1-23 理想と現実
サラ=アメジストは、あの時のことを思い出していた。
それは、ロイドと共に、アールの酒場を訪れた時のこと。
「君が――あの男の光になれることを祈っているよ」
ディートリヒは最後にサラの瞳を見て、そんな言葉を遺していった。
当時は分からなかったけれど、今ならその意味が分かる。
いや、当時だって気づいていたはずだ。薄々は、ロイドの行動の違和感から。
「それでも、わたしは……」
顔を伏せる。剣を堅く握り締めた。
――別に論じるまでもなく、正しいのはすべてロイドだった。
彼の判断は冷静だった。パーティとして正しい在り方をしていた。少なくともサラはそう思っている。だからこれはただのわがままで、どうしようもない理想の押し付けだ。
――わたしを信じてほしい?
いったい何を言っているのだろう。猪人一体すら討伐できなかったというのに。
それはただ、信じてほしかっただけだ。
――わたしにとっての英雄に、わたしを、わたしの力を信じてほしかっただけだ。
「う、ぁ……」
猪人が討伐されて、生き残ったことを歓喜する『奇跡の縁』の横で、サラは。
――涙を堪えて、うずくまることしかできなかった。
「やぁ」
「ディートリヒ、さん……?」
サラに近づいてくるディートリヒに、いつものような微笑は浮かんでいなかった。
けれど、まるで知り合いのような調子で声をかけてくる。
あの時も思ったけれど、もしかして彼は。
「……もしかして、覚えてるの?」
「僕はね。その様子だと、ロイドは覚えていなかったようだけれど」
それは、数年前の話。
サラの故郷がモンスターに襲われ、ロイドたちに救ってもらったという話は、ロイドにもしてある。けれど、モンスターの手で殺されかけていたサラを、ロイドが身を挺して助けてくれた――という話までは、していなかった。
彼の様子を見ると、もう覚えていないようだったから。
ディートリヒはロイドの方をちらりと見やってから、サラに告げた。
「一応、これだけは言っておくけれど……彼は、君が思っているような英雄ではないよ」
「え……?」
「彼はただ、そう在ろうとしていただけだ」
臆病なことは絶対に悪いことではない。むしろ迷宮を生き残るためには必須の感情だ。
冒険者としての安定を望むのなら、ロイドの判断はどこまでも適切だ。
だが――下層を目指すようなパーティは、そもそもが死にたがりの群れでしかない。
下層は地獄だ。ならば、その奥はさらなる地獄だろう。
もとより死を受け入れなければ踏み込めないような領域。
その中で、ロイドは死を怖がっていた。自分の死ではなく、仲間の死を。
だから奥へ進むほど、ロイドは支援術を必要以上に行使した。仲間を護るために。
効率という概念を無視していた。別に、本人も意識していたわけではないのだろう。
単に、真剣にやっていたらそうなってしまうというだけ。
その無理はロイドの過労を招き、彼は下層の最中で倒れた。そして結果的にはむしろパーティを危機へと追いやってしまった。
だからエルは怒ったのだ。――この男は、あたしたちを信じてくれないと。
それがロイド追放の契機となった、最後の遠征での出来事だった。
そんな話を、ディートリヒはサラに語り聞かせてくれた。
「わたしは……ロイドに、憧れて」
「君が憧れたそれは、彼とは違う英雄の幻影だ」
「だから、憧れたロイドがやるはずだった行動を取ろうと……」
ディートリヒは否定も肯定もしなかった。
いや、サラ自身が何より気づいていたから。それはただの自己満足でしかないのだと。
「僕はレックスの指示には従うだけだ。だから、僕に何か言えた義理ではないけどね」
ディートリヒは、珍しく表情を歪めて、悔やむような口調で言う。
「――できれば、君にはあの男を支えてあげてほしかった」
それは僕らにはできなかったことだから、僕らは支えてもらっただけだった――と。
ディートリヒはそれだけ言って、レックスたちのもとへ戻っていった。
◇
「……ごめんなさいっ!」
サラが突然、頭を下げてきた。
「きみの指示は正しかった。わたしが……間違っていました」
「そう、か……」
迷宮からの帰り道のことだった。
あの後、『勇気あるもの』は一足先に戻り、俺たちは『奇跡の縁』と共に、ヒーラーのマルコスの力を貸してもらい、少し回復してから戻っていた。
俺たちの雰囲気の悪さに気を遣っているのか、『奇跡の縁』は少し前を歩いている。
先ほどサラが回復してもらっている時、俺はほんの少しだけ夢を見た。
僅かな眠りの中で、始まりの夢を。
「そうだな。別に俺の判断は、間違っていたわけじゃない」
むしろ限りなく正しい。その自覚はあって、だから駄目なのだとも思っていた。
よし、決めた。
元々、才能もないのに無理してやっていたのだ。最早こだわる理由もない。
そう思うと、何だか心が軽くなったような気がした。
「悪いな、サラ。俺――冒険者は辞めることにした」




