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1-21 恐怖の呪い

 ――輝くような、金色の髪の女だった。

 この世の「美」という概念のすべてを体現したかのような。

 ――《聖女》アリサ。神に祝福を与えられ、世界で唯一の特殊職に就いた女。

 きっと神に選ばれるほど、気高く、尊い者なのだろうと、ただ漠然と俺は思っていた。

 だから俺はあの日、ひどく驚いたのだ。


「あら――」


 アリサは目を丸くしていた。その手元にあるものは、どう見ても煙を発していた。


「ここに来る人がいるなんて、ね」


 彼女は月明かりの下で妖艶に微笑み、慣れた手つきで煙草を持ち替えた。


「聖女……」

「意外だったでしょ?」


 驚く俺に、聖女アリサは煙草を吸ってゆっくりと吐き出す。


「神に愛された聖女サマが、煙草を吸っているなんて」

「そう、だな……」


 俺は何といえばいいのか分からず、ただ月に目をやった。

 すると岩の上に腰かけていたアリサは、ひょいと飛び降りて今度は岩に背を預けた。


「君、支援術師のロイドくんでしょ?」

「俺を知っているのか」

「もちろん。聖女ですから」


 ドヤ顔のアリサに、俺は胡散臭そうな目を向ける。

 何だかイメージが一気に崩れた。聖女は、こんな奴だったのか。


「そりゃ、普段は良い子にしてるからね?」


 俺の心を見透かしたように、アリサは言う。


「でも、運命に導かれた人生を送っていると、たまには反抗したくなることもあるんだよ」

「それが……煙草だと?」

「うん。しょうもない反抗でしょ?」

「そうだな」

「あ、否定しないんだ」


 ちょっとだけアリサは頬を膨らませる。少なくとも街では、こんなアリサは見たことなかった。いつだってすまし顔をしていたはずだ。


「ここ、月がよく見えるだろ」

「うん。あんまり人も来ないし、これからはこっそり来ようかなと思ってたんだけど」

「俺のお気に入りの場所なんだ」

「じゃあ、残念」

「別に、来てもいいぞ」

「そう? じゃあ、お言葉に甘えようかな。煙草の煙、嫌じゃないなら」

「大丈夫だよ」

「そう。君も吸う?」

「……いや、いいよ」


 断ると、なぜかアリサはくすくすと笑った。

 そうして煙草を吸い終えると、彼女は大きく背伸びをする。


「そういえば、君はどうしてここに来たの?」

「単に、眠れなかっただけだ」

「ふふ、じゃあ、わたしと同じだ……そろそろ従者にバレそうだし、戻るね」


 アリサはそう言って背を向ける。俺はぼんやりとその背中を眺めていた。


「――あ、そうだ」


 くるり、と。アリサは何かを思い出したかのように振り向く。


「えと……その」

「?」


 何だか言い淀んでいる。月明かりに照らされて、朱色に染まった頬が見えた。

 髪をくるくると弄り、少しだけもじもじしていた彼女は、照れたように言った。


「……レックスには、内緒にしてね?」


 その顔を覚えている。鮮明に。だって純粋に、可愛らしいと思ったから。



 俺は――堅く、拳を握り締めた。



 走馬燈のように蘇り、そして一瞬で記憶は彼方へ消え、目の前には現実だけが残る。

 どうして、今思い出したのだろう。今じゃなくともいいはずなのに。

 死んだ仲間のことを。今は亡き彼女の笑顔を。

 ヒーラーとして世界最高の実力を誇った、アリサと初めて交わした会話のことを。

 結局、今でも俺の心にはその恐怖が刻みつけられているというのか。

 だから俺は臆病で――もう戦力にはならないと、みんなそう言って離れていくのか。


「くそ……っ!!」


 知っている。分かっている。本当は、とっくの昔に気づいていた。

 俺は支援術師だ。一人では何もできない。仲間がいないと戦えない。

 だというのに、仲間が死ぬことが怖ろしくて仕方がない。

 俺の方がはるかに弱いから、守ることなんてできないのに。

 所詮、俺には後ろで見ていることしかできない。その事実が不甲斐なくて仕方がない。

 それでも――もう、仲間を失いたくはなかった。


「サラ……!」


 俺はゆっくりと、詠唱をする。


「……穢れなき刃よ」


 パーティを解消されて、俺はまた一人になった。

 けれど、俺の仲間の定義は、別にそんなどうでもいい枠組みの話じゃない。


「清浄なる意志の導きに従い、魔を滅する光の剣となれ……!」



 サラが戦うというのなら、俺だってまだ戦うしかない。


「――《ライトセイバー》!」


 突如としてサラの剣が光を帯び、強化される。それまでは猪人の剛毛に対して浅い傷しか負わせられなかったというのに初めて深い傷となった。

 だが、焼け石に水と言うべきか。サラが少し対抗できるようになったぐらいで、『奇跡の縁』の壊滅状態は変わらない。まだ猪人は四体とも健在だった。

 でも――深い傷を与えられるなら、突破口ぐらいは。


「……え?」


 と、考えて俺は気づいた。これは、確かに厳しい状況だ。いつ誰が死んでもおかしくない。けれど、それだけだ。厳しいだけで、難しいだけで、別に突破口が開けないわけではない。要はこの場から全員が逃げられればいいのだ。倒す必要はない。だから、みんなを助けることは、決して不可能じゃないのだと。

 長年の経験で鍛えられた支援術師の戦術眼が、確かにそう告げていた。

 ――なら、なぜ俺は逃げることしか考えなかったのだ?

 助けられる者を、見捨てようとしていたのだ?


『昔のロイドはそうじゃなかったよ。わたしを助けてくれたきみは』

「俺は……」


 こうしている間にも、サラが危機に追い込まれていく。

 だから、支援術を重ね掛けした。過剰なまでに。堅く拳を握り締めながら。 

 脳裏にちらつく影。肌が泡立つような恐怖。呪いに、縛られている。

 俺は――俺、だけが。

 だから。

 

「ご苦労様、ロイド。よく耐えてくれた。まあ、君がいることは知らなかったけれどね」


 その言葉を聞いた時、俺の中の何かが、折れていくような気がしたのだ。

 いや、とっくに折れていたものに、今更のように気づいたのだ。

 振り向くと、俺の肩にポンと手を乗せたのは、盾と剣を装備した金髪の美青年。


「ディートリヒ……」


 彼だけではない。

 続々と、俺の後ろの通路から、『勇気あるもの』がやってきていた。


「この層に猪人が三体……確かに、あたしたちを呼ぶぐらいには異常事態みたいね」


 その言葉を聞いて、俺は察する。

 他にもこの猪人の上層進出という異常事態に巻き込まれた者がいて、誰かが冒険者ギルドに報告したのだろう。だから、緊急クエストが発令された。

 その時、対象となるのは――大抵の場合、一流と称されるパーティ。

 だから『勇気あるもの』がこの場に現れるのは、ある意味必然とも言えた。


「――話してる暇はねえ。やるぞ」


 通路から最後に現れたレックスが、ディートリヒを従えて真っ先に飛び込んでいく。


 結末は、語るまでもなかった。

 世界最強を誇るパーティ『勇気あるもの』は、十秒で猪人の群れを殲滅した。

 

 


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