1-20 臆病な冒険者
――率直に言って、死を覚悟した。
サラ=アメジストにとって、猪人とはかつて越えられなかった壁だ。
迷宮都市の外を旅していた時、ロベルトに連れられてサラが戦ったことのあるモンスターの中で、間違いなく最強の敵。討伐を果たすどころか追い詰められ、ロベルトに交代した屈辱が、サラの中に蘇る。同時に、恐怖の感情もせり上がってきた。
ごくり、と唾を呑む。
サラは楽観的な振る舞いをするが、それは内面の恐怖を誤魔化しているだけだ。
強大な敵を前にすれば、相応に怯えを抱く。
それが以前、負けたことのある相手ともなれば、平常心ではいられない。
「でも……」
やるしかない。胸に手を当てて、深呼吸。いつになく体は充溢していた。
きっとロイドの支援術の効果だろう。
その支援が、サラの心にも影響する。
――わたしは一人で戦っているわけではないのだと、その温かさが教えてくれる。
ギャリィ‼ と、後ろで金属音が響き始めた。
戦いが始まったのだろう。同時にサラが相対している猪人も、動く。
何も、倒す必要はない。サラがロイドに任されたのはあくまで時間稼ぎだ。
それなら、いくらでもやりようはある。
初手。猪人の振るう槍を、サラは大きく右に旋回するようにかわした。
自分のイメージよりも速く体が動くせいで、若干大回りになってしまう。支援術の弊害とでも言うべきか、強化された体を基準に戦術を組み立てられない。
だが、それは単なる経験不足――もっと言えば、ロイドとの連携不足だ。
やっているうちに慣れるだろう。
何より、自分のイメージと少しずれるとしても、速くなる方が良いに決まっている。
左から迫るサラに、猪人はその槍を薙ぎ払った。
その剛腕が、おそるべき威力を叩き出す。轟‼ と、風切り音が唸りを上げた。
一撃でも受ければ、サラの体では致命傷かもしれない。もちろんロイドの支援術が防御力も底上げしているけれど、もともとサラの戦い方は攻撃を受けないことが前提だ。
攻撃を受けた時点で、負けだと考えろ――。
咄嗟に屈むことで、もともと低い身長を活かしてかわしたサラは、そのまま猪人の懐へと飛び込んでいく。最大の好機。ぐぐっ、と剣を引き絞った。
「破神流剣術二式――《雷剣》ッ‼」
鋭い呼気。同時に、目にも留まらぬ速度でサラの剣が振り抜かれる。
「な……っ!?」
だが、サラは想定外の事態に声を上げる。
別に猪人が何かをしたわけではない。むしろ猪人は、懐に入り込んだサラの攻撃に反応できていなかった。けれど、猪人の剛毛は、サラの剣を堅く防御した。
「浅い……っ!」
懐から潜り抜けたサラは、絶好の機を逃したことに舌打ちする。
力が足りなかった。ロイドの支援で強化されてなお。サラの根本的な膂力がなかった。
ゆえに、リスクを負って得たものは浅い斬り傷のみ。多少の血飛沫は舞ったが、当の猪人はけろりとした様子で槍を肩に載せている。
直後に、その槍が振り下ろされた。巨体から弧を描いてサラへと肉薄する。
体を右に振ってかわしたが、地面が爆発したように四散した。瓦礫がサラに直撃する。
「くっ……!?」
腹部を痛めたサラは思わず膝をつくが、その時にはすでに猪人が踏み込んでいた。
あっさりと、サラは追い詰められた。
これが中層のモンスター。いくら破神流剣術四段の実力者でも、単独では互角以上。
けれど――サラは冷静だった。
「……まだだよ」
猪人は決着がついたと思っているだろう。
だが、猪人の動きはサラに比べると鈍重だ。回避手段はいくつかある。
思考の中で、状況を打破する手段を選ぶ。どれを選択すればもっと戦いで優位に立てるのか。
「――サラ!」
その時、ロイドの声が聞こえた。
同時に、猪人の顔に火属性魔法が炸裂し、よろめいてたたらを踏んだ。
一瞬、ぼうっとしていたサラは慌てて立ち上がり、後退していく。
すれ違うように、『奇跡の縁』のパーティメンバーが前に出ていった。
「あ――ありがとう」
「お互い様だろ」
魔法使いのカールはサラの言葉を受け、端的に頷いた。
後ろに目をやると、もう一体の猪人はすでに倒されていた。
だからサラに手を貸すことができたのだろう。
ロイドは少し焦ったような様子でサラに近づいてくる。
「サラ、傷は大丈夫か?」
「う、うん……まだ、戦える」
サラはそう答えたが、ロイドは彼女の様子を見て苦々し気に言った。
「……いや、駄目だ。回復が必要だな」
「――ひゃっ!?」
サラはびっくりして変な声を出してしまい、顔を赤くする。
いつの間にかロイドの肩に担がれていた。
「退くぞ!」
「ちょ、ちょっとロイド、まだやれるのに……!」
ロイドはそう言って通路の方に逃げようとするが、しかし『奇跡の縁』は退かなかった。
「こいつを倒してからの方が安全じゃないですか……!?」
