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第3章:2の変容――月下宮の静寂と盤面の再構築(45)



「連行せよ。クローデルの財産並びに私邸、関係する商会の帳簿を即座に押収し、査問委員会を立ち上げろ」


皇帝レオンハルトの冷徹で絶対的な命が御前会議の広間に重々しく響き渡ると、階段の下に直立していた近衛隊長シュベルトが、ディープブルーの瞳に鋭い殺気すら孕んだ光を宿して即座に頭を下げた。


「はっ! 直ちに取り計らいます!」


シュベルトが身を翻して凛とした合図を送ると、扉脇に控えていた重装甲の近衛兵たちが一斉に踏み出し、ガタガタと膝を震わせて床に崩れ落ちていたクローデルの両腕を荒々しく拘束した。


「ひっ……! お許しを、陛下! 私は……私は法部卿として長年帝国に尽くしてまいりました! あの女の出鱈目な戯言に惑わされてはなりませぬ! 罠でございます、罠で……っ!」


見苦しく悲鳴のような叫び声を上げるクローデルだったが、容赦ない近衛兵たちの手によって大広間の外へと引きずられていった。

巨大な青銅の二重扉が重々しい音を立てて閉じられると、会議の間に残されたのは、氷のように冷え切った凄絶な静寂と、息を呑む領主たちの極度の恐怖だった。


広場に居並ぶ貴族派の重臣や各領土の領主たちは、完全に青ざめた顔で伏し目になり、もはや誰一人として私に異論や不満を唱える者など存在しなかった。

長年、法部の絶大な権力を笠に着て肥え太っていた重鎮が一瞬にして引きずり降ろされ、身ぐるみ剥がされたのだ。自分たちが長年隠してきた不正や誤魔化しが、私の《万象読解》と元社畜の分析力によって白日の下に晒されることを、彼らは死ぬほど恐れていた。


レオンハルトは、トパーズ色の双眸で広場全体を冷酷に見下ろすと、ゆったりと玉座から立ち上がった。


「御前会議は以上だ。これより、あやの裁定に反する不当な不服申し立ては一切認めん。下がれ」


陛下の絶対的な宣言に、重臣たちは一斉に胸に手を当て、深く頭を下げて平伏した。


私は特別補佐席から立ち上がり、フク子の魔法によって紡がれた神聖な純白のドレスの裾を静かに整えると、陛下の斜め後ろに従った。

階段の下で直立していたシュベルトが凛とした護衛の体勢に入り、私のすぐ後ろには、筆頭侍女としての隙のない佇まいでクララが足音ひとつ立てずに寄り添う。


重厚な青銅の扉が開かれ、私たちが長大な回廊へと足を踏み出した瞬間、背後から重臣たちの絞り出すような安堵のため息と、収まりきらない動揺のささやきが洩れ聞こえてきた。


回廊を歩む私たちの先頭に立つレオンハルトの背中は、いつになく堂々としており、その背中からは隠しきれない強い満足感と覇王としての愉悦が漂っていた。


(ふぅ……まずは第一関門、無事に突破できたかしら)


私は胸の中で静かに息を吐き、安堵の想いを噛み締めた。

社畜時代に叩き込まれた厳しいプレゼンテーションと数字の解剖力、そしてこの世界で覚醒した《万象読解》の力。それらが完璧に噛み合い、敵意に満ちたアウェイの御前会議を完全に制することができたのだ。


その時、私の左斜め後ろから、かすかな絹擦れの音が聞こえた。


ふと視線を向けると、そこには筆頭侍女としてのブレのない姿勢で歩むクララの姿があった。

後ろで後れ毛ひとつなく綺麗に結い上げられたライトブルーの髪。その下のディープグリーンの双眸が、いつもとは明らかに異なる温かな熱と、深い敬意を宿して私を密かに見つめていた。


「……あや様」


彼女は誰にも聞こえないほどの細く静かな声で、けれど心の底からの強い感情を込めて呟いた。


「見事な……あまりに見事なご裁定にございました。私などの浅はかな懸念など、一切不要でございましたね」


「クララ……」


私が驚いて視線を合わせると、感情を表に出さない『氷の令嬢』と呼ばれた彼女の薄い唇が、かすかに、けれど心から感服したように柔らかく綻んだ。


名門ハーゼン伯爵家の長女として、貴族社会の泥沼のような不正や権力闘争を嫌というほど見て育ってきたクララ。

彼女にとって、権力者たちの威圧に一切怯むことなく、圧倒的な知識と論理で不当な裏金を暴き、領民や領土の正当な利益を守ってみせた私の姿は、まさに理想の主君であり、憧れの象徴としてその胸に強く刻まれたのだろう。

