職員は、その言葉を受けて息を呑む。
その老いた身から放たれた覇気に、気圧されたのだ。かつての冒険者の代表とも呼べる存在。今ここにいるのは、元『未来を切り拓く星々』のタンクなのだ。
「衰えたとはいえ、心配はいらない。連中が集まるまでなら、何とかしよう」
「分かり、ました」
「避難指示を出すための準備は頼む。領主様にも連絡しておいてくれ」
頷く職員は緊張した表情で下に戻っていった。
ワイアットは嘆息すると、くまがある目で窓の外を睨んだ。
「頼むぞ、ロイドくん」
ワイアットは思い出す。かつて自分たちを憧れの目で見ていた一人の少年の姿を。
冒険者に憧れ、しかし戦いの才能がないと知った少年の絶望を。
しかし少年はそれを乗り越えて今、一流冒険者として街を守ろうとしている。
かつてのワイアットたちと同じように。
感慨深い――と思うのは、おそらく年を取った証拠なのだろうと思うのだった。