どうやら一体目の猪人を討伐したことで、自信がついたらしい。
あれは綱渡りだった。
ロイドの支援がなければ一気に崩れていたと、その自覚がないのだ。
「ロイド、わたしも一緒に戦えば、きっと倒せるよ!」
サラはそう言ったが、直後にロイドの言葉の意図に気づく。
――この、足音は……。
「聞こえないのか!? まだ下から猪人が上がって来てるぞ!?」
ロイドの叫びと共に、奥の通路から二体の猪人が一気に姿を現した。
「くそ……っ!?」
「なっ……!?」
ものの数秒だった。
信じられない事態を前に固まった『奇跡の縁』は、一気に猪人に囲まれる。
総勢三体。その威圧感は尋常ではなかった。
まずは近くにいた『奇跡の縁』をじっくり狩ろうとしているのか、奥のロイドとサラには無関心だ。じりじりと、『奇跡の縁』との距離を詰めていく。
このままでは、絶対に死ぬ。
せめてサラたちの助けがなければ、包囲から脱することも敵わないはずだ。
「ロ、ロイドさん!」
バートが悲鳴を上げてロイドを呼ぶ。だがロイドは顔を伏せていた。
「ロイド……まずいよ! 助けなきゃ!」
「無理だ」
「え……?」
ロイドの呟きに、サラは唖然とした。
彼はあくまで冷徹な瞳で淡々と言う。
「逃げよう。あいつらはもう――助からない。俺たちじゃ助けられない」
それは確かに、現状を考えれば一面の真実であり。
けれど、かつての青年を知っているサラにとっては、信じられない言葉だった。
◇
――冷静な判断を、下したつもりだった。
助けられるものなら助けたい。それは、そうに決まっている。誰だって人の不幸を望んでいるはずがないのだから。けれど、今の俺とサラでは無理だ。
何かしらの突破口を開くイメージが湧かない。
脳裏に過るのは、サラが猪人に嬲られ、死んでいく光景だけだった。
「……っ!」
ついに戦闘が始まった『奇跡の縁』の面々の必死な表情を見ながら、俺はただこの場から逃げる覚悟を決める。それはきっと、覚悟なんて大層なものではないけれど。
もう二度と、仲間が死ぬのは御免だった。
だから背を向けて駆け出そうとすると、サラが叫んだ。
「離して……!!」
暴れる彼女を取り落とし、サラは地面に着地する。
彼女は僅かに腹部の痛みに顔をしかめたが、直後に真剣な瞳で俺を見る。
「何で、逃げるの?」
「俺たちが行ったところで、死体が増えるだけだろ……!」
「そんなの、やってみなきゃ分からないよ」
「分かる。現にお前は、さっき傷を負わされた。俺たちだって綱渡りの勝利だった! それが、同時に四体なんて無理だ。だいたい、俺たちがそうまでしてあいつらを助ける理由があるのか? ……何の義理もない、さっき会っただけの連中を」
「――そうやって、自分を納得させるの?」
絶句した。けれど、言い訳を重ねて正当化しているのは何より自覚していた。
「昔のロイドはそうじゃなかったよ。わたしを助けてくれたきみは」
そんなことは言われなくとも分かっている。誰より俺が知っている。
誰だって、死んでほしい人なんていない。助けられるなら――などと考えられる状態であったなら、俺は一も二もなく助けに向かっていたはずだ。
けれど、それでも。俺は――怖かったのだ。恐ろしかった。
たとえ今日知り合った者たちを見捨てることになったとしても。
「俺はもう、仲間を失いたくないんだよ……!」
サラはそんな俺をただ、じっと見ていた。
そして、そっと目を伏せた。
「……そっか。ごめんね、わたしが間違ってた。きみが変わってないって思い込んでいただけだった。――ロイドは、もうあの頃のロイドじゃないのに」
「サラ……?」
要領を得ないサラの言葉に、俺は眉をひそめる。
だが彼女は何も言わずに背を向けた。
見ているのは、いまだ持ちこたえている『奇跡の縁』の面々。
「サラ、俺は認めないぞ。ここで逃げる。これはリーダーとしての命令だ」
「ロイド」
そこでサラは蒼い髪を揺らして、肩越しに俺を一瞥した。
今にも泣きだしそうな淡い色を灯した瞳が、俺を捉える。
「――わたしを、信じてほしい。きみが支えてくれれば、わたしが突破口を開く」
その言葉が、脳裏でかつての幻影と重なる。炎のような赤髪の少女が俺を責めていた。
「俺、は……」
答えられなかった。
サラに俺の支援があれば、この状況を打破できると、そう言うことができなかった。
「リーダーとして逃げることを強制するなら、パーティはここで解消するしかない」
初めて見る寂し気な微笑は、ひどく大人びているような気がした。
「サラ……」
もう俺の言葉には反応しなかった。
サラは剣を構え、苦戦している『奇跡の縁』のもとに突撃していく。
最後に、一言だけ残して。
「今のロイドは――ただ臆病なだけだよ」