彼女の深緑の瞳の中にあった冷徹な警戒は完全に消え去り、そこには私という存在に対する純粋な尊敬と、「このお方に一生お仕えしたい」という強い献身の芽が静かに息吹き始めていた。


「ありがとう、クララ。あなたが後ろに控えていてくれたから、私も落ち着いて臨めたのよ」


私が微笑んで静かに感謝を伝えると、クララは一瞬驚いたように深緑の瞳を瞬かせ、それから耳たぶをかすかに朱に染めながら、誇らしげに深々と頭を下げた。

無口で完璧な彼女の態度の中に、ほんのりと芽生えた温かな慕情。彼女のその変化が可愛らしく、私は心の中で小さく微笑んだ。



本殿の長大な回廊を抜け、光が降り注ぐ執務室の前へと到着する。


「あや殿。周辺の警備をさらに強化し、クローデル子爵派の残党の動きを警戒いたします。何かございましたら即座にお呼びください」


執務室のドアの前で、近衛隊長シュベルトが身を乗り出すようにして真摯な瞳で私を見つめてきた。188cmの恵まれた体躯から放たれる武人らしい凛とした気配と、私を心から案じる温かな色。


「お心遣い感謝いたします、シュベルト様。お立ち回り、実に頼もしいですわ」


あやがふんわりと微笑むと、シュベルトは一瞬息を呑み、耳を赤くして恭しく礼をとった。


シュベルトが扉の外で固い警護の体勢に入り、クララは侍女の雑務でその場を後にすると、重厚な黒壇の扉が閉じられた。

広い執務室はあやとレオンハルトの二人きりの静寂に包まれた。


レオンハルトは漆黒の軍服の上着のボタンをひとつ外し、首元を緩めると、主卓へと歩み寄り、そのまま私の方へとゆっくり向き直った。

朝光を受けて濃紺の深い艶を放つ蒼黒髪と、冷やかだったトパーズ色の双眸。だが今、その瞳には私に対する隠しきれない激しい熱と、甘い独占欲の色が色濃く宿っていた。


「見事だったぞ、あや」


陛下は低い響きのある声でそう言うと、堂々たる足取りで私との距離を詰めてきた。

一歩、また一歩。彼が放つSランク覇王たる強烈な気配と、彼が身に纏うベルガモットの優しい香りが、私の全身を包み込んでいく。


逃げ場のない主卓の端まで追い詰められた私は、背中を軽く木肌に預けながら、彼の真っ直ぐな視線を受け止めた。


レオンハルト陛下は大きな手を伸ばすと、私の頬にかかる漆黒の後れ毛を、愛おしむように長い指先でそっとすくい上げた。

その熱い指先が私の肌にかすかに触れ、心地よい痺れのような体温が伝わってくる。


「10年誰も解けなかったあの腐れ切った帳簿の欺瞞を、わずか数分で解き明かし、クローデルの腹を割ってみせるとはな。……害虫を一網打尽にしてくれた」


その低い声の甘さと、トパーズ色の瞳に燃える強い光に、私の胸がドクンと大きく跳ね上がった。


「あや。お前はやはり、俺の想像を遥かに超える女だ。……俺の側から離すつもりは、毛頭なくなったぞ」


不敵で、けれどどこか掠れた情熱を帯びた声。

レオンハルト陛下は私の顔を覗き込むように顔を極限まで近づけ、その薄い唇を私の耳元へと寄せて低く囁いた。


「俺の知の盾となれ。……お前を誰にも渡さん」


【4:皇帝(逆位置)】が示す、人間不信と過剰な完璧主義ゆえの孤独。

その深い孤独の闇を抱えた覇王が、初めて見せた強い執着と、私という『代えの利かないパートナー』に対する甘く激しい独占欲。


その情熱的な言葉と至近距離の体温に、私は息を呑み、純白のドレスの胸元をぎゅっと掴んだ。

不敵な皇帝との二日目の心理戦は、私の予想を超えた甘さと深みを持って、さらに熱く加速し始めていた。



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